|
荘子物語
|
|
くにたち蟄居日記/破顔一笑
|
中国の古典「荘子」は 人類が到達した思想の最高峰だと僕は常々思っているし 割と 公言している。但し 難点は 原著の「荘子」自体が やはり読みにくい点だ。 岩波文庫や中公文庫の「荘子」も 一生懸命わかりやすくしているが やはり2000年を越える昔に書かれた本である。なかなか読みづらいのはしょうがない。 そんな中で 本書は読みやすい一冊である。さらさらと読めたし 内容も十分盛り込まれている。「荘子」の入門書としては実に優れている。 それにしても 2000年を経て 外国でかような本が出ている事態を あの世の荘子が聞いたらなんと言うだろうか。おそらく 破顔一笑といったところだろうかと思う次第。
|
|
|
洞爺丸はなぜ沈んだか
|
|
くにたち蟄居日記/荒々しい神
|
昭和29年の悲劇だ。青函連絡船だった洞爺丸は台風の為 函館港の中で沈没した。 1155名もの犠牲者の数はタイタニックの1500名に匹敵する。 この本は 沈没した日を時系列にじっくり追って書かれている。読んでいて その臨場感に圧倒される。 結局自然を読み違えた人間の話だ。同じ瞬間に青森港で出港しようか迷っていた羊蹄丸は出港を中止し 難を逃れる。台風を読み違えた洞爺丸は 出港し 沈没する。著者は この2隻の判断の違いをくっきりと描き出している。 著者は羊蹄丸の船長に「所詮 人間は神ではない」と言わせている。台風は 荒々しい神であった。それに人間の才覚なんぞで立ち向かうことは そもそもおこ…
|
|
|
日活ロマンポルノ全史
|
|
くにたち蟄居日記/人材育成の場としてのロマンポルノ
|
僕は真剣に 日活ロマンポルノは 今後歴史として検証されるべきだと考えている。それは日活ロマンポルノが 人材育成の場所として 邦画を支えた時期があったからだ。 1970−1980年代に掛けて 邦画は低迷した。日活という伝統ある映画会社が ポルノに特化しなくてはならなかったという事自体が それの証拠だ。低迷した邦画では若い映画監督達は そもそも映画を撮ることが出来なかった。 そんな若手の行き先は 一つはATGであり もう一つが日活であったのだと僕は思う。 実際 日活ロマンポルノでは セックスシーンの回数と時間さえ 日活の基準を満たせば 後は 比較的若手の監督が好きに作れたと聞く。また一本が…
|
|
|
梟の城
|
|
くにたち蟄居日記/司馬遼太郎はそもそも活劇屋だった
|
司馬遼太郎は 「司馬史観」という異名を取るほど 歴史を日本人の身近にした点が最大の功績だと思う。実際 「新社長紹介」というような 日経新聞のコラムやインタビューでは 多くの「新社長」が愛読書として司馬遼太郎を挙げているさまは いささか滑稽なほどである。「滑稽」といっている僕にしても 司馬の本は面白いし その歴史観には感銘を受けるのだが。 但し 司馬の 元々の資質は「活劇」にある点は忘れるべきではないと思う。 実際 本書を読んでいると 司馬の「活劇魂」とでも言うべき精神の躍動が実に楽しい。話は 忍者であり 当然ながら荒唐無稽なわけだが もう むちゃくちゃに面白い。再読に耐えるという点でも …
|
|
|
「お葬式」日記
|
|
くにたち蟄居日記/伊丹の才能のありか
|
映画にメイキングというジャンルがあるが 映画監督が映画撮影中に書いた日記というものは 本作で初めて読んだ。 実に面白い。 俳優とのやりとりや 撮影現場の状況なども面白いが やはり監督という「孤独な」立場にある人の心境が一番惹かれたものである。 伊丹は映画を撮影しながら しきりと他の映画を観ていることが良く分かる。おそらく 初めての映画監督という仕事に対して なかなか自信が持てない中 旧作を見ることで必死に何かを学ぼうということだったのかと思う。 小津や ヒッチコックといった 熟練の監督の作品を見つめている伊丹の眼差しには 初々しいものがある。 僕は 伊丹という人は脚本を書かせたら …
|
|
|
「マルサの女」日記
|
|
