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東京バンドワゴン
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空蝉/虫干しされてみようじゃないか
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サザエさん』が『男はつらいよ』風になって、彼らにミステリーを展開させたらこんな感じ・・・かもしれない。明治から続く由緒正しき古本屋その名も『東京バンドワゴン』。そこには笑いあり涙ありのどたばた悲喜劇がくり広げられ、なんとも個性豊かな面子を揃えた大家族が店を切り盛りしている。伝説のロックシンガーは愛(LOVE)を語り、他界した祖母は未だこの世で彼らを温かく見守り、子供たちと孫たちとその家族たちはサザエさん顔負けの賑やかな毎日を盛り立て、世代も感覚も性格も皆が皆、いい味を出していて飽きることないホームドラマ。堀田家9人。主要メンバーだけで9人!顔と名前を覚えるのが苦手な私にこれが区別できるのか?実…
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荒野
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空蝉/その後は貴方のお気に召すまま
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日記でも何でも、こうして文章に自分の気持ちを一度書き起こして読み返すとき、奇妙な違和感をかんじることはないだろうか?これほど伝えたいことがあるのに、あんなに沢山の気持ちと色々な『私』が混在しているのに、言葉にするとなんとあっけない、たった数えるほどにしかならないのだと、少しがっかりしたような安心するような寂しいような気持ちになる。きっと女という生き物そのものが、そうなのだと本書にて思い知る。幼き小学生から大人一歩手前の高校生へと成長する少女・荒野。そして書くこと以外全てに無関心、陽炎のような、しかしやたらと女にもてる恋愛小説家の父。荒野の同級生・悠也を連れ子に義母となった女・蓉子。少年は荒野・…
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光の海
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空蝉/ファンタジーでもなく、伝説でもなく。
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不思議なくらい、人魚の物語には悲しい物語がつき物である。最も有名なところで「人魚姫」だが、古今東西、下半身が魔物(魚)だからという相容れない世界の生物だからであろうか、それとも架空の生物であるが故のかなわぬ恋であるからか、人間は必ず恋に落ち、必ず悲劇のうちにその物語の幕は閉じる。そして本作もやはり、人間と人魚の悲劇の短編集である。ただ今まで観てきたような涙に暮れるだけのラストではけしてない。そもそも人魚という架空の存在が当たり前に存在しているし、生態が未だ解明され尽くしていない稀少動物のような位置で、現実に確かに居る存在である。存在すら信じてもらえない妖精や幽霊とは違いそれだけでも悲劇性は少な…
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完全恋愛
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空蝉/恋に一生をかけた男と、恋する男を一生愛した女と
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他者にその存在さえ知られない罪を完全犯罪と呼ぶでは他者にその存在さえ知られない恋は 完全恋愛と呼ばれるべきか?冒頭に掲げられたこの問いかけに貴方ならどう答えるだろうか。本書は戦中戦後さらには現代へ、時代も国も人も心も目まぐるしい変化した時代の流れにあって、生涯かけて恋し続けたいとおしい程愚かな人間たちの物語である。ひたすら恋い慕い続け、時には犯罪すら隠蔽し、彼女が嫁ぎ死して後もその娘すら愛し続ける・・・大筋としては単純な筋書きのミステリーなのだ。 一人の男の少年時代から始まり、彼の恋と彼女の犯した罪があり、一夜の思い出を心の糧に、少年はただ一途に愛し続ける。大画伯へと成長して愛を隠したまま「何…
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ロードムービー
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空蝉/道の後先
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よく「子供は大人が思うほど子供ではない」というけれど、本当だろうか。子供はいつだって背伸びをしたがる。大人の期待に応え、周りに褒められることに必死になるし、自分の弱みを見せずに窮屈そうに平気を装う彼らは毎日自分の中に何かを溜め込んで黙って底に立っている。けれどそれは必死煮の抵抗。きっと彼らは大人が思うほど子供ではないけれど、自分で思うほど大人でもないのだ。本編は3つの「道」を表題に冠した短編集だが、道そのものというよりは通過儀礼とでも言うべき一つのターニングポイントとなる短い旅と、新たに始まる旅への物語だ。相談したり頼ったり、手を引いてもらったり・・・そうした素直さやはけ口を持てない「大人びた…
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静かな爆弾
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空蝉/世界で唯一つだけの神様探し
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今、手を伸ばせばたいていのものも情報も手に入る便利かつ平和ボケした日本という島国で、私たちは色々なものをそぎ落として日常に埋もれている。自分のことですら忘れがちなのだ。海を隔てた世界の出来事、ともすれば隣人の事情すら日和見で、当たり障りない平凡な日常をそつなくこなすことに充足してしまっている。所詮他人事なのだと知っている、思い込む、そうして安心できる国と社会と人間(ジンカン)に住んでいられる世の中だから。本書に登場する(現実の記憶にも新しい)宗教による戦争や大仏爆破というニュースにも多くの日本人は動じないし、なぜ大仏は破壊されなければならなかったのか、その真実に迫るドキュメンタリーの取材に奔走…
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メメント
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空蝉/ハードルはどこまで低くなるのか、その時私は?
