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商品説明
「世界のクロサワ」の全作品を公開時に観つづけてきた著者が、時代と格闘してきた映画作家・黒澤明の栄光と挫折、喜びと苦悩を描く。『本の話』連載に書き下ろしを加えて単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
小林 信彦
- 略歴
- 〈小林信彦〉1932年東京生まれ。早稲田大学文学部英文学科卒業。翻訳推理小説雑誌編集長を経て作家になる。「日本の喜劇人」で芸術選奨文部大臣新人賞、「うらなり」で第54回菊池寛賞受賞。
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紙の本
よかっただろ、不満があるのか?
2009/11/24 08:42
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が映画にはまったのは1970年代の初めの頃だった。背伸びをして読んでいた映画雑誌「キネマ旬報」に、黒澤明の「トラ・トラ・トラ!降板事件」の記事があったことをおぼろげに記憶している。それにつづいて、黒澤の初カラー映画『どですかでん』(1970年)の特集があって、その当時から黒澤明の扱いは別格のような印象があった。
だから、本書の著者小林信彦と私とはまったくちがう、黒澤明体験をしていることになる。(小林は黒澤明のデビュー作『姿三四郎』を実体験として劇場で観、「生まれて初めて<文化的事件>を経験した」とまでいう)
もちろん、映像再現装置が普及した現代では黒澤明のすべての作品を家庭で見ることは出来るし、私もそのようにして初期の名作(学生時代にいわゆる名画座で多くの野心的で刺激的な作品は観たが)を見てきた。しかし、残念ながら劇場という空間のなかで、時代という空気とともに観ることとは大きく乖離していると思う。まったくもって、そういうしかない。
小林信彦は黒澤明作品論とでもいうべき本書を書くにあたっていくつか独自のルールを作ったという。詳細は本書のあとがきである「自分の舌しか信用しない」にあるが、ひとつだけ書きとめると、
「自分が体験したこと、直接見たり、耳にしたこと以外は、一切書かない」ということがある。そのことで、黒澤明の作品論として狭まったことはあるかもしれないが、小林が生きた時代にひきつけた、ある意味まっとうな黒澤論になっているように思える。
<天皇クロサワ>を稀有な映像作家としてのレベルまで引き下げた功績は大きい。
私が接した黒澤映画はすでにどの作品も「クロサワが作った名作」でしかなかった。私が実際に劇場で見たのは、本書で「小品」と書かれた晩年の三作品であるが、初期の『酔いどれ天使』や『野良犬』、中期の『生きる』『七人の侍』と比べるまでもないのは誰が観ても明らかだろう。(それでも、遅れてきた黒澤明体験者としては、晩年の小品のなかから一生懸命クロサワを感じようとしていたのであるが)
小林は「名前が巨大になり過ぎた」と書いて、その魅力は『天国と地獄』までとしているが、時代そのものが黒澤明のダイナミックな映像の力を求めたあかしであるといえる。
もしかすると、黒澤明自身が昭和40年以降の大衆の変化に苛々していたのではないだろうか。
黒澤映画を観たあと、小林が目撃したという若い男女の会話、「よかっただろ、不満があるのか?」は、案外黒澤明の胸の内だったかもしれない。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でご覧いただけます。
紙の本
リアルタイムで見た者しか語れないこと、「黒澤明という時代」。
2010/09/27 16:59
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オクー - この投稿者のレビュー一覧を見る
「黒澤明の作品論なんて書くつもりじゃなかった」という小林信彦が
なぜこの本を書いたのか。その答えが最終章にある。この話はちょっと
すごい。「羅生門」「生きる」「七人の侍」の脚本家である橋本忍に対
して監督でこれも黒澤さんとの関わりが深い野村芳太郎が面と向かって
こんなことを言ったのだ。「黒澤さんにとって、橋本忍は会ってはいけ
ない男だったんです」「そんな男に会い、「羅生門」なんて映画を撮り、
外国でそれが戦後初めての賞などを取ったりしたから…映画にとって無
縁な、思想とか哲学、社会性まで作品へ持ち込むことになり、どれもこ
れも妙に構え、重い、しんどいものになってしまったんです」。これ本
人に言ったんだよぉ…怖い人だなぁ、野村芳太郎。このあと橋本が先に
書いた3本の映画を持ち出し反論しようとすると、「それらがなくても、
黒澤さんは世界の黒澤になっています…」と断言する。いやはや、いや
はや。
「黒澤明という時代」は小林さんがこの野村氏の言葉に勇気を得て書
いたものである。つまり、小林信彦も野村芳太郎と同じようなことを感
じていた、ということだ。しかし、それは「リアルタイムで黒澤を見た
人間」でないと理解できないものなのだ。今では誰もが巨匠クロサワの
作品、という目で彼の映画を見る。時系列でもなく、すでにフィルター
がかかっている。だからこそ、封切時の評価を残しておく必要性を小林
さんは強く感じたのだろう。「姿三四郎」から「まあだだよ」まで、作
品の評価と観客の反応を読んでいくと当時はこうだったのか、と驚くこ
とが多かった。これは、黒澤ファン、映画ファン必読の一冊である。
ブログ「声が聞こえたら、きっと探しに行くから」より