くにたち蟄居日記/メイキングオブというジャンル本の白眉
|
「マルサの女」は 一時代を画した映画である。税金を題材としたサスペンス映画という着眼点は 独創以外の何者でもない。邦画界が全員息を呑んだのだと思う。 そんな映画をどうやって作っていったのかという本書は 邦画にとっても宝物なのだと思う。題材を磨いて脚本を構成していく。キャスティングの難しさ、妙、醍醐味。 そういう 「裏話」をすらりと書いているわけだが もう それ自体が また別の映画のようだ。 よくメイキングオブ とかいう映画があるが 概して 俳優が撮影合間にリラックスしている姿を映しているだけのものが多い。それに比べると 同じメイキングオブでも このような大部の本となると 「濃さ」たるや…
|
|
|
ソニー厚木スピリット
|
|
くにたち蟄居日記/まずはメーカーであるソニーを思い出そう
|
著者の前作「ソニーインサイドストーリー」が面白かった。出張へ行く際に成田空港の書」店で本書を見て 直ぐ購入し 機内で直ぐ読み始めた。 ソニーのソニーらしさを語る本だ。読んでいて 登場人物たちの熱気は伝わってくるが 1番の問題は テクニカル用語(若しくは放送機器業界用語)が幾分多すぎて 感情移入を邪魔する点にある。 「素晴らしいであろうこと」も その「素晴らしさ」が 技術的な「素晴らしさ」なので 今ひとつピンとこない点が 僕にとっては致命的であった。 但し繰り返すが 熱気は十分伝わってくる。 ソニーという経営陣のVISIONで有名になった会社だ。ソニーが打ち出す経営方針には 一時期日本…
|
|
|
消える中間管理職
|
|
くにたち蟄居日記/どのような反響が出てくるのか?
|
ホワイトカラーの今後は最近 ホワイトカラーエクセプションがらみで話題となったわけだが そのあたりを突いて 登場した新書であるというのが第一印象である。 「ゴールドカラー」という新しい言葉を使っている点では読ませるものがあるが 内容は正直既存の本と比べて 余り新し味がない。 僕が注目するとしたら 要は この本が「中間管理職」にどの程度読まれるだろうかという点にある。かような表題の本が 相当増刷を重ね、かつ 似たような題名の本が更に出てくるという状況が現出したとしたら それは日本の「中間管理職」が相当 動揺してきたという意味なのだと思う。 思えば 日本の高度経済成長は かなりの部分「中間管…
|
|
|
国家の論理と企業の論理
|
|
くにたち蟄居日記/成田空港という本屋について
|
出張前に成田空港の書店で購入した。出張中に一気に読んだ。 まず第一に本書は1998年刊行であるから8年前の本だ。最近8年間を踏まえて本書を2007年に読んでみると著者の慧眼が随所に感じられる。特に米国の1998年当時の米国スタンダードの世界への押し付けへの警鐘は その後の9.11を十分に予言している。また もう一点としてIT産業が国家安全保障の鍵となるという指摘も 書かれたのが1998年である事を勘案すると 実に鋭い指摘だ。まだ日本が ネットバブルを迎える前に ネットのもつ一つの本質的な「顔」をきちんと描き出している。 次に本書の題名が「国家の論理と企業の論理」でありながら「企業の論理」…
|
|
|
ウェブ仮想社会「セカンドライフ」
|
|
くにたち蟄居日記/話はこれから
|
最近話題のセカンドライフへの興味で本書を読む機会を得た。 まだ知られていないセカンドライフ関係だけに セカンドライフ自体の紹介の域を出ていない内容だと感じた。これは別に本書を貶しているわけでは決して無い。新しいものが出てきた際には必ずかような本は登場するし それはそれで必要なのだと思う。 その意味では 正しく本書のミッションは セカンドライフの「紹介」にあると言っても過言ではないと思う。 僕の興味は セカンドライフというものが 果たして どのような社会論に繋がるかという点にある。例えば いまや名著の評判が高い「ウェブ進化論」が 社会論に踏み込んでいるようなレベルには 本書は到達していな…
|
|
|
シドニー!