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毎度タブー視されがちな問題に切り込む森氏だが、今回は誰もが必ず辿り着く「死」がテーマだ。氏の公私踏まえた日常にチラチラと影を見せる死、それは飼い犬の話しであったり取材先タイでの出来事だったり、本の些細な日常茶飯事に潜んだものだったり・・・時も場所も選ばぬコラム集といった感じだが、なといっても死はいつどこで降りかかるか解らない絶対不可避のイベントなのだ。これでよいのだろう。自殺に他殺、自死(アポトーシス)に壊死(ネクローシス)、事故死に自然死・・・様々な形が死にはあるが私たちの脅威となるのは故意の死だ。自殺に他殺に殉死etc。故意の死を迎えた(与えた)彼らは死へのハードルが低いのだと嘆かれる。つ…
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さくら
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空蝉/愛に溢れたこの世界で
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文章は解りやすくて読みやすい。会話しているように単純でひとなつっこいほどなじんでしまうちっともな語彙、何気ない普通の家庭が大半を占める。だけどこの中には沢山の心、喜びも悲しみも、切なさも苦しみも全てぎゅうぎゅうに詰まっている。そう、ぎゅうぎゅうに。何事にも全力で真っ直ぐ体当たりして生きてきた彼ら兄妹と、温かく見守る父母と、いつだってその一家の幸せ象徴するように大安売りして振りまいていた一匹の犬・サクラの、(少し恥ずかしいけれど)愛にあふれてどうしょうもない物語なのだ。物語はずっと行方不明になっていた父からの一通の手紙に突き動かされるようにして、弟が実家に帰るところから始まる。万能のかっこいい頼…
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ブードゥー・チャイルド
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空蝉/子供らに
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前世で惨殺された幼児チャーリーの記憶をもつ晃司は殺人悪魔バロンサムディの影に怯える。義母が殺され現場にBサムディの形跡が残った。僕は一体誰の子なのか?父は、母は何をしたのか?チャーリーは一体何者なのか?前世は、現世とリンクしているのか?彼は自分の出生つまりチャーリーという前世の自分を探して奔走する。人に会う。チャーリーという前世を背負って、もしくは自分が不義の子ではないかと、自分のせいで義母は死んだのではないかという罪悪感を背負って、死ぬためではなく生きるために必死に救いを、ことの真相を捜し求めている。 ことの結末はまったくもって単純に素直に収まった感があるが、しかし現実なんてそんなもの、むし…
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火車
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空蝉/頂上の石ころはやがて借金地獄という名の雪ダルマになり貴方のもとになだれ込む
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借金地獄というのは文字通り、雪ダルマ式に借金と不幸が転がり膨れる転落人生となる。カードローン、不幸続きの人生、孤独な年月。全ての「火の車」から飛び降りて「あるべき」自分になりたかった一人の女がいる。彼女は他人に成り代わるために女を殺害し新たな人生を歩みだそうと彷徨する。しかし結局なりきれなかった。逃げ場は何処にもないのだと、彼女の叫びが耳に残る。ただ幸せになりたくて現状から逃げ、こんな人生は嘘だと、本当の自分は「こうあるべき」と理想を追い求めてひた走る。火の車から降りたつもりが、結局いっそう勢いのついた火の車に乗っている。彼女は殺そうとした人間の過去に赴き、人に土地に触れることでその人生をなぞ…
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おそろし
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空蝉/その先にある悲願を叶えん
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多くの人は悲しみや苦しみを抱え、押しつぶされそうに成ると助けと救いを外に求めてしまう。誰か話を聞いてくれ、誰か私を救い出してくれ、ここから連れ出して、誰かこの苦しみを代わりに負ってくれ・・・自分の中で全てを浄化できる人間は、今も昔もきっと少ない。悲しみは心を閉ざさせ、苦しみは目を曇らせ、辛い思い出はその過去も今も自分自身すらも押し殺し、ソレに囚われて身動きできなくなる…そんな彼らを人は地縛霊、などと呼ぶのかもしれない。本書にも登場する人食い家は、そうした暗く悲しい、恨み辛みを抱え込んで動くことすらかなわなくなった吹き溜まりの具現化なのかもしれない。余談だが、西洋のお化け屋敷は家そのものが人を襲…
