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- カテゴリ:一般
- 発売日:2011/04/01
- 出版社: 白水社
- サイズ:19cm/263p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-560-08118-1
読割 50
紙の本
地図で読む戦争の時代 描かれた日本、描かれなかった日本
著者 今尾 恵介 (著)
他国を侵略して植民地を経営し、空襲を受け、連合軍に占領された、日本の近代以降の軌跡を地図を通して考察する。また、戦争の時代にどのように地図が情報統制され、作成者の意図で歪...
地図で読む戦争の時代 描かれた日本、描かれなかった日本
地図で読む戦争の時代
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商品説明
他国を侵略して植民地を経営し、空襲を受け、連合軍に占領された、日本の近代以降の軌跡を地図を通して考察する。また、戦争の時代にどのように地図が情報統制され、作成者の意図で歪められたか、地図そのものも観察する。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
今尾 恵介
- 略歴
- 〈今尾恵介〉1959年横浜市生まれ。(財)日本地図センター客員研究員、(財)地図情報センター評議員、日本国際地図学会評議員。著書に「日本地図のたのしみ」「地形図でたどる鉄道史」など。
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著者/著名人のレビュー
戦時に作られた地図か...
ジュンク堂
戦時に作られた地図から、その時代を読み解こうという1冊です。
まずカバーに印刷された地図の余白が強烈なインパクトがあります。
緻密な等高線や、活字のように見える手書きの細かい文字が美しい図面。
その余白にひときわ目立つ大きな文字で「軍事極秘」の文字。
厳密に管理され、紛失しようものなら処罰対象だったそうです。
一方で、一般に売られた地図には、
あえて、軍事施設のあたりの地形を書きこまなかったり、
時には、実際とは違う地図記号を書き込んだり。
現在の地図にも痕跡が残るもの、
全く面影がないもの、
町名や駅名の変更や、線路の曲がり方まで、
著者のガイドに従って、収められた地図を読んでいくと、
楽しく思えたり、当時の人々の心境を思って悲しくなったり。
地図作成者の気概にまで思いをはせる著者のペースに
すっかりひきこまれます。
奥深いなあ、地図の世界。
書店員レビュー
本来、正確無比を生命...
ジュンク堂書店盛岡店さん
本来、正確無比を生命とすべき「地図」が、情報操作の先兵として利用されていた時代。権力の都合で、忽然と地形が変わり、建物が消え、そこに暮らすひとびとの生活までもが「なかったこと」にされる。はじめ「書かないことはウソではない」だったものが、戦況の逼迫に合わせて、ついには居直ったかのように「ウソ」で固められる。不都合を覆い隠そうとする権力の強引さは滑稽でさえあるが、実は、それは為政者が移り変わっても変わることがない。そして、当時とは比較にならない稠密な情報社会に身を置く現代の我々は、これを嗤うことはできないのだ。
(店長)
紙の本
「地図で戦争の時代を読む 戦争の時代の地図を読む」(「はじめに」から)
2011/08/14 00:07
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:玉造猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「地形図を作り始めたのは、どの国でもたいてい陸軍である。――国を守るためには正確な地図が必要であることは当然である。一方で、他国を侵略するにも、先立つものは地図であった」(「はじめに」)
世評によれば著者は地図読みの第一人者だそうで、厖大な地図のコレクションを下敷きにした鉄道や地名に関する著書がある。その著者が「世界を見れば戦争のない時代はなかった。今も戦争は続いている」という気持ちから、本書を書いた。
戦争への著者の視点は、次のようだと見てよいだろうか。
「東京大空襲で10万人以上が犠牲になったという記述ではなく、いつも買い物をしていた本所区亀沢町の乾物屋さん一家が一人残らず亡くなったという視点」
「原爆ドーム界隈にはかつて家が建て込んだ市街地があり、一発の爆弾によって住民の生活は一瞬にして消え去った、それが具体的に何を指すのか、戦争を知らない世代の一員であっても、少なくとも想像する力を持ちたい」(「あとがき」)
そうした視点で著者が地図の上に見る戦争は、空襲のほかに建物疎開、植民地の地図、戦時改描つまり軍事施設や工場・貯水池などを秘匿するため空白にしたり代わりに住宅地などを描いたもの、軍事施設がその後どうなったかなどの内容で本書に展開される。
どれも興味深いが、なかで日本領だった台湾の地図ははじめて見るものだった。
1927年大日本帝国陸地測量部発行の5万分の1地形図「嘉義」。駅前の東洋製糖工場を目指して線路網が集まっている。まわりは水田記号は少なく、畑地になっている。自給自足的な米作地帯に単一作物の砂糖の大規模農業を大資本の力ですすめたことが見てとれる。もう一枚は1936年発行の雑誌『キング』付録「日本遊覧旅行地図」で鉄道路線図だが、台湾西側の海岸線にぎっしり敷き巡らされた鉄道は新高製糖、台湾製糖など7つの製糖会社の鉄道である。地域がそれぞれ製糖会社に分割され、地域のサトウキビ農家が決められた会社に納入したと著者は書いている。
東京練馬区赤羽の戦中から戦後への変遷は、4枚の地図で移り変わりがまざまざと見て取れる。
1枚目、1928年の赤羽は東京近郊の農村地帯だった。1942年ドゥリットル空襲を受けてここに成増飛行場を突貫工事で急造した。2枚目の地図は集落や農地をつぶして幅広いL字型の地面にならしているが、当然だが飛行場の表示はなくて畑地のマークになっている。敗戦により飛行場を米軍が接収し、米軍の家族宿舎「グラントハイツ」になった。アメリカ第18代大統領グラントに因む名という。3枚目の地図では広い基地内にゆったり配置された住宅や学校などの様子がわかり、隣接する練馬区の住宅密集地帯との差が一目でわかる。池袋から進駐軍専用列車が直通したが記載されていない。その後1973年に基地は全面返還された。4枚目の地図ではグラントハイツの場所は光が丘と名が変わり、公園や団地を配置した広いニュータウンになっている。
現在の東京ドームが、かつては東京砲兵工廠だったことも地図から読みとれる。
それにつけても、大阪、それも大阪城のすぐそばに住むわたしとしてはやはりもうひとつ、この本で書いてほしかったことがある。
大阪城と大阪砲兵工廠の変遷を書いてほしかった。かつての軍都大阪の戦前戦後を地図の上で見せてほしかった。師団司令部その他の施設が大阪城と周辺に密集し、まわりに砲兵工廠が連なっていた。敗戦前日の大空襲で廃墟と化した後、工廠跡は長いあいだ鉄の残骸の山であったのが、大阪万博を機に公園に変身した。今、梅や桜のきれいなこの公園が東洋一の軍需工場だったことを思いだす人はあまりいない。この変遷は地図の上ではどう描かれていたのだろうか。
本書は、ウェブに発表された短篇を編集されたものということなので、大阪の地図上の戦争の時代については、本書の続きとして、またいつかの機会にウェブででも読ませてください。お願いしておきます。