|
|
くにたち蟄居日記/村上の優しいまなざし
|
村上のシドニーオリンピック観戦記。 エッセイの名手としての村上の評判は十分高いわけであり そんな村上が描くオリンピックも 軽快なものだ。但し マラソンランナーを描いている部分だけは 重厚であり その部分だけでも読み応えがある。 村上がマラソンランナーであることは有名だ。3時間台で走っているわけ。4時間を切るサブフォーランナーになることは市民マラソンランナーの一つの夢であるだけに その記録は立派だ。因みに僕自身は4時間17分がベストなのだが。 自分で走るとわかることだが マラソンは確かにドラマになれるスポーツである。4時間を超える「運動」で どこが疲れるかというと 意外と「精神」なのであ…
|
|
|
たのしいムーミン一家
|
|
くにたち蟄居日記/ムーミンの入門編
|
ムーミンシリーズを初めて読む方は まず本書を手に取るべきだ。 ムーミンシリーズの登場人物がきちんと出てきているし 他のシリーズ作に時折見られる 奇妙な暗さも無く 誰もが楽しめるように出来ている。 話は 魔法の帽子に始まり 最後は帽子の持ち主が念願のルビーを手に入れるところで終わる。魔法の帽子が起こす 数々の魔法は 楽しいし しかも なんとなく教訓も入っている点も悪くない。そう 子どもの頃は そんな教訓からも学んだのだと思うのだ。 別のシリーズ本のには ムーミンは子どものためだけではないと書いた。その思いは 本書に関しても変わらない。但し 子どものためになるということも確かだ。本書を思い…
|
|
|
村上朝日堂はいほー!
|
|
くにたち蟄居日記/うさぎ亭を巡る謎
|
このエッセーで取り上げられているコロッケ屋の「うさぎ亭」は名高い店だ。 どこにあるのか、本当の名前は何なのかを村上は明かさない。ここで僕は「風の歌を聴け」のハートフィールドを思い出す。 ハートフィールドは 村上の処女作「風の歌を聴け」の冒頭に引用される架空の作家である。本書を初めて読んだ1980年半ば段階では この作家の実在を信じて 探したものだ。インターネットの検索などが無い時代のことである。僕の徒労ぶりが分かっていただけると思う。しかし 結論としては村上の創作だったのだ。処女作で架空の作家を引用する村上の確信犯ぶりには 今なお脱帽だ。 そんなわけで 若干「すれた」僕としては このう…
|
|
|
粗にして野だが卑ではない
|
|
くにたち蟄居日記/心を鉄筋にするということ
|
出張の機内で読み始めた。大変読みやすい本で あっという間に読み終えた。 読んでいて 最近人気の白川次郎を思い出した。白川ほどのエリート生まれではない分 石田の方が泥臭い。但し その泥くささは 実は「泥をかぶってきた」という面が見えて大変面白かった。白川の方が やはりお坊ちゃんであったのだと思う。 本当の石田が かように格好良い人であったかどうかは 僕にして知りようが無い。但し 読んでいて 石田が 本書に書かれていた通りの人であることを強く祈ったものである。それほど 明治生まれの気骨を強く感じた次第だ。 最近 「骨太」「鉄骨」等 骨という感じを使うものが増えた。それだけ僕らに骨がなくなっ…
|
|
|
ギャル革命
|
|
くにたち蟄居日記/彼女がおばさんになったら
|
仕事の戦友から借りて読了したところだ。 まず 矢沢永吉の「成り上がり」を強く思い出した。何の後ろ盾も無い若者が 自分の才覚で芸能界で成り上がるというストーリーが完全に共通している。 但し 矢沢の場合には 既に完全に成功した段階で 自分の半生を語っているのに対し 本書の藤田の場合には まだ話は始まったばかりの時点であるという点が決定的に違っている。この点で 矢沢の方が説得力がある一方 藤田の場合には今後が楽しみでもある。 次に「ギャル」という点だ。 藤田は 自分がギャルであるという点に強く依存して 自分の言説を形成している。「ギャル」という言葉も 既に20年に渡り使われてきており いま…
|
|
|
ソシュールと言語学
|
|