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非正規レジスタンス
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空蝉/非正規は日常の中に
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IWGP第八弾。すっかり定番化した石田氏の長期ヒット作だが、その中身は相変わらず・・・いや、本当に変わらずいい味出している。かっこいいとかおもしろいとか、小気味いいとかいくらでも言いようはあるけれど、これだけ長期にわたるシリーズモノでこれほど質の衰えないものも珍しい。池袋の裏路地の小さく古い青果屋の一人息子で、定期的にコラムを書いている街のトラブルシューター:マコト。一見フツーだが実はヤクザにもお偉い方にも警察にも通じており、池袋を締めるグループのキングと親友(といったら殺されそうだが)であるというスーパーマン・・・こんな非現実的な彼の存在がやたら親しく、その活躍が心底うれしく思うのは私だけで…
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流星の絆
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空蝉/三ツ星でなくても流星三つのハヤシライス
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この物語は特別凝った技巧やトリックがあるわけでも、猟奇的な殺人があるわけでもない。いわゆる「驚くべき」と展開はなく、おそらくこうなるであろうと予想のつく結末に辿り着くのではないだろうか。しかしだからこそどこか懐かしく、わかりやすく、共感してしまいやすいのかもしれない・・・作中の人物に真正の悪人はおらず、誰も彼もがやむをえない事情を抱え、いくつかの偶然に引き寄せられるようにして当事者たちが縁り合わさっていく。そう、東野作品の多くはいわゆるご都合主義の偶然の上に成り立っている。しかしそれを差し置いてもドラマチックな展開に読者を引き入れ飽きず読ませてしまうのはやはり卓越した持ち味と言うべきだろう。い…
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予知夢
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空蝉/事実ではなく真実に優しい証明
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今やドラマにも映画にもなりすっかり有名になった物理学科助教授、探偵ガリレオ、湯川学。いや、ガリレオよりはホームズと呼ぶにふさわしい。ただし彼のもとに舞込むのは旧友の刑事草薙の持ち込むオカルト的事件、しかも本来素通りするような些細な「不思議」である。オカルトめいた題を冠した5作からなる短編集でライトな文章、さわやか?な会話、軽い皮肉やジョークがちりばめられた何気ない謎解きなのに、本格ミステリーが根本に押さえられている不思議と明かされるべ人間関係、忌まわしい過去、事情…そして目の前に残された死体と謎。そしてそれらに挑む名探偵と刑事。要素は充分そろっているのだ。さて。探偵ガリレオシリーズはオカルト的…
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真昼の月
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空蝉/真昼の月の下で
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祖母亡き後母も父も去った鎌倉の家に残された3人姉妹と、異母姉妹の妹が共に暮らすようになって一段落したのが前作。第二巻となる本書は平凡で、だけどその時、その彼女自身にとっては重要な、其々の事情を抱えた「出来事」が現れては消化されていく。4人姉妹とも年齢が離れているから扱う話題も問題も様々。だからこそ読者にとってはどこかしら共感するところがあるに違いない。何よりここにある出来事も事件も事情も、行き着く先は私たちの最も身近で厄介な存在、家族にあるからだ。吉田氏にとってきっと鎌倉は題名にあるとおりDiary、つまり日々の出来事、平凡な日常だ。そこには家族も友達も恋人も居て、「真昼の月」のように気がつか…
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いっちばん
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空蝉/まだまだいける!まだ続く。
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前作では幼馴染の親友や実の兄が傍を遠くはなれ自立していったり、いつくしんだ桜姫とのあっという間に過ぎ去った日々など、別れとおいていかれる悲しみが多かっただけに、今回はどうなることやらと心配していた読者は多いのではなかろうか?もしやこのまま兄やたちとも別れ次は最終回か!?などと私なんぞは予想していたのだけれども、うれしいことに期待を裏切っての続刊。やはり妖怪、そうかんたんには終わらないらしい。若旦那・一太郎の周りには元気の無い若旦那を少しでも元気付けようと一番を争うほど元気な居候妖怪たちがたくさんいるし、相変わらず人一倍、いや百倍は甘甘に心配してばかりいる過保護な大妖怪=兄やたちもいる。しかしそ…
