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漢文と東アジア 訓読の文化圏 (岩波新書 新赤版)
著者 金 文京 (著)
【角川財団学芸賞(第9回)】漢文訓読は日本独自のものと思われてきたが、中国周辺の民族の言語や中国語の中にも同じ現象があったことがわかってきた。訓読の歴史を知ることが東アジ...
漢文と東アジア 訓読の文化圏 (岩波新書 新赤版)
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商品説明
【角川財団学芸賞(第9回)】漢文訓読は日本独自のものと思われてきたが、中国周辺の民族の言語や中国語の中にも同じ現象があったことがわかってきた。訓読の歴史を知ることが東アジアの文化理解に必要であることを述べ、漢文文化圏という概念を提唱する。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
金 文京
- 略歴
- 〈金文京〉1952年東京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。同大学人文科学研究所教授。著書に「中国小説選」「教養のための中国語」「三国志演義の世界」など。
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日本の時代小説や韓国の歴史ドラマをより深く楽しめる
2012/06/17 16:30
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:saihikarunogo - この投稿者のレビュー一覧を見る
韓国ドラマ「海神」によって、チャンボゴの存在を知った私は、インターネットで検索して、日本から唐へ留学する僧が彼に世話になったことも知って感激していたが、実は、チャンボゴ以前から、多くの日本人が新羅の船に乗って唐へ渡っていたことが、この金文京の著書でわかって、ますます、感激した。
新羅から日本へ来た僧侶や、日本から新羅へ留学した僧侶も多い。もちろん新羅から唐へ行った人もおおぜいいるし、そのなかには、インドの言葉で書かれている仏典を唐の言葉に翻訳する事業に参加した人もいるらしい。また、インドまで行った新羅のお坊さんもいるということだ。直接、インドや中国の言葉に接する機会は、やはり、朝鮮半島の人びとが、日本列島の人々よりも、一日の長がある。
そして、日本でも新羅でも、漢文に翻訳される前のインドの経典の言葉は、日本語・朝鮮語と語順が同じである、ということに、両国の僧侶たちは気づいていた。両国とも、仏典を自国の語順で読めるようにする訓読記号が工夫された。
日本では、そこから仮名文字が派生し、万葉仮名も工夫され、やがて自然発生的に、カタカナ・ひらがなができあがって、特に、ひらがなを使う文書が、時代を経るにしたがって、どんどん、ふえていった。室町時代には既に日本の識字率は高かったということが、網野善彦の著書に述べられている。
日本では仮名文字に比較して漢文そのものは、長い間、一部の知識層に限られていたが、それでもだんだんと普及していき、漢学が最も盛んになったのは江戸時代末期であったという。そういえば、葉室麟の小説に出て来た原さいひん(「さい」は「彩」の左側、「ひん」はくさかんむりに頻)などの女流詩人が輩出するのも、江戸時代後半から末期にかけてだ。
日本・朝鮮・中国の知識人は、お互いの口語は通訳を使わないとわからなくても、文書は、漢文によって意味を通じることができた。その習慣は19世紀まで続いた。
一方、日本の仮名文字に対応するような、中国周辺諸国それぞれの独自の文字は、自然発生的ではなく、国家事業として創製された。
韓国ドラマ「大王世宗」で、朝鮮の言葉を表わす文字を創るために、中国の言語学の書物を輸入したり、各国の言語を研究するために学者を派遣したりしていたが、そもそも、中国で言語学が発達したのも、周辺諸民族との交渉があり、移民もあり、元のような漢民族以外の王朝も建てられたりしたからであろう。
その、漢民族以外の周辺諸民族は、10世紀から15世紀にかけて、大唐帝国が滅んだあと、民族的自覚が高まって次々と王朝を建て、その草創期に文字創製事業をおこなったのだった。
10世紀に、契丹人が、漢字を模倣した表意文字と、ウイグル文字などを参考にした表音文字を創り、
11世紀に、チベット系のタングート人の西夏王朝が、漢字にならって西夏文字を創り、
12世紀に、遼を滅ぼした女真人の金朝が契丹文字にならって女真文字を創り、
13世紀に、金を滅ぼしたモンゴル人の元朝がチベット文字からパスパ文字を創り、
そして、15世紀に、朝鮮王朝が、訓民正音すなわちハングルを創った。現在でも使われているのはハングルだけである。
朝鮮・日本、ベトナムなどの漢文訓読の歴史が述べられているのはおもしろいが、ただ一つ残念なのは、琉球の漢文訓読について述べられていないことだ。NHKのドラマ「テンペスト」で見ていると、琉球の役人は漢文を使っている。だが、「おもろそうし」というひらがなの書物もある国だ。是非、金文京氏には、続編として、琉球の漢文訓読についても著わしていただきたい。
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東アジア人必読のメウロ本
2012/04/08 02:18
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:MESSY - この投稿者のレビュー一覧を見る
学者さんの仕事はしばしば「目からうろこが落ちる」(略称メウロ)快感を味わわせてくれる。本書もそんな1冊だ。日本人のみならず、東アジアに暮らす人々、東アジアの文化に関心のある人なら誰でも、必読だろう。2年近く前に出版されたときに読んで感激したのだが、最近、改めて読み返して感動を新たにしたので、遅ればせながら紹介したい。
まず、メウロの例をいくつか。
1)漢文の訓読は日本だけでなく、朝鮮、ベトナム、契丹、ウイグルなどの人々もおこなっていた。
2)少なくとも日本と朝鮮の場合、漢文訓読は漢訳仏典に淵源があるとみられる。
3)サンスクリット語(梵語)の仏典を漢文に訳すという作業の存在そのものが、日本や朝鮮の漢文訓読を正当化したとみられる。
4)アラビア語以外の言葉に訳されたコーランを聖典と認めないイスラム教や、ラテン語以外の言葉に訳された聖書を長らく認めなかったキリスト教に比べ、仏教は仏典を梵語以外に訳すことに寛容な宗教だった。
5)著者は明言していないが、以上の議論を踏まえると、東アジアで広く行われた漢文訓読の文化は、仏教という東アジアの外で生まれた宗教の基本的な性格を強く受けたと考えるべきだ。
へー、という例もいくつか。
1)日本人の漢文の一般的な水準は、江戸後期から明治初期がピークだった。
2)日本の仮名は自然発生的に生まれたが、朝鮮、契丹などの民族文字は唐朝崩壊後の激動を背景に人工的に創造された。
3)正規の漢文でない変体漢文の文化は今ではあまり省みられないが、東アジアの伝統文化の中で占める比重は大きい。
とにかく知的刺激たっぷりで、面白い。漢文訓読といえば高校の古文の授業の一環で多少触れる程度だが、当時この本があればもっと身を入れて勉強したのではないか、と思う。
また、日本の思想史も含めた東アジアの思想史、ひいては世界の思想史は、本書が示した視点を踏まえなければならない、とも考える。つまり、既存の思想史をすべて、根本から相対化する視点を与えてくれるような気がするのである。
本書の議論は東アジア全体の文化に対する見方を一新させる。日本以外の国々にも紹介されてしかるべきだとおもうのだが、現実はどうなのだろうか。もしまだ紹介されていないとすれば、日本語を読める喜びをかみしめるべきかとも思う。