くにたち蟄居日記/赤ちゃんが良く眠る理由
|
自宅近くの古本屋で ソシュールの「一般言語学講義」を買ってしまい いきなり原典も読めないだろうということで 解説書として本書を手にした。つまり 言語学には全くの素人が読んだということである。 前半のソシュール自身の思想に関しては かなり分かり易かった。ソシュールの「一般言語学講義」をぱらぱらと見た限りでは そもそも日本語が難解で いささか悲観視してきたが 本書を読んだ事で 少なくとも ソシュールに関してイメージが出来た点は大いに役立ったと思う。 後半のソシュール以降は 正直難解であった。やはり「基礎体力」がない中で マラソンに出たようなものだったのかもしれない。最近は難解な本を繰り返し読…
|
|
|
EV.Café
|
|
くにたち蟄居日記/村上龍のしたたかさ
|
図書館で借りて とりあえず ざっと読んだところである。面白いので購入する気になった。 村上龍が 幾分素っ頓狂な発言をしている 点が面白い。村上もそれを分かっていて本書の発行に合意したのであろうから これは確信犯である。坂本龍一が 幾分 知的に「過ぎる」雰囲気で この幾種もの対談をこなしているのとは対照的だ。 トリックスターという言葉がある。村上が 本書で目指したポジションは トリックスターという 一種の道化役だったのかもしれない。そもそも 村上龍という作家は 経済やスポーツなどを面白がり 面白おかしく語るという「軽み」が 身上であると思う。その意味で 対談相手として出てくる各界の著名人と…
|
|
|
愛と幻想のファシズム
|
|
くにたち蟄居日記/村上龍のフットワーク
|
村上龍の諸作の中でも意欲作という意味では屈指の作品。 僕は村上龍の最高傑作は「コインロッカーベイビーズ」だと思っている。同作が発表されてから 既に20年以上経っている。つまり僕としては この20年間 村上龍は それを超える作品が出せていないと判断していることになる。 そんな中で 本作は惜しいといえば惜しい。 村上龍の身上の一つは 野球、映画、テニス、ゴルフ等への広範囲な好奇心にあると思う。実際 村上は実に軽快なフットワークで いろいろなものに挑戦してきている。実際 本をかく前は 美大生であったわけだし その前はバリストを行う佐世保の高校生だった。本を書いた後も 映画監督をやるなど …
|
|
|
対話の回路
|
|
くにたち蟄居日記/サラリーマンの小生として
|
初めに断っておくが 小生はごく普通の会社員であり 通勤電車で日経を読みつつ どうやって仕事をやろうかと考えている生活を送っている。従い 例えば網野善彦さんとの対談に出てくる各種人名については 知らない人も多い。 読者としては 全く資格を欠いているとしか言いようがない。それでも 小熊さんの作品が出ると 割りと買っているから不思議である。そして自由な読み方で読んでいる。 例えばインド日記を読んだ際には 何より 小熊さんの強烈な「好奇心」に痺れた。日経通勤の小生としては 「これは新入社員の読本にすべきだ」という 誰も期待していないような感想を持つに至った。 単一民族神話の起源を読んでいると 会社に…
|
|
|
清水幾太郎
|
|
くにたち蟄居日記/隣の清水幾太郎
|
薄いブックレットながら 内容の濃い一冊になっている点は 流石 小熊英二である。 小熊の 時には辛らつで ユーモアというよりエスプリに近い筆致には時として笑い声を立ててしまうほどである。清水幾太郎とは同時代ではないし 著作も読んだことはない小生としては 名前程度しかしらない人である。因みに 安保世代の小生の母親に 清水幾太郎はどんな人だったかと聞くと「いい加減な人だった」との一言であった。 それにしても 清水幾太郎は 極めて「正直」である点は 逆に親近感を持ってしまった。一体自分を「売文家」と言い切れる人が どのくらいいたのか? 小熊が紹介する 清水の数々の「本音」は 本当に驚くほど正直である…
|
|
|
荒木経惟写真全集
|
|
くにたち蟄居日記/共犯関係という夫婦
