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  • みんなの評価 5つ星のうち 4.5 8件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2009.10
  • 出版社: 宝島社
  • サイズ:20cm/334p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-7966-7274-0

紙の本

クリスマス・セーター

著者 グレン・ベック (著),ケヴィン・バルフ (共著),ジェイソン・F.ライト (共著),西本 かおる (訳)

貧しい母子家庭に暮らす12歳の少年エディは、今年のクリスマスこそ念願の自転車をもらえると期待するが、母からの贈り物は手編みのセーターだった。そして小さな不満をきっかけに起...

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クリスマス・セーター

税込 1,430 13pt

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商品説明

貧しい母子家庭に暮らす12歳の少年エディは、今年のクリスマスこそ念願の自転車をもらえると期待するが、母からの贈り物は手編みのセーターだった。そして小さな不満をきっかけに起きる、大きな悲劇…。悲しい現実から「本当に大切なもの」を学ぶ、切なくも温かい涙の物語。著者自身の体験をもとにした、現代版『クリスマス・キャロル』。【「BOOK」データベースの商品解説】

貧しい母子家庭に暮らすエディは、今年のクリスマスこそ自転車をもらえると期待するが、母からの贈り物は手編みのセーターだった。そして小さな不満をきっかけに起こる悲劇…。悲しい現実から本当に大切なものを学ぶ感動物語。【「TRC MARC」の商品解説】

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みんなのレビュー8件

みんなの評価4.5

評価内訳

  • 星 5 (4件)
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  • 星 3 (1件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

一夜と一年。少年が辛い境遇を通して学ぶこと。

2009/12/17 22:03

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:marekuro - この投稿者のレビュー一覧を見る

タイトルからして季節感たっぷりの物語です。
帯には有名書店の店員による大絶賛の言葉が踊ります。
期待して読みました。読後はちょっと、ほろ苦さもありつつ
しっかりとクリスマスらしいお話のように感じました。

ストーリーを簡単に述べると以下のようになります。

パン屋を経営していた父をガンで亡くして、母を二人で
暮らす少年のある年のクリスマスのお話です。

母親はいくつも仕事を掛け持ちしますが生活は大変苦しい
状況です。

その年のクリスマス。少年はクリスマスプレゼントに自転車を
求めます。そのために、一年間様々な努力をおこなってきました。

しかし、母親がくれたプレゼントは手編みのセーター。
落胆した少年は気分を害してセーターを粗末に扱います。

それを見た母親も気分を害し、二人は険悪な空気の中
母親の実家にクリスマスの挨拶に向かいます。

しかし、それでも気分が収まらない少年。
少年と同じくらい少年らしい心をもった祖父と過ごしますが
楽しい時間はすぐに過ぎ去って、またしても自転車の事が
頭をよぎります。

その事でつらく家族に当たる少年。
泊まっていけという祖父母の提案に反抗して家に帰ることを
主張します。

そのまま帰ることになるのですが、クリスマスまで連日
働きづめだった母親は居眠り運転をしてしまい事故を
起こしてしまいます。

少年が目覚めたとき、母親が即死したことを告げられました。
少年はしばらく放心状態で過ごしますが、間もなく祖父母との
生活が始まります。

しかし、父を亡くし、続けて母を亡くした少年の心は荒れます。
大好きだった祖父母との暮らしも、反抗と反発によって祖父と
ぶつかるようになり、険悪な雰囲気の中暮らします。

そんな時、廃屋になりかけていた隣家の敷地内で
汚い格好をした、少年の住んでいる地域では見かけない
男と出会います。

祖父母と暮らし始めて一年後のクリスマス。
少年は現状に嫌気がさして、家出を試みますが
家出の最中に汚い格好をした男と出会い・・・

というものです。
ラストはしっかりとクリスマスらしい”良いお話”になるのですが
正直、途中は読むのがつらくなる内容でした。

というのもクリスマスのお話にしては”死”の記述が多いこと。
少年の内心にある祖父母に対する愛情と、しかし自分の境遇を
呪い、いけないと思いつつ反発し周囲を傷つけてしまう不器用さ。