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虚夢
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空蝉/彼の見ている世界に、私はいるのか。
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昨今、度重なる悲惨な事件がおおい。そしてあまりに残虐なケースは、加害者が精神に異常をきたしていた、つまり精神障害者という精神鑑定が必ず法廷の場で問われる。ややこしい法律や人権の問題は私たち一般人にはなかなか答えを出すことは難しい、ましてや当の犯罪者の心情など理解しようがない、しかし本書を一つの手がかりに、主観を取り除いて見直して欲しい。まず精神障害者とされた加害者は刑が軽減されるが、社会的生物である人間としての尊厳もまた剥奪される。これは妥当といえるのだろうか?例えば本書の通り魔事件。被害者遺族の悲しみも怒りも計り知れないが、被害者とその遺族が求めている答えは、加害者が病気であるかどうかではな…
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花がふってくる
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空蝉/花も蛍も今宵限り
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今市子さんの美しい表紙につられた私が言うのもなんだが、思いがけない収穫だった。描かれるのは子供っぽくあどけなさ残る居候主人公・秋祐と、同い年の従兄弟でありながら正反対に大人び自立している同居人・涼嗣。子供の頃からひそかに恋焦がれ続けた涼嗣に結婚話があがるところからこのドラマは始まる。周りの全てのことに興味も執着も持てず厭世的な生き方がしみこんでしまった涼嗣。そんな彼を遠巻きにしてしまう人々も秋祐にはこぞって愛情を惜しみなく注ぐ・・・。一方秋祐の姉に涼嗣は憧れという恋心を抱いた昔日の夏日、その日から秋祐は涼嗣への恋心を諦めてきた・・・。 二人の関係はどこまでも兄と弟、保護者と子供のような関係だ。…
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ブラック・ジャック・キッド
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空蝉/まだ見ぬ未来のHOMEに
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一人の特異な少年の、「普通」との葛藤と自分自身の成長を描いた物語、というと端的過ぎるかもしれないがこのテーマこそ著者の得意とするところなのだろう。少年の頃のまっすぐで意固地で何かに異常なこだわりを見せる純粋さをいつしか忘れて、人は大人になる。私も、貴方も、彼も彼女も。この世界で人であるということは社会的共同体の一員として常識とルールを保ち恙無い日常を送るということである。そしてそれは抑制であり息苦しいものであり自分を押し殺すことであり・・・だから大人は「子供」に憧れる。彼らの自由に憧れ、かつて居た自由な世界に。こうして、力強い彼らの物語を描かずにはいられないほどに。その少年はクールで圧倒的に強…
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放送禁止歌
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空蝉/放送禁止という幽霊ソング
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先日ある若手人気歌手の新曲が‘放送禁止’になり話題を呼んだ。その反響は大きく不満を口にする若者やFAN、逆に当然ととる年配者や保守派など意見は様々で私の母65歳も後者だ。彼女にとって「開放すべき放送禁止歌」は『ヨイトマケのうた』であり、国とか権力に蓋をされた悲劇のヒロイン的存在であって今回のような死を助長する歌(にもとれる)ではないらしい。しかしヨイトマケは本当に放送禁止歌なのか?そもそも放送禁止って?簡単に手に入る情報で麻痺した日本人にとって森達也の書はいつも警笛を鳴らしてくれる。本書も見事に根底から思い込みを崩してくれた。まず放送禁止歌なるものは日本に存在しない。'59民放連が発…
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夜明けの街で
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空蝉/出来ればわかりたくない物語