|
この写真集は繰り返し見ている。 この写真集に見られる陽子さんを見ていると「女性」というものが見せる 余りにも様々な「表情」に いささか圧倒される。僕が男だからかもしれないが 女性が有している いろいろな側面は 中々分かるものではない。実際 道を歩いている良妻賢母のような表情を見せている陽子さんと 性行為中の陽子さんが 同一人物であるということは 写真集という形で突きつけられると 一瞬たじろいでしまう。 但し 結局 そこまで自分の妻を曝け出した荒木の主張と そんな自分の夫と共犯関係に入った陽子さんという構図が この写真集を限りなく美しいものにしているとも思うのだ。 夫婦愛という言葉がある…
|
|
|
週末起業チュートリアル
|
|
くにたち蟄居日記/ライトでポップな起業
|
図書館で借りて読んだ。 正直「薄い」という印象が強かった。早朝勉強であるとか通勤時間を早くするというような話は 一時期はやった同種の本と同じ内容である。ネットワークの創り方などにも 驚くべき新味はない。 筆者の経歴の紹介部分も それなりに面白かったが 海外転勤で会社のエゴを感じていやになった等は 今に始まった話でも無い。 僕が興味深いと感じたのは かような本が売れる日本の状況である。「起業」ではなくて「週末起業」と謳った点が 著者の発明だったと思うのだが 「週末」で起業できないかという 一種のライトでポップ(古いか?)な感覚が 受けているのだと思う。 そう読むと 将来振り返って 日本…
|
|
|
西郷南洲遺訓
|
|
くにたち蟄居日記/幕末の哲人
|
岩波文庫の中でも実に頁数が少なく 従い薄い本である。しかし この本に言及する人も実に多いのも事実だ。 西郷隆盛は 伝説化された「巨人」である。幕末から明治にかけた 国難の時期には いろいろな人物が雲が湧くかのように出てきた様子は 例えば司馬遼太郎の幾つかの著作を見れば良く分かる。彼らの頑張りで 今の日本があるといっても過言ではないと思うが その中でも西郷は頭一つ抜けた存在になっていると思う。 特に西南戦争で亡くなったことが 余計に伝説化を推進したのだと思う。 能力的には他にも優秀な人材がごろごろしていた時代だったと思うが 哲人という意味では西郷以外には 案外見当たらないと思う。坂本竜馬…
|
|
|
社内ブログ革命
|
|
くにたち蟄居日記/過渡期の一冊という使命
|
出張の機内で読み終わった。 ブログを社内で使えないかという動きが初動段階である現在刊行された著作であるだけに 内容的な「薄さ」は否めない。というか 本日段階では 今後果たしてブログが どのように社内ツール足りえるのかが 誰も分からないので これはしょうがないと思う。 こういう嚆矢の一冊は 3年後で読み返すと 「当時は この程度の話だったのだな」と思うものだ。逆に言うと 今から3年後を どのように見据えていくのかが出来るか出来ないかが ビジネスの分かれ道なのだと思う。 その意味では 現在に本書を読み込んだ上で そのような展開を自分で考えて 切り開いていくのかが 肝要である。 「過渡期の…
|
|
|
監督 小津安二郎
|
|
くにたち蟄居日記/スノッブな小津ファンだった頃、
|
僕は小津の映画は 相当好きだ。 1960年代に生まれ 1980年代が主たる青春時代の舞台だった僕が 小津のどこに惹かれているのかは 正直今でも分からない。 これが例えば 黒澤明であれば 考えることはない。どう見ても 黒澤映画は世界的に考えても面白いからだ。 それに比べて小津の映画は 好きな理由が難しい。 蓮寶重彦の本書は 小津好きの映画ファンには いっときバイブルのような様相を示していたと思う。本書を抱えて 今は無き銀座の並木座に行っていた頃の僕は 今考えても スノッブな小津ファンだったのだと思う。それからもう20年経った。 LD(DVDではなくて)でたまに見る小津映画は やはり面…
|
|
|
ウェブが創る新しい郷土
|
|
くにたち蟄居日記/地域発信力の強さとは?
