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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2011.6
- 出版社: 河出書房新社
- サイズ:21cm/206p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-309-24554-6
紙の本
思想としての3・11
あの日から何が変わったのか、何が変わらないのか、何を変えるべきなのか。生、死、自然、震災、原発、国家、資本主義…。佐々木中、鶴見俊輔、吉本隆明ら思索者たちが今こそ問う。【...
思想としての3・11
紙の本 |
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- 税込価格:8,527円(77pt)
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商品説明
あの日から何が変わったのか、何が変わらないのか、何を変えるべきなのか。生、死、自然、震災、原発、国家、資本主義…。佐々木中、鶴見俊輔、吉本隆明ら思索者たちが今こそ問う。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
砕かれた大地に、ひとつの場処を | 佐々木中 述 | 2−29 |
---|---|---|
日本人は何を学ぶべきか | 鶴見俊輔 著 | 30−33 |
これから人類は危ない橋をとぼとぼ渡っていくことになる | 吉本隆明 著 | 34−42 |
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紙の本
原子バクダンを発見するのは、学問じゃないのです。子供の遊びです。これをコントロールし、適度に利用し、戦争などせず、平和な秩序を考え、そういう限度を発見するのが、学問なんです。(坂口安吾)
2011/07/08 22:44
8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
17人の論者たちのトークポジションは微妙に違い最後の「『来るべき蜂起』翻訳委員会 反原発のしるし」はメッセージ過多で編集上なくてよかったのではないかと違和があった。
印象に残ったのは佐々木中著『砕かれた大地に、ひとつの場処を 』、吉本隆明著『これから人類は危ない橋をとぼとぼ渡っていくことになる』、 中井久夫著『戦争から、神戸から』、加藤典洋著『未来からの不意打ち 』、森一郎著『世界を愛するということ』、池田雄一著『われら「福島」国民 』、 廣瀬純著『原発から蜂起へ』と言うことになる。共振もしくは読解の触手が届いたということです。
加藤典洋の「核抑止」ならず「技術抑止」という鍵概念には目からウロコでした。
《今回の原発災害の根が深いと思うのは、一つには、核燃料サイクル政策という問題です。これは日本が国策として中曽根康弘元首相などを先頭に長年推進してきた政策だけれども、今回わかったことは実はこれは核兵器を担保する政策だったんだということなんですね。そんなことにもよく目がいっていなかった。技術抑止という考え方があるようです。それは核抑止よりも洗練された政策思想です。核抑止というのは「核をもっているけれども使わないよ。隠しているけど使おうと思ったらいつでも使えるよ」というものですが、技術抑止力は「作ろうと思ったらいつでも作れるよ。でも作らない。とはいえ、何か問題が起こったら作るよ」という抑止なんです。まだ勉強途中だけど聞くところによると、ソ連とアメリカの核軍縮交渉が理念として掲げていたのは、核をすべてなくして技術抑止にまで退くというものだったようです。しかしそれは他のところに拡散しちゃったからできなくなった。つまり拡散防止と言いつつ、これは核の防止にもっていくという理念上の根本にあるのは技術抑止だったんですね。核抑止の最高度概念だと言ってよい。日本もその一貫のなかで技術抑止という考え方で実は核抑止をやってきたわけです。p73》
山折哲雄著『二つの神話と無常戦略』で言及された「ノアの箱舟」と「三車火宅」の物語は大雑把に言えばノアの方舟は選民、排除の「生き残り」の物語なのに、三車火宅は大乗、全員を救う物語だと仕分けして、「無常戦略」は生き残り戦略によって産み落とされた文明病の不安と緊張を宥め沈静化する働きがあると推奨しているが、突っ込みどころが多々ある論考で、少なくともキリスト教徒が怒るでしょう。
鶴見俊輔の「難民」を視野に入れた論考はもっと掘り下げて聞きたいと思いました。隔靴掻痒ですよ。木田元、田島正樹、立岩真也、小泉義之、檜垣立哉、友常勉、江川隆男、 高祖岩三郎と段々と僕の知的リソースでは太刀打ち出来ないことがあって目が泳ぎ始めたが、廣瀬純の論考は巻頭の佐々木中の論考ともども、シンクロし僕なりの理解が届いただけではなく僕自身も何かを語りたくなった。ということでこの二篇についてとくにフォーカスして書いてみます。
