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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2011.6
- 出版社: 月曜社
- サイズ:20cm/461p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-901477-84-0
- 国内送料無料
紙の本
パリ日記
ドイツ占領下のパリに国防軍将校として配属されていた作家・思想家のユンガーがパリの作家・芸術家たちとの交流、祖国への破滅的な運命に対する省察、ヒトラー暗殺計画グループへの関...
パリ日記
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商品説明
ドイツ占領下のパリに国防軍将校として配属されていた作家・思想家のユンガーがパリの作家・芸術家たちとの交流、祖国への破滅的な運命に対する省察、ヒトラー暗殺計画グループへの関与など、透徹した思索と行動を記した日記。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
エルンスト・ユンガー
- 略歴
- 〈エルンスト・ユンガー〉1895〜1998年。ドイツの作家。第一次大戦に少尉として従軍。ナチス主導のアカデミーへの招聘を断るも国防軍に復帰。占領下のパリの参謀本部つきとなり軍部と党の確執の詳細を記録した。
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紙の本
夢の記述、本あさりの日が多い。そしてパリにいるためか好みか美術への言及が豊富なのは、頻繁に音楽を聴くトーマス・マン日記と好対照
2011/11/19 10:06
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書はドイツの作家エルンスト・ユンガーが、将校として赴いたパリ駐留時代に綴っていた日記である。1941年2月から1944年8月まで、途中コーカサスに転属させられた三ヶ月ほどをのぞいた期間にあたる。読んでいて、同じドイツの作家トーマス・マンの日記とくらべて、たんなる日々の記録、ドキュメントではない感じがした。
インターネットのサイトで知ったのだが、戦前に邦訳のあるユンガーの著作『鋼鉄のあらし』は、第一次大戦期、兵士として戦場にあったユンガーが大量の小型の手帳につけていた日記をもとにしたものらしい。16冊もあるというその手帳は現存しているが、それ自体は書物のかたちになっていないようだ。手にしにくい1930年の翻訳書を、機会があったら読んでみたいと思っているが、この『パリ日記』には《ユンガーは書き下ろしたものは一切手を加えず、そのまま印刷に回すというが》、という訳者あとがきの言葉がある。
ただ過酷な戦場でのノートと、優雅ささえ感じさせるパリ駐留の日記では、おのずから異なるところがあろう。日記の筆致から垣間見えるゆとりは(ただしヒトラーの政策や人格に根本的に対立する信条の著者にとって複雑な思いが日記の全体を支配している)、書かれたままの日記がほぼ活字化されたものだと推測させる。
ユンガーはなんと102歳まで生きたのだが、戦後も日記をつけており、かなりの分量がおおやけにされている。本書は私にとって初めて読むユンガーの著作だが、その文章の正確さと一種の気品を思うにつけ、戦後の日記も邦訳されるべきだと感じた。
トーマス・マンとくらべてみたが、本書には多数の著作家への言及があるものの、マンについては一言もふれていない。一方、同じころのマンの日記にはわずかにユンガーへの言及があり、編者は原注においてマンの書簡からユンガー批判を引用している。
興味深いのは本書において、かなりの数の「他の日記」が登場することである。日記をつけているユンガーは他の人の日記に興味を抱かずにいられないのだろう。
ユンガーがその印象を書きとめているのは、モーリス・ド・ゲラン、ゴンクール兄弟、アンドレ・ジッド、バイロン、サミュエル・ピープス、レオン・ブロワ、ヘッベルなどの日記であるが(ヘッベルの日記は同じころマンも読んでいる)、そのほか、カフカやトルストイ、バシュキルチェフやプラーテンなど、特に日記にふれているわけではないが、日記をつけていたことが知られている多くの作家への言及がある。著名ではなさそうだがデリソン伯爵の『中国の一通訳の日記』にふれ、《スターリングラードで戦死した兵士の手紙や日記》についても記し、索引にもないが《ザレウスキー中尉の日記を読む》とも書いている。
さらにパリに駐留していたこの時代に、ユンガーは多くのフランスの作家に会っているが、なかに日記をつけていた人がいた。ジャン・コクトーであり、ドリュウ・ラ・ロシェルである。また訳者注に、ポール・レオトーの《『日記』はユンガーのものとよく比較される》とあるが、そのレオトーもパリ時代のユンガーの知り合いの一人だった。
私は以前、コクトー『占領下日記』や『ドリュウ・ラ・ロシェル日記1939-1945』を読んでいるが、それらの本を所持していたら、ユンガーがコクトーやドリュウに会った日の彼らの日記を拾い読みしていたかもしれない。意外に日記をつけていた同士が出会ったその日に、互いについて日記でふれていることがある。かつて私はいくつかのケースで、そうしたことを指摘したが、それは瑣末事だとも感じている。
ユンガーの日記のなかで興味があり、また重要でもあるのは、対ヒトラーについての記述であろう。ユンガーはヒトラーについて常に「クニエボロ」と奇妙なあだ名をふっているが、一読すれば、それがヒトラーを指しているのは分かるように書かれている。問題はその危険さである。
『パリ日記』の最後のほうに、ヒトラー暗殺計画のことが記されている。暗殺が実行された数か月前の日記に書かれているが、ホーファッカー中尉が訪れ、ヒトラー暗殺を示唆することを尋ね、ユンガーは《暗殺計画の見通しについて》《抱いていた懐疑と不信感と嫌悪の情を》述べる。彼はもしヒトラーが倒れたら《ヒュドラが新しい頭を作る》、つまり別のヒトラーが現れると考えているのだ。ユンガーのこうした信念が暗殺未遂の後に吹き荒れた処刑の嵐のなかで彼をかろうじて救ったのではないかと思うのだが、たとえばグスタフ・ルネ・ホッケは『ヨーロッパの日記』のなかで、ユンガーの履歴として、《ヒトラー暗殺計画に参画したかどで追放される》としたためている。正確な記述とはいえないような気がする。
私が比較したいのは、戦時中に友人への手紙のなかでスターリンを批判した言葉を書いてしまったために告発され、ラーゲリ送りになったソルジェニーツィンである。彼は19世紀のトルストイやドストエフスキーにもくらべられる作家だと思うが、少なくともその文学の世界性が獲得されたのは彼の劇的な個人史に多くを負っているだろう。