|
「ウェブ」をタイトルで謳いながら 「ウェブ」が主人公ではない。 著者の関心は 地域の「村おこし」のような点にある。「村おこし」を企画する中でWEBを起用するケースが散見されることで タイトルにやや強引に「ウェブ」を飾ったという事なのかと思う。WEB2.0が声高に語られている現在の販売戦略として頷けるものはある。 但し内容的には IT関係ではなく 寧ろ これも現在語られている「格差社会」に近い地点に立っているのかもしれない。著者は いくつかの地域が その地域発の「発信」を 先進事例として 取り上げている。「格差」とは 直接言及されていない。しかし 「弱者が 知恵を絞って 世界に向けて発信す…
|
|
|
四〇歳からの勉強法
|
|
くにたち蟄居日記/素直な一冊
|
非常に素直な本である。 この手の「勉強法」は 大概 学者やジャーナリストなど 「勉強」を生業としている人が書く場合が多い中で 総合商社勤務の会社員が書いているという点で珍しい一冊である。 内容的には 鬼面人を驚かすようなアイデアがあるわけではない。但し 著者が 地道に真面目に勉強を重ねている点は よく伝わってきた。 実際 高校受験の参考書を 40歳を超えたサラリーマンに薦めるということは 実に 融通無碍であると感心するばかりだ。学者やジャーナリストだったら こうは書けないはずだ。著者の「アカデミズムからはなれたポジション」があって 初めてそれを可能にしていると言っても過言ではない。…
|
|
|
格差社会
|
|
くにたち蟄居日記/話は始まったばかり
|
読みながら違和感を感じつづけた点をまず正直に表明したい。 例えば この本を世界の本当に貧しい人が読んだらどう思うのか?彼らからしてみると 日本の貧富の差などは 差でも何でもないと思うだろう。本当の貧富の差とは 収入額の差以前に まず生きていけるかどうかであるという現実が 世界にはあるのだと思う。 勿論 逆にそういう極端な海外の事例を引き合いに出して 日本の格差社会を論じるのも 乱暴だという反論もありえよう。「日本」という社会の中での「格差」を論じることは それなりの重要性があり 海外との比較は意味が無いとも言えるかもしれない。 但し その一方では ジニ係数にて 「海外の先進国」との比較…
|
|
|
シュリーマン旅行記清国・日本
|
|
くにたち蟄居日記/清潔と評された日本の江戸時代
|
家の近くの古本屋で見つけて購入した。 トロイの遺跡で有名なシュリーマンが日本に来ていたとは不勉強で知らなかった。江戸時代の終わりに 中国を経て 日本に来ていたのだ。 シュリーマンは日本を非常に好意的に書き出している。それは その前によってきた中国(上海)と比較してもはっきりしている。シュリーマンが書き出す日本は 清潔で勤勉な国である。そんな日本人の末裔としては いささかうれしくなったものだ。この本が日本で翻訳され 読まれるとしたら 日本人として読んでいてうれしくなるからではないか。 そんなふうに思った。
|
|
|
たまもの
|
|
くにたち蟄居日記/とんこつラーメンを毎日食べることは僕には不可能なのだ
|
住んでいる街の図書館で借りてきて読んだ。かような写真集を置く図書館というのも 見識というべきかもしれない。 写真家の女性と文筆を生業とする二人の男の 三角関係の物語である。アラーキーが出てきたりと舞台装置には「文化」の香りが匂い立っているが 要は ドロドロの男女の物語と言ってよい。「私小説」という 聞こえの良い言葉があるが それに近い写真集である。写真集を私小説にしたのは 先述の荒木が嚆矢だと思っているが 神蔵も正しく 荒木の弟子である。 僕にとって 全く関係の無い三人の男女の物語である。自分に関係が無い人の話は えてして面白いのが 人間の業の深さである。すっかり読み耽ってしまったものだ…
|
|