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商品説明
2035年から届いたメールがすべての始まりだった。高度情報化社会、アリゾナの砂漠、量子脳計算機科学、35歳問題、ショッピングモール、幼い娘、そして世界の終わり。壊れた家族の絆を取り戻すため、並行世界を遡る量子家族の物語。【「BOOK」データベースの商品解説】
【三島由紀夫賞(第23回)】2035年から届いたメールがすべての始まりだった。高度情報化社会、アリゾナの砂漠、量子脳計算機科学、35歳問題、そして世界の終わり。絆を取り戻すため、並行世界を遡る量子家族の物語。『新潮』連載を改題し単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
東 浩紀
- 略歴
- 〈東浩紀〉1971年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。批評家。東京工業大学世界文明センター特任教授。著書に「動物化するポストモダン」「ゲーム的リアリズムの誕生」など。
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紙の本
著者のことを知らずに手にして難渋した読書がやがて魅力的なものへと変わっていった
2010/04/16 21:25
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
2007年、作家で大学教員でもある葦船往人(あしふねゆきと)はある日、見知らぬ人物からの電子メールを受け取る。それは2035年の世界に暮らす彼の娘・風子(ふうこ)からのものだというのだが、彼にはそもそも娘はいない。このメールをきかっけに、本来この世界では存在しなかった並行世界に生きる家族が、時空の垣根を越えて交錯していく…。
朝日と産経の新聞書評に取り上げられているという事実だけで手にしたのですが、作者の東浩紀の名前も、彼が日本の現代思想界を牽引してきたスター的人物であることも全く知らぬまま読み始めたため、本書に登場する難解な専門タームの連なりに最初のうちは面喰いました。
しかしそうしたタームにある程度の割り切りと見切りを決め込んだ上で腹を据えて読み進めると、これは中途で投げ出すどころか巻を措くことが難しいSF小説であると感じました。
生まれてこなかったはずの子どもをまじえた家族関係が存在しうる世界にある日突然放り込まれるという展開は、P.K.ディックの短編『地図にない町』の結末を連想させますが、本書はそのディックの短編の結末から始める小説のようにも見えます。
事実、本書はディックの「ヴァリス」などのアリュージョンや、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」への言及がそこかしこに現れます。そうした幻想的並行世界に幻惑される悦楽を好む読者には、とても魅力的な物語といえるでしょう。
しかしそんな仕掛けを礎としたこの小説が描くのは、「量子的に拡散してしまった家族を再縫合する」物語です。
そしてやがて見えてくるのは、その家族とともに「偽物だけれど唯一の、まちがいだらけだけどやりなおしの出来ない人生を歩む」ことの尊さ。
その結末に強くうなずく読者は決して私だけではないと思うのです。
紙の本
東浩紀ならもっと出来たはずだと思うのだが…惜しい。
2010/02/12 21:27
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:反形而上学者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
中高生にまで人気のある批評家、東浩紀がSF小説を発表した。これは驚くべきことと言えるだろう。
ふつう批評する側の人は小説など書かない。確かに東浩紀と往復書簡の本を出している笠井潔も文芸評論家と作家の二足のわらじを履いているが、笠井の場合は作家活動の方がやや先である。
たぶん東浩紀は、哲学的な要素を多く含む笠井潔のスタンスに影響された部分もかなりあるのだろう。
さて、本書であるが、『新潮』誌に『量子家族』として連載されていたものを改題して、『クォンタム・ファミリーズ』として発売されたものだが、もちろん東浩紀にとっての「処女小説」である。
有名な批評家の処女小説ということで、嫌が上にも注目される作品だと思うが、出来栄えは正直に言って著者の思惑通りにはいかなかったようだ。
平行世界をえがいた小説ということで、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を即座に思い浮かべるが、東浩紀は更に哲学的・科学的な用語を登場させて、小説世界に深みを持たせようとする。それが成功していれば何も言う事は無いのだが、残念ながら少々欲張り過ぎたように思う。
私は実際に本作を読んでみて、あまり集中できなかった。それは様々な仕掛けが作為的過ぎて、小説世界に没頭できなかったということである。
そうは言っても、作者は非常に頭のいい人であるから、本書が大傑作になる可能性は十分にあったと、私には思えるのだ。
私としては、連載からかなり手を加えて、ほぼリライトと言える程に時間をかけたものを発売して欲しかった。そうすれば、作為的な部分も、難解過ぎる部分もある程度は解消されて、「衝撃の処女小説!」ということになったことであろう。
それだけの可能性が、垣間見えた小説であるだけに、なんとも惜しい。
次の小説にもぜひ取り組んで欲しいと思う。