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  • みんなの評価 5つ星のうち 4.4 26件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2009.7
  • 出版社: 角川書店
  • サイズ:20cm/266p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-04-885021-6

紙の本

昭和二十年夏、僕は兵士だった

著者 梯 久美子 (著)

俳人・金子兜太、考古学者・大塚初重、俳優・三國連太郎、漫画家・水木しげる、建築家・池田武邦。それぞれの戦場で、かれらは何を見たのか。若き日の戦争の記憶を語る。『本の旅人』...

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昭和二十年夏、僕は兵士だった

税込 1,870 17pt

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商品説明

俳人・金子兜太、考古学者・大塚初重、俳優・三國連太郎、漫画家・水木しげる、建築家・池田武邦。それぞれの戦場で、かれらは何を見たのか。若き日の戦争の記憶を語る。『本の旅人』連載を書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】

収録作品一覧

賭博、男色、殺人−。南の島でわたしの部下は、何でもありの荒くれ男たち。でもわたしは彼らが好きだった。 金子兜太 述 11−56
脚にすがってくる兵隊を燃えさかる船底に蹴り落としました。私は人を殺したんです。一八歳でした。 大塚初重 述 57−110
逃げるなら大陸だ。私は海峡に小舟でこぎ出そうと決めました。徴兵忌避です。女の人が一緒でした。 三國連太郎 述 111−149

著者紹介

梯 久美子

略歴
〈梯久美子〉1961年熊本県生まれ。北海道大学文学部卒。編集者を経て文筆業に。「散るぞ悲しき」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。ほかの著書に「世紀のラブレター」がある。

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書店員レビュー

ジュンク堂書店明石店

『水脈の果炎天の墓碑...

ジュンク堂書店明石店さん

『水脈の果炎天の墓碑を置きて去る』これは俳人金子兜太氏が海軍主計中尉として任地トラック島を離れる際に詠んだ句です。甲板の上で墓碑(死者)に見られているように思ったと言われています。戦場では、理不尽な死があふれています。この本は、金子氏をはじめ大正生まれの五氏の戦争体験を著者が丁寧に取材、調査をし語られています。彼らが死者に語りかける声を聞いて戦争当時にふれてみませんか?

みんなのレビュー26件

みんなの評価4.4

評価内訳

  • 星 5 (13件)
  • 星 4 (6件)
  • 星 3 (4件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

神棚・仏壇。

2009/08/11 18:05

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本を読んだら、家にある神棚や仏壇を思いました。
以下、思いつくままに。余談から。

司馬遼太郎著「この国のかたち」に「ポンペの神社」という文があります。

「十数年前、私が四国の善通寺に行ったとき、そこの国立病院の名誉院長だったこの人にはじめて会った。『私の生家の庭に、ポンペ神社という祠(ほこら)がありまして』といわれた話は、わすれがたい。幼少のころ、荒瀬(進)さんは、毎朝庭に出てその祠をおがまされた。あるとき祖母君に問うと、『ポンペ先生をお祀りしてある』という。オランダ人・・ポンペは、江戸幕府がヨーロッパから正式に招聘した最初にして最後の医学教官だった。・・・安政四年に開講した。・・三期生になって・・百二人という多さだった。三田尻での代々の医家にうまれた荒瀬幾造青年の名は、その百二人のなかに入っている。武士待遇の藩医でなく、庶民身分の町医であるかのようだった。惜しくも幾造は、早世した。
ただ、帰国してめとった妻に、ポンペ先生の人柄と学問がいかにすばらしかったかということをこまごまと語った。それだけでなく、ポンペ先生の恩は忘れられないとして、庭に一祠をたてて朝夕拝んでいたのである。
右のことについて、私はかつて書いたことがある。人間の親切(この場合、ポンペの熱心な講義と学生への応対)というものが、幾造の妻に伝わり、さらには孫の進氏にまで伝わったことに感じ入って『胡蝶の夢』という作品を書いた。・・・・・・・・・・・
唐突だが、右の祠に対する未亡人やその孫の感情と儀礼こそ、古来、神道(しんとう)とよばれるものの一形態ではないか。」