「3・11」の東北大震災を被災地の東北に限定しないでこの国、世界、地球という空間だけではなく時間軸も視野に入れた思考の軌跡を追った時、(1)地震・津波(2)原子力発電事故とは、分けて考えるべきだとつくづく思う。
ある経済学者は近代がたどり着いた先にリーマンショックで破たんした「金融工学」、今回の福島原発事故を生んだ「原子力工学」というカール・シュミットの「技術の魔術性」について言及していたが、リスク分散して見えなくするローリスク・ハイリターンのサブプライム「金融証券」と安全神話を作り上げた「原子力平和利用」とは同じ文脈にあったと今にしてつくづく思う。
金融工学、原子力工学が生み出した安全・安心な「お金とエネルギー」神話に囲繞されて暮らしをたてていたとも言える。それが崩壊した、しつつあるのです。
(1)に関しては、すでに「事件が起こった」。(2)に関しては、いまだに「事件が起こり続けている」。
この分類に関しては論者たちにも共通の了解があると思う。このあたりの事情を明晰に分析して論を発展させているのは廣瀬純で「制御」というキーワードで手際よくコントロールしてくれる。
《原発プロセスには始まりも終りもなく、ただひたすら準安定から準安定への連続的な運動があるだけだ。そして運動のこの連続性において「事故」を発電や廃棄物処理から明確に区別するものなど何ひとつない。だからこそ、原発事故は「予想できた」のだ。厳密には、「予想できた」と言うだけでは十分でなく、発電や廃棄物処理がすでに「事故」であると言うべきだろう。事故が「起きた」もの(始まって終わるもの)ではなく「起きている」ものなのは、それがつねにすでに「起きているからに他ならない。p192》
地震・津波の(1)には「不安定から安定へ」の問題の「解」がある。でも原発の(2)にはそんなジル・ドゥルーズの「規律訓練社会」に対応する(1)の「解」があるわけではなく、コントロール社会(制御社会)、「恒常的に準安定の状態」が維持される。それが「準安定から準安定へ」という鍵概念です。
1775年にリスボン地震があり、地震がフランス革命を引き起こした要因の一つとも言われているが、当時の「規律訓練社会」において問題解決は解放モデルとして「革命」であったが、現在の「制御社会」においては「解」はない。常に「問題」として問題系を過剰に共有する解放しかない、それが「蜂起」であると言うのです。
2010年12月以来、チュニジアやエジプトなどアラブ諸国で起こっているのは革命ではなく「蜂起」だと言うのです「ジャスミン革命」は正しくは「ジャスミン蜂起」。そして現在福島で起こっている原発事故は所謂「アラブの春」と同時代なのだと言う。
そのような見取り図には結構な説得力があって、被爆国として広島、長崎から今回の福島と「原子力平和利用」という装置転換があったけれど同じ文脈で「事故が起こり続けており、その言わば、「事故」を巧みに制御することによって「発電」を生み、制御に失敗すれば過剰な「放射線」を生むわけです。
佐々木中は坂口安吾の太宰治に対する痛烈な追悼文「不良少年とキリスト」からこちらの言葉を会場のみんなに野放図に投げかける。
《原子バクダンを発見するのは、学問じゃないのです。子供の遊びです。これをコントロールし、適度に利用し、戦争などせず、平和な秩序を考え、そういう限度を発見するのが、学問なんです。/自殺は、学問じゃないよ。子供の遊びです。はじめから、まず、限度を知っていることが、必要なのだ。/私はこの戦争のおかげで、原子バクダンは学問じゃない、子供の遊びは学問じゃない、戦争も学問じゃない、ということを教えられた。大ゲサなものを、買いかぶっていたのだ。/学問は、限度の発見だ。私は、そのために戦う。》
どうも、『思想としての3・11』の読後の感想は佐々木中のこの巻頭の論考と、廣瀬純の「原発から蜂起へ」論考の端を摘んで、いやそうではなくて解いて見れば大風呂敷が見事に広がったという気がしないでもない。本書ではやはりこの若手二人の二つの論考に強烈な印象がありました。
紙の本
読むに値しない
2011/08/21 18:18
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代思想 2011 年 5 月号の東日本大震災特集でも感じたことだが,この本を読んで,東日本大震災に関して哲学あるいは哲学者が無力であることをあらためて感じる. 佐々木 中 は震災に関して発言すべき 「知識人の責任」 があるかのようにいう圧力に反発しているが,これはこの本の企画への批判ともいえるだろう. 加藤 典洋 は,吉本 隆明 に影響をうけてきたが,いまは 池田 清彦 など,理系のひとの発言により,ひかれているという. これらはみずから無力をみとめているようなものだろう. なかには世間のトンデモ発言にまどわされているひともいて,ひとさまざまだが,いずれもあまり読むに値するとはおもえない.