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- カテゴリ:一般
- 発売日:2008/09/01
- 出版社: 医学書院
- サイズ:21cm/219p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-260-00725-2
紙の本
発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズケアをひらく)
【毎日出版文化賞企画部門(第73回)】外部からは「感覚過敏」「こだわりが強い」としか見えない発達障害の世界は、当事者にとってどのようなものなのか。「過剰」の苦しみは心では...
発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズケアをひらく)
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商品説明
【毎日出版文化賞企画部門(第73回)】外部からは「感覚過敏」「こだわりが強い」としか見えない発達障害の世界は、当事者にとってどのようなものなのか。「過剰」の苦しみは心ではなく身体に来ることを発見した画期的研究。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
まずはその人の内面で何が起こっているのかを知るということ。その手がかりとなる一冊。
2009/05/17 11:40
13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、アスペルガー症候群当事者と自認している綾屋紗月氏と
脳性まひ当事者の熊谷晋一郎氏の共著である。
テキストの中に熊谷氏が登場するのは7章のみで、
大部分の章を執筆しているのは綾屋氏である。
熊谷氏は、綾屋氏に問いかけ、対話をしていくことで
表現を引き出していく役割を果たしている。
綾屋氏と熊谷氏は、大学時代に手話サークルを通して知り合った友人で、
当時は綾屋氏はアスペルガー症候群との診断は受けていなかった。
綾屋氏は、当事者が書いた自伝に書いてあることが
自身の体験と驚くほど似ていたということから、
「アスペルガー症候群という概念を自分で発見」し、
10年ぶりに再会した熊谷氏に尋ねたのだそうだ。
「わたし、アスペルガー症候群だと思う?」と。
熊谷氏は、小児科医であるが、
児童精神医学についてのトレーニングは受けておらず、
自閉症の専門家でもない。
綾屋氏との共同研究において羅針盤にしているのは、
医師としての知識や経験ではなく、
脳性まひ当事者としての困難だったという。
熊谷氏は、アスペルガー症候群という概念は
どのようなものかを知る必要があると同時に、
アスペルガー症候群という概念では語りつくせない綾屋氏固有の体験を、
なるべくていねいに見分けなくてはならないと考えた。
「綾屋さんのその感覚、苦しさや喜びは、
自分の経験ではどれにちかいだろうか」、
「ほんとうに自分の感覚と同じだろうか」、
「質的には同じでも量的には違うのではないか」・・・。
この問いかけが綾屋氏の言葉を引き出した。
「その経験を等身大で表現しきれている概念はないだろうか」
という思いで、医学に限定せず、情報を検索し、
見つからなかったときは自分たちでことばをつくり共有する
という手法をとった。
こうして、自閉とは何かという問いに、オリジナルな説を与えた。
「意味や行動のまとめあげがゆっくり」であるということ。
綾屋氏は、2006年にアスペルガー症候群と診断されているが、
自身の体験のすべてが
「従来の」自閉症概念に収まるわけではないという可能性を
自覚しているため、
「発達障害」という言葉をタイトルに使っている。
従来の自閉症概念に合うように私の体験を編集しなおすことなく、
発達障害という大きい枠の中で自由に語ることから始め、
その自由な<<私語り>>を起点に、
従来の自閉症概念をずらしていくのが、
この本の目的である。 (p.4)
本書は次のように構成されている。
はじめに 「まとめあげが、ゆっくりで、ていねい」という自閉観
1章 体の内側の声を聞く
1 身体の自己紹介
2 行動のスタートボタン
3 具体的な行動のまとめあげ
4 今日、寒いの?
5 風邪かな、うつかな、疲れかな
2章 外界の声を聞く
1 感覚飽和とは何か
2 「身体外部の刺激」が飽和する
3 「モノの自己紹介」が