「栗林忠道 硫黄島からの手紙」(文藝春秋)に、昭和二十年一月二十一日の手紙があります。そこから、

「遺骨は帰らぬだろうから、墓地についての問題はほんとの後まわしでよいです。もし霊魂があるとしたら御身はじめ子供達の身辺に宿るのだから、居宅に祭って呉れれば十分です(それに靖国神社もあるのだから)。それではどうか呉々も大切にして出来るだけ長生きをして下さい。長い間、ほんとによく仕えて呉れて難有(ありがたく)思っています。この上共子供達の事よくよく頼みます。    良人より 妻へ  」


この栗林忠道氏についての本を書いたのが、梯久美子氏でした。
その梯(かけはし)氏が、今度「昭和二十年夏、僕は兵士だった」を出された。五人の昭和二十年の回想をインタビューしてまとめられたものです。
その「まえがき」に、こんなエピソードが書き込まれておりました。


「平成19年の春、ある雑誌の記事が目にとまった。俳人・金子兜太(とうた)氏のインタビューである。健康法を問われ、当時87歳の金子氏は、毎朝、立禅をしています、と答えていた。立禅というのは彼の造語で、座禅を組む代わりに立ったまま瞑想するのだそうだ。しかし、どうしても邪念が浮かぶ。そこで、忘れられない死者の顔と名前を、ひとりずつ思い浮かべていくのだという。この人は、こんなふうに死者とつきあっているのか。そう思った。金子氏は戦時中、海軍主計中尉としてトラック島に赴いている。日本の将兵の多くが、おもに飢えのために死んだ島だ。やせ衰えて死んでいった人たちの、小さくなった木の葉のような顔が目にこびりついて離れないと、記事の中で語っていた。」

こうして、この本に登場するのは、金子兜太・大塚初重・三國連太郎・水木しげる・池田武邦。ただのインタビューと違って梯久美子氏は、その戦時中の関連する背景まで記述しておりました。金子兜太氏の文には、同じトラック島にいた梅澤博氏が出てきます。

「朝、仏壇に水をあげるとき、梅澤氏はかならず埋葬した人たちのことを思う時間を持つという。『われわれが思い出すときだけ、かれらは内地に帰ってこられる―――そんな気がするんです。もうあの人たちのことを知っている人間も少なくなりました。生きている限り、わたしが覚えていてやらなくては』」(p26~27)

金子兜太氏が復員船で帰国する昭和21年11月のことも書かれておりました。


「日本から迎えにきた駆逐艦が島を離れるとき、甲板の上から、米軍の爆撃で岩肌がむきだしになったトロモン山が見えた。そのふもとには、戦没者の墓碑がある。このとき金子氏は、こんな句を作っている。

  水脈の果(はて)炎天の墓碑を置きて去る

みずからが『人生の転機といえる二つの句のうちの一つ』と言う句である。
甲板の上で金子氏は、墓碑に見られているように思ったという。死者が最後の一瞬まで自分たちを見送ろうとしている、と。」

この梯氏の本には五人が登場するのでした。
その五人を読みおわると、自然と、五人の戦争を思うのでした。すると、「美しい花がある、花の美しさというものはない」という言葉が浮かぶのでした。戦争の悲惨というものはない。ここには、五人の兵士の悲惨さがある。その悲惨をかかえながら、戦後を生きた強さが、たんたんと語られているのでした。

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紙の本

5人の方の戦場における日常、非日常

2009/10/10 15:03

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みどりのひかり - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この題名と戦争から生きて帰って戦後に活躍されておられる五人の方々へのインタビューをも含めてそれぞれの人にとっての戦争を書いたものだという内容説明とで、ぜひ読みたいと思いました。
そして読んで思ったことは、このビーケーワンには和田浦海岸さんの書評があります。彼の書評がすべてを語っているような気がしました。

 5人の方の戦場における日常、非日常がそれぞれあり、それぞれの個性があり、当たり前と言えば当たり前ですが、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 吉田満さんの「戦艦大和の最期」と異なり、『きれいな青ぞらとすきとほつた風』、つまり詩人が醸し出す雰囲気は特に感じなかった。それはそれで良し。この作品にはこの作品のよさがある。
でも、ぜひ一度、こちらの吉田満の「戦艦大和の最期」の書評と本を読んでみてください


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2009/10/20 20:19

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2009/11/05 20:07

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2009/12/17 22:24

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2009/09/13 03:21

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2009/12/19 09:02

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