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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2011.3
- 出版社: 河出書房新社
- サイズ:20cm/281p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-309-63003-8
紙の本
ドクター・ラット (ストレンジ・フィクション)
著者 ウィリアム・コッツウィンクル (著),内田 昌之 (訳)
ある日、地球上のありとあらゆる動物たちが、何かに導かれるかのように不思議な行いをとりはじめる。家を離れた飼犬たちはどこへ向かっているかもわからぬまま走り出し、海じゅうの鯨...
ドクター・ラット (ストレンジ・フィクション)
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商品説明
ある日、地球上のありとあらゆる動物たちが、何かに導かれるかのように不思議な行いをとりはじめる。家を離れた飼犬たちはどこへ向かっているかもわからぬまま走り出し、海じゅうの鯨たちは恍惚と踊り、ゲージのなかの雌鶏や機械に吊された雄牛、食肉工場の雄豚までもが、つかのま希望の幻影を見る。人間には聞こえない“呼びかけ”のもと、動物たちは本能のままに、ひとつに結ばれようとしていた—大学の実験室で去勢され、臓器を抜かれ、残酷な実験の末に気が狂い、人間レベルの知性を持ってしまった鼠「ドクター・ラット」ただ一匹を除いて。1976年に発表され、センセーションを起こして以来、長らく翻訳が待たれてきた、グロテスクで美しい幻の寓話がついに登場!すべてが動物たちの一人称で語られる、超問題作。世界幻想文学大賞受賞。【「BOOK」データベースの商品解説】
【世界幻想文学大賞(1977年)】地球上の生物が人間に暴動を起こしはじめるなか、実験室で飼われていた1匹の狂ったネズミ「ドクター・ラット」だけが人間の味方になるが…。グロテスクで美しい寓話。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ウィリアム・コッツウィンクル
- 略歴
- 〈ウィリアム・コッツウィンクル〉1938年ペンシルヴェニア州生まれ。ナショナル・マガジン賞、O・ヘンリー賞受賞。「ドクター・ラット」で世界幻想文学大賞受賞。著書に「バドティーズ大先生のラブ・コーラス」など。
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著者/著名人のレビュー
コッツウィンクルはや...
ジュンク堂
コッツウィンクルはやはり悪趣味だ。
読者は極限まで畏怖し、絶望する。
全ての動物に対する見方を変えざるを得ない、訴えるSF。
紙の本
擬人化した動物の目を通して人間社会を批評・批判・皮肉る、奇抜・奇想な小説
2011/07/10 10:50
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昔から擬人化した動物の目を通して、人間社会を批評、批判、皮肉る小説はある。例えば、「我輩は蚤である(作者不詳)」、「我輩は猫である(夏目漱石)」、「動物農場(ジョージ・オーウェル)」など。この小説は、それら以上に奇抜、奇想であるかもしれない。
大学の実験室で去勢され、残酷な実験の末に気が狂った、実験動物のラットが一人称で、実験動物たちの実験室内での反乱について語る。その合間に、いろいろな動物たちが不思議な呼びかけのものとに集合する過程がそれぞれの動物の一人称によって語られている。実験室内のいろいろな実験器具と薬品類を縦横に互いの武器として応用し使いこなす、主人公ドクター・ラットと実験動物たちとの攻防がなんともいえず、奇妙奇天烈、いやはや痛快でもある。
1976年発表、翌年世界幻想文学大賞を受賞、とある。強烈な印象を受けたし、産軍学共同の負の部分を抉り出しているようにも感じたし、動物実験の意義や残虐性に対する疑問も感じるなど、いろいろと輻湊した印象であった。
紙の本
マッドなラットに脳内をかきまわされる。
2011/08/04 16:35
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
サイエンス・フィクションならぬストレンジ・フィクションだそうである。表紙の奇妙な雰囲気に少々怖れながら、動物実験をどう評価しているのかあたりに興味があったので読んでみた。
動物の目を通して人間社会を描き、動物たちが反乱するという設定からも「動物農場(ジョージ・オーウェル)」を想起する読者は多いだろう。しかし、なんといっても本書の特徴はそのストレンジ・テイストであった。
ドクター・ラットと自称する実験用ラットの、真面目に残酷な実験を語る語り口はまさに「マッド・サイエンティスト」である。実験器具や薬品、処置法や病名などの専門用語が真実っぽい表現で多出する狂気すれすれの表現は、じわじわとこちらの言語中枢を彼のペースに引き込んでいく。おそらく原語で読んだらもっとよくわかるのだろう、ラップのようなペースで言葉のイメージがポンポン飛んで行くところもある。
ドクター・ラットが語る実験室の反乱と同時進行的に、交互に描かれていく野生の動物たちの奇妙な集団行動。動物実験室の異常な世界やその外側で起こっている野生動物の異常な現象は、たしかに科学の異常な面、人間が地球にもたらした異常な状況を語っている批判、皮肉でもあるのだろう。
しかし、それ以上にただただ異常な感覚を味わったという印象ばかりが強く残った。あたかもドクター・ラットの実験に供され、脳内をかき回されたような、とでも言おうか。年齢が知れる引用であるが、「博士の異常な愛情」とか「時計仕掛けのオレンジ」とかに通ずる読書感覚である。
文章によってあるいはひとつのキーワードによって、笑いも涙も結構簡単に惹起されるものなのだが、不思議なことに読書で引き起こされた感情はカタルシスのような「快」という結果に終わることが多い。感情だけでなく「理解した、納得した」という知的な結果も「快」の感情につながる。いわゆる読書の爽快感である。しかし本書で味わうような「異常」感覚はすこし違う終わり方をする気がする。個人的には苦手な感覚であるが、こういう読書はどういう結果をもたらすのだろうと興味は感じた。
読書のもたらす違和感、ストレンジ感覚。ホラー小説のように読んで涼しくなることは期待できないかもしれないが、夏のひと時、いつもとは異質な感覚を求めてみるにはいいかもしれない。