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不倫の話・・・なんてのには今まで興味も無かったし読む必要も感じなかった。本書の主人公・渡辺も、相手である女性・秋葉も、またほとんど多くの人間がそうに違いない・・・(と願いたい)が、本の些細な出来事、ちょっとしたきっかけで人の心は遊びだし、滑り出したらとまらない滑走路は何かにぶつかりクラッシュするまで加速する。「出逢ってしまった」「本気だったら仕方ない」そんな慰めの言葉を言い訳に彼はどんどん深みにはまっていく、そのあまりに幼稚で単純であっけない様は小説的には物足りないが、現実はこんな程度のものだろうとかえってリアルに感じた。リアルなあっけなさ・・・東野作品の中では珍しく泣かせも感動も無い、経験者…
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コペルニクスの呼吸
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空蝉/非日常の呼吸に昇華する魂
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これは堕落した一人の魂がやがて昇華されるまでを描いた救済の物語だろうか?それとも人は己でしかありえないのだという、孤独の叫びであろうか?いや、その両方か?まだサーカスという見世物が古き時代に溶け込み、人の欲望と嘲笑と興味の視線の中で息づいていた時代。とあるサーカス団に彼トリノスは、その身体を売り魂を投げ、心も己も名前をも捨てピエロとして存在していた。彼の過去を知るという外交官オオナギの、甘いヤサシサに逃げ込むようにサーカスを後にしたトリノスは、与えられたあたら数名と共にサーカスの無い人生へと逃避するが、その邸宅には彼の最愛にして最も怖れている過去・弟を思わせる少年が居た。何かにつけ現れる弟ミシ…
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寄留者
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空蝉/未だ訪れぬ未来の帰る場所へ
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人間にとって最も大きな出会いの一つは紛れもなく生涯の伴侶となる異性、つまり妻・夫とよぶ人物である。共に半生を送り、おそらく多くはどちらかがどちらかを看取り、どちらかは子供達に看取られその幕を閉じる。つまりは家族の中に生まれ、家族の中に死にゆくのである。いや、そうであった。しかしますます希薄になる今日の「家族」、看取り看取られ逝くというたったそれだけのことが「理想」となっている気がしてならない。子供も独立して家庭を持ち、病気の妻のため会社を引退し二人静かに余生を送っていた彼に、突然妻の思いがけない死が訪れる。長年連れ添い知り尽くしていると思っていた妻の死、しかし彼が知ったのは自分の知らない妻の顔…
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償い
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空蝉/だから私は生きていける
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私は女流作家を卑下するつもりはないのだが、矢口敦子という作家は非常に女流作家らしい作家だ。全体的に言って、情緒・主観などと理性・客観の比率において男性のそれよりも女性のほうが前者に重きを置きすぎる傾向がある。恋愛小説ならともかく、ミステリにおいて欠点ともいえる。キャラクターの情緒に左右され、ミステリが主観と感情の中で溺れてしまう物語はリアルであること、つまり起こりうるという臨場感を殺してしまうからだ。しかし本書におけるこの「女流作家らしさ」は必要不可欠というしかない。テーマである人間の業、生への執着は感情も主観も偏りもなくしては語れないのだ。まずこれは己の罪に押しつぶされ厭世的日々を決め込みホ…
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キャラクターズ
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空蝉/合わせ鏡の中の私へ
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この書評は書き難い。どこを基準となる立ち位置、つまりリアル(現実)においたらよいのか解らないからだ。そもそも構成自体説明するのも難しい。現実と作中の人物を交錯させいつの間にか現実と架空の境界があやふやになっていく、という構成なら他にも見る。ところがだ。本作は単なるリアルR 対 フィクションFでは終わらない。R1、R1、またF1、F2・・・と合わせ鏡のように「私」が増殖していくのだ。もはや誰が現実か、どれが本物か、何が真実かなど意味を成さない。ただ、そこに描かれている物語を読み感銘あるいは批判し自分なりの答えなりの「批評」を見つけられればいいのだろうと思う。作中の物語に「リアル」として自分自身と…
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遊郭のはなし
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空蝉/とらわれているのは彼か我等か