これらが、クリスマスのストーリーらしかぬ雰囲気を漂わせ
ページをめくる手の動きを鈍らせました。

特に波立っている少年の心のありようは、元少年である評者にも
記憶に覚えがあり、我が身に置き換えて読んでしまうと
直視に耐えない箇所もありました。

12才の少年が希望していた物の代わりに母親の手作りの
セーターをもらっても素直には喜べないでしょう。
そして、そのセーターに関連して起こる不幸。
評者自身の少年時代を振り返り、この少年の立場を自分自身に
置き換えると、きっと同じような心理状態になったのかなと思います。
それが故に直視に耐えなかったのです。

思えば12歳という年頃は、大人から見ると確かに子供であるのですが
本人の感情的には、大人と呼ぶには若すぎるし、かといって
子供と呼ぶにはちょっと難しくなってくる頃でもあります。
少年から青年への過渡期のまさに入り口なのかなと思います。

今一度、ストーリーに戻りますと、少年は祖父母と暮らすようになって
から育った環境や価値観と対照的なものを多く体験します。

少年の父親は政府の援助を受けて生活している人を見て
    
     「あの人は働けるのに働く気がないんだ。自分で働いて
     稼げる人が他人から援助を受けるのはおかしい」

と言い自身も生活は苦しく、子供に長靴を買えず
スニーカーにビニールをかぶせて登校させていました。
母親も同様で、少年の父親が亡くなった後、祖父母からの
援助の申出を頑なに拒み続けました。

一方、祖父は
   
     ひとりで重荷をしょいこんではいかんのだ。まわりの人間に
     頼らねばならん。・・・・・人間はみんな幸せになるように
     できている。

といい、協力して幸せになる事を志向します。

少年が共に住む祖父母は農場の持ち主であり
牧場や畑の中に居を構えています。そして決して金銭的に
裕福な家庭ではありません。少年が仲良くなった友人は
都会からやってきて新しい家に住んでいて、裕福な家庭です。

家庭環境的には古風ながら家族同士のつながりを志向する祖父母と
一方で友人の家では父親が出張がちで、母親は昼からお酒を飲んでいます。
少年は本人の反抗もあって厳しくなった祖父がいますが
少年の友人は何でも要求が通る家庭環境です。

12~13歳位の少年にとっては、自分の持っているすばらしいものを
認識できず、一方で他人が羨ましく見えます。
誰しも見に覚えのある事でしょう。

このように環境的にも苦しむ少年ですが、ラストにはしっかりと
救いが訪れます。

そして、様々な苦労を経て少年は学ぶのです。

        大切な物はすぐそばにある。

という事を。そして、このメッセージは作中に何度も
語り手を替えて出てきます。

冒頭で述べたように、クリスマスのお話にしては
ちょっと、ほろ苦い内容ではありますが、ラストはしっかりと
奇跡が起きてクリスマス的な”良いお話”になり、読者も救われます。

この場では紹介しきれませんでしたが、祖父が、隣家に現れた男が
少年に関わった人物の多くが、荒れる少年に、その存在を肯定する
言葉を投げかけます。
それは読んでいて、こみあげてくるものがある位、苦しくも暖かい
メッセージの数々でした。

安易な感動の物語りに食傷気味の方にオススメしたいお話です。






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紙の本

巧みに編み込まれた自伝と救済のものがたり

2009/12/17 21:34

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:wildflower - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書『クリスマス・セーター』はアメリカの人気キャスターである

グレン・ベック(Glenn Beck)さんが書いた本です。原著は昨年の発売以来

全米で80万部が売れ、子どもむけの絵本も今年10月に発売されています。

真っ赤な地に白い雪の結晶の縁取りと深緑のサテンのリボン。

まさに今、旬!という趣の装丁です。翻訳は『賢者の贈りもの』の西本かおる

さんです。


12歳のエディが、どうしてもクリスマスのプレゼントに欲しかったのは、

真新しい自転車でした。でも手にしたのは母の手編みのセーター。

多感な12歳の少年が不意に父を亡くし不遇に苛立ち、傷つく様子が

半ば近くまで、丁寧にその心情を掬いとるように描かれています。

最初は豊かに与えられていた日々、幸せな家族との憩いにプレゼント。

それらが一変したのち、大人たちが必死に守りかばおうとしていても

否応なく感じてしまう想いがやがて、雪が積もるように重なって

クライマックスへ向かう描写はとてもリアルで現代的です。

ですから後半から終章のエピソードには最初意表を突かれました。


”著者自身の体験をもとにした、現代版『クリスマス・キャロル』!”と

帯の惹句にあります。

アメリカのクリスマスは敬虔なキリスト教徒にとって救済と賛美の日です。

絵本版のテーマはキリスト教の救済だと、著者ご本人も語っていました。(http://www.youtube.com/watch?v=l3V3JZbmZtM&NR=1)

