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メディアと日本人 変わりゆく日常 (岩波新書 新赤版)
著者 橋元 良明 (著)
読書離れ、テレビ離れは本当? ネットが若者に与える影響は? 日本人がメディアをどのように受容し、利用しているのかを実証的に検討し、メディア界の構造転換を明らかにする。日米...
メディアと日本人 変わりゆく日常 (岩波新書 新赤版)
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商品説明
読書離れ、テレビ離れは本当? ネットが若者に与える影響は? 日本人がメディアをどのように受容し、利用しているのかを実証的に検討し、メディア界の構造転換を明らかにする。日米のメディア研究の動向も紹介。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
橋元 良明
- 略歴
- 〈橋元良明〉1955年京都市生まれ。東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。同大学院情報学環教授。専攻はコミュニケーション論。著書に「背理のコミュニケーション」など。
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紙の本
調査データにもとづくメディア論として興味深く、おすすめできる一冊
2011/07/18 11:13
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
インターネットの伸張とともに、既存のマスメディアの衰退を口にする人は多い。しかし、信頼できるデータに基づいて話す人は少ない。そんな中、著者は95年から取り始めた調査データなどを活かして、日本におけるメディアの隆盛を語る。
日本に新聞が登場した頃や、ラジオ・テレビが普及し始めた頃にも遡るので、日本人のメディアとのつき合い方を概観することができる。当時のメディアの価格(新聞代・受信料など)と給与との比較まで載せているので、メディアが当時の日本人にとって手の出るものだったのかどうかもわかる。
マスメディアが日本人の暮らしの中に入り込んだのは意外に日が浅い。特に、ラジオが普及することで、”標準語”が広まるのを助けたこと、テレビを家族みんなで見る行為が、”一家だんらん”をもたらすようになったことも、けっこう重要な指摘だ。テレビには、物理空間的にも精神的にも家族の結束を促進した効用がある。
こうしたマスメディアの普及が、日本人の間で共有される文化を生んだ。それまでは、一人ひとりがバラバラに情報に接していた。「日本人の情報環境の均質化」(p.34)が、テレビを中心になされた。そういえば、人気のラジオ番組やテレビ番組の放送翌日に、学校で友だちと、その内容について会話をすることがよくあったのを思い出す。
今、インターネットが伸びているとすれば、ネットを家族みんなで見ることはないので、あらためて一人ひとりが自分の選んだ情報に個々に接する状況に戻りつつあるということになる。この視点でネットを見るのは、新鮮だ。
その意味では、新聞・テレビ・ラジオが隆盛を極めた、ここ50年-60年間というのは、日本人にとっては特異な時期であったのかもしれない。
肝心のネットに関しては、これまでのところ、雑誌を代替する機能が強く、雑誌の購読時間の低下をもたらしている。趣味の情報はかつては雑誌だったが、今ではネットでおおよそ得られる。ただ、ネットが伸びる前から雑誌は減少しているので、それ以外にも原因があると著者は指摘する。
新聞については、日経や朝日が電子版を始めているが、まだ紙の新聞に大きく置き換わるところまでいっていない。ただ、雑誌に続いて、その機能を代替してしまう可能性があり、そうなる時代を見越した動きが必要になっている。
読書に関しては、ちまたで言われているような書籍離れは起きていないことがデータとともに示される。むしろ、図書館などの貸し出し冊数は伸びており、健在だ。特に、10代では学校で読書が奨励されているので、読書時間は長い。社会人になるとさすがに読書時間は減るが、ネットの影響で読書離れが起きているわけではない。「伝統的なマスメディアの中で、書籍は現状において比較的インターネットの影響を受けていないメディアだといえる」(p.84)。
ネットの時代にあっても読書が好まれている理由を探れば、そこに、読書にしか果たせない大切な役割が見えてくるはずだ。
ただ、「仕事や研究に役立つ情報を得るメディア」として、2010年の調査で、ネットが書籍、テレビ、新聞などをおさえてトップに立ったことには注目しておいた方が良さそうだ(p.69)。
ところで、10代では、サイトの閲覧方法がPCから携帯電話に移りつつある。PCによるサイト接続は減っているのだ。生まれたときから携帯電話が身近にあり、それとともに育ってきた世代で、ネットの利用形態に変化が起きはじめている。著者は96年頃以降に生まれた世代を”96世代”として紹介している。「ネオ・デジタルネイティブ」の世代と呼ぶそうだ(p.150)。
PCによるネット接続の長い人と、携帯電話によるネット接続の長い人の比較データも興味深い。携帯電話による接続の長い人は、政治的な関心が乏しかったり、政治は難解でよく理解できないと思っている人の割合が多い(p.155)。また、私生活中心主義でもある(p.158)。反面、社交的な傾向が強い(p.163)。つまり、携帯電話を使って、SNSなどのオンラインコミュニケーションで、人とのつながり欲求を満たそうという気持ちが強い。
こうやってメンタリティを把握することは、各メディアが、今後、だれに何の情報を、どんな風に発信していけばいいかの手がかりを与えてくれそうだ。
ほかにも、テレビをつけっぱなしにして、乳幼児を育てたときの社会性の発達阻害など、過去におこなわれた調査の結果にも興味深いものがある。これを「セサミストリート論争」というのだそうだ(p.114)。テレビから人の声を聞くのと、周囲の人から話しかけられて人の声を聞くのでは違うらしい。
書評欄では再現できないほど、著者のメディア論は面白い。「メディアは、それ自体の存在で我々を変えるチカラをもつ」(p.192)と最後をしめくくる。おすすめの一冊である。
紙の本
短絡的な結論に異を唱えるところから始めたメディア論
2012/01/13 00:22
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者が社会心理学者として、またBPOの委員として、長年取り組んできた精緻な研究データを素に、それぞれのメディアと日本人のメンタリティを論じている文章である。
さすがに社会心理学、統計学の専門家が書いた本である──というのが僕の第一印象であった。ともすれば、たったひとつのアンケート結果から安易に誰もが思いがちな結論に持って行くような本が多い中、この本はまずそういう短絡的な結論に異を唱えるところから始めている。「そういう風に思われがちだが、実はこの調査結果からそういう結論を導くことはできない」というような記述が随所に見られるのである。統計的に見てそれが優位な差であるのかどうか、あるいは擬似相関を示しているだけなのではないか──そういう「統計の見方」について教科書的な正しさで、街場のいい加減な推論を覆しにかかるのである。
もっとも分かりやすい例としては、終盤180ページにある、「日本人の20歳から50歳までについて、50メートル走の速度と年収との関係を『統計学的に』分析すれば、おそらく50メートル走の速度が遅いほど平均年収が高いという統計的に優位な関係が出るはずである」という説明が面白く分かりやすい。
ことほどさように、この本は地道な調査結果と、そこから正当に引き出される結論を冷徹に開示する本であって、放送やインターネット業界の立場からそれぞれのメディアを擁護するものでもなく、逆に若者のテレビ離れやインターネットによる弊害を声高に語る社会学者のような立場でもない。
むしろ、そのいずれの陣営の人たちとも一緒になって、今それぞれのメディアがどういう状況にあるのか、それらはこれからどういう方向に進むのか、そして我々はどうして行くのが正しいのか──そういうことを考える上での貴重なデータベースがここにあると考えるべきなのである。
メディアを考える上で、これほどちゃんとした「資料」にはあまりお目にかかったことはない。ただ、あくまで資料としての本である。優れた資料ではあるが、資料である分、キャッチーで解りやすい結論を書こうなどとはしていないので、その分読み物としては別段面白くないかもしれない。