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最近の花魁ブームには目を見張るものがある。メディア的には映画『さくらん』のヒットで大ブレークしたかに見えるこの花魁ブームだが、活字界ではもう少し前からひしひしとこの波は高くなってきていたかと思う。本作もそんなブームにのっとった「女のはなし」かと思いきや、どうもそれだけでは終わらない。インタビュー方式のように吉原の住民の「語り」で延々と続いていく怪談話。最終章でわかるかと思うが、どうやらこの取材人は読売人、つまりはブン屋、新聞記者だ。ふと踏み入れた吉原、一度足をとられたら抜け出せない泥沼のように、次第に聞き手は吉原の奥へ奥へと引きずりこまれる。彼の掴んだ怪談話の一端『赤い櫛』、決して拾ってはいけ…
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ベッドタイムアイズ
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空蝉/その深い愛の泥沼の中で
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これほどいともたやすく恋に落ち、愛におぼれ、それが全てとなった物語を私はかつて知らない。たった一瞬交わされたEYESで始まり、あっという間に先の見えない泥沼へ溺れゆく二人の愛は、切ないとか悲しいとかそんな言葉では言い表せない。狂気と呼ぶには美しく、純粋と呼ぶにはあまりにも混ざり合ってしまった二つの魂が、私には狂おしくも妬ましいほどのマーブル模様に見えるのだ。クラブ歌手をする日本人女性・キムはスプーンと名乗る黒人兵とで愛欲の日々を送る。キムの全てとなっていくスプーンへの愛はあまりに深く濃く、やがて彼女の心全てを奪っていく。「私は失いたくない。私を束縛する(スプーンの)これらのものたちを。」彼が全…
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魔王
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空蝉/考えた先にみえるもの
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政治家や教育者の立場にあるお偉いさん方を「お手本」としてどうしようもない事件がここ何年も続いている。ワイドショーでもニュースでも、コメンテイターは日本人は恥じらいを忘れただの日本人のモラルが低下しただのとお決まりの文句を言う。品格という言葉が大バーゲンのように使いまわされバカの一つ覚えのように日本中が同じ責め文句を飛ばしあっている・・・モラルの前に語彙と、個々人の言動と行動の責任意識の低下に問題があるのではと思ってしまう。一言。正直、私は今国民の半数以上の支持を得ていたかつての小泉内閣が理解できなかった。TVやアンケートの統計とは裏腹に、当時小泉首相を支持している人間が私の周りにはいなかったか…
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鬼神の狂乱
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空蝉/鬼の狂乱と人の狂気と
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人が狂うということと、鬼が、神が狂うと言うことはどのようなことなのだろうか。人のソレは一過性の「症状」であるが、神が狂うとなると話が違ってくる・・・そう、鬼となるのだ。一人の凶気は時に集団の狂乱へと発展し、歴史的見地によって暴動、世直し、一揆・・・終には革命と位置づけられたりする。が、突如勃発した予測不能の自体、例えば本書のような狂乱は神や鬼のせいにされたりもする。現状から解き放たれ、全責任と権利を放棄し、あらゆる物事から自由になると言うこと、それは現状を捨て新地を開拓するということにも繋がる。 今私たちの考える、通常誰もが求める自由とはかけ離れた処に位置するソレは、時にまったくの無法地帯で己…
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雨の塔
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空蝉/貴方の中の少女というそのあやうさに
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世間から隔絶された女学校に「捨てられたお嬢様」である4人の淡く切ない恋物語・・・などと書くのは野暮だろう。確かに少女と言う存在そのものが、まだ確立された存在になりきれていない未成熟なモノというキャラである限り、本書に全体を通して流れる空気はどこか儚げで不安定で薄弱である。しかしここに渦巻いているものはそんなにかわいいものでは、けっしてない。手に入らないものへの執着、手に入れてた者への嫉妬、手に入れたいという切望と手に入らぬ己のもどかしさ。彼女らは何かに、誰かに出逢うたびに感化され、感情移入し、用意に影響されてしまう不安定な「少女」だが、それは外部からの止むを得ない要因による動力でも、圧倒的な存…
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