ならば大人向けの本作品もそのテーマが流れていると思って、読まねば

ならないでしょう。

終章へ向かう14章、15章はリアリティ溢れる世界から、少し異なった趣を

見せ始めます。

轟々と荒れ狂う嵐に向かうエディが立ち竦んでいたトウモロコシ畑。

そしてその先から聞こえてくる声……。神秘的な趣の強い章です。

そのシーンを読んでふと思いだしたのは、ケヴィン・コスナーがかつて

主演した映画『フィールド・オブ・ドリームス』(1987)です。

トウモロコシ畑が出てくること、その奥から「声」が聞こえてくることが

似ている――と思ったのですが、トウモロコシ畑というのはアメリカの

農村にはありふれたものでありながら何か象徴的な場所にも思えます。


  もうだれにもぼくを見つけられない。どうせだれも捜したりしない

  だろうけれど。そう思うと、胸に怒りが広がった。

  だれもいないトウモロコシ畑でなら、言いたいことをなんでも口に

  出せる。だれにもぼくの声はとどかない。神にしか、とどかない。

  怒りを吐き出すチャンスだった。(p272 第14章)


エディがぶつけた思いの丈、それに応えるように返ってきた言葉。

そのやりとりは哲学的な深淵さで、この小説の真の核だろうと思います。

16章の展開に、またもや意表を突かれてしまうのですが

神の救いをもって、示された貴いことがらということなのでしょう。

著者の自伝的な話、そしてクリスマスという特別な日に示された救いの

ものがたりとが現代的に巧みに編み込まれたセーターのような逸品です。

クリスチャンではない評者なので、戸惑いがあったのですが

特別な日に素敵な奇跡が起こる……というのはまさにクリスマス的なのかも

しれません。

さすがアメリカのクリスマス譚として王道をいく作品だと感じました。

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紙の本

語るということ、すなわち、自分を癒すための語り

2009/12/17 20:55

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る

物語を読むときの立ち位置は、
場合場合によって、異なります。

私が本書を読むときに立っていた場所は、
実は、物語の外、著者の近く
というのが感覚的に一番近いものでした。

というのも、主人公の少年・エディよりも、
その両親よりも、誰よりも、
著者自身に自分が近いところがあったからなのです。

発してしまった言葉や起こしてしまった行動は、
なかったことにはできません。

失敗してしまったと思ったら、
新たな言葉を発し、新たに行動するしかありません。

ですが、もし、新たな言葉や行動で償うチャンスが
二度と訪れなかったとしたら・・・。

あんなことを言わなければよかった、
あんなことをしなければよかったという思いは、
残り続けてしまいます。

本書はそういった著者の行き場のない思いから生まれた物語です。

彼の後悔の思いは、12歳のクリスマスまで遡ります。

それをこうして言葉にして語るまで、
何という長さを要したのでしょう。

30年かかったのだといいます。

それほどまでに思いや悩みは深かったのだと思います。

家族への語りに終わるはずだった物語は、
こうしてここに語られることになったのです。

エディの家族は、両親の
「自分で働いて稼げる人が他人から援助を受けるのはおかしい」
という信念の下、パン屋を営みながら質素に暮らしていました。

父親が生きていた頃も決して裕福ではありませんでしたが、
父ががんでなくなると、
「クリスマスは父とともに死んでしまった」かのようでした。

父がなくなって3年後の、12歳のクリスマス。

エディは、祈ります。

いろいろ大変なことが起きたので、
何とお祈りしたら言いかわからずにいたこと、

神さまはいつも天から見守ってくれているというけれど、
ときどきどうして自分たちをこんな目に遭わせるのか理解できないこと、

母が一生懸命働いていることも
お金がないこともわかっていること、

だけどクリスマスに自転車さえもらえたらと願っていること。

ですが、運命の歯車は思いがけない方向へと
この母子を追い込んでいくのです。

前半は、どこまでが著者の実体験なのか、
どこにフィクション部分が織り込まれているのか
わからないような形で進んでいきます。

出来事は少年時代の過去なのですが、
視点は大人になってからの著者なのです。

ですから、子どもの頃の少年がどう思っていたかだけでなく、
母がどう思っていたのか祖父母がどう思っていたのかまで
補っていきながら話は進みます。

少年の日々を描写していてもなお、
おそらくは少年が当時は見て聞いていたけれども
意味はわからずに流していたであろう事実を
大人の視点が補って進めているような、
3人称語りでありながら、すべての登場人物の中身までを
読み取る視点で話は展開していきます。

貧しい中でも両親がエディをどう育てようとしていたかが
痛いほどわかるのです。

大人になった著者が当時のその生活を見つめている視点が常にあるため、
時間は物語の中ではなくて、著者とともに今にあるようにも思えます。

ですが、物語の中は、著者の少年時代であって、過去なので、
わかっていても書き換えられないようなもどかしさを感じ、それが切ないのです。

大人の著者が描写する世界の中で、
中にいる少年は反抗期の少年のままなのです。

少年は、途中、母に謝るチャンス、
祖父母に謝るチャンスを何度か手にするのですが、
そのたびに思春期特有の反発心からか
なかなか素直になることができません。

とうとうそのチャンスをつぶしたまま、
そっちに行ったらいけない!
と思わず、本の外から叫びたくなるような方向へ
どんどん踏み入ってしまうのです。

ところが中盤になると様子が変わってきます。

少年にしか見えない人物が現れ、
自己啓発系本にあるような
あるいはスピリチュアル系の本にあるような
メッセージを投げてくるようになります。

これらのメッセージは、心に響くものではあるのですが、
私自身は、少年に、現実の喪失から立ち上がって、
再生してほしいと願っていましたので、
ここはこういう表現方法ではない何かを期待していました。

『ジャーニー・ホーム』のようなものも読んでいますので、
最初からそういう形でメッセージが来るとわかっていれば、
そのように受け止めるのですが、
本書はそのタイプではないと思っていただけに、不意打ちでした。

再生の過程で受け取るメッセージは、
頭の中に響くような何か自分の力を超えたものを感じることはあっても、
受け取るときは、自分にしか見えない特定の人物ではなくて、
他の人の言葉だったり、本の中だったり、
もう少し現実的なものを媒介して入ってくるだろうと思うのです。

私自身は、少年の喪失からの再生を願っていました。

少年がどう立ち上がって大人になったのかを見たかったのです。

そして、自分は登場人物よりも著者に近いかもしれないと書きましたが、
私自身も自分の処理能力を超える出来事が起こったとき、
もう弁解のチャンスがないままに相手に旅立たれてしまったときに、
自分と相手との関係はなんだったのかを、
相手が旅立った直後に書いたという経験があります。

それは自分を癒すための行為であったのだと思います。

本書は、著者自身を癒す意味もあったのだと思います。

最初は、家族だけに読ませるつもりだったらなおさら、
著者自身が少年からここまできた道のりを、私は見たかったのです。

そして、一番残念だったのは、実は、欄外です。

著者は語りすぎてはいけないと私は思います。

『晴れときどきアスペルガー』のあとがきを読んだときと同じような気持ちになりました。

フィクション要素があってもかまわないので、
どれが事実でどれが違ったかの解説は要らなかったのです。

フィクションなら完全にフィクションとして、
事実が織り込まれていることで涙を誘う必要はないのです。

もし、どんな事実が織り込まれているのか
いっさい明かされないままのフィクションならば、
今回使われていた手法に対して、
これほどまでの反発は感じなかったことでしょう。

自分の書いた物語がどれほど自分を癒すのか、私にはわかるのですから。

それでも、あえて、自分の好みを語るならば、
もう少しフィクション要素を減らして、
自分の葛藤と正面から向き合っていただきたかった。

今を生きるための物語を紡いでほしかったと思うのです。

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紙の本

感動

2016/05/28 10:33

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ぽにょ - この投稿者のレビュー一覧を見る

感動した。
ただ涙を誘うだけではなく、家族の温かさというか大切さを教えてくれる作品だった。
翻訳ものにある読みにくい言い回しなどはなく、読みやすかった。

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2011/08/05 20:45

投稿元:ブクログ

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2014/01/08 15:52

投稿元:ブクログ

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2018/12/22 13:45

投稿元:ブクログ

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2021/01/24 16:13

投稿元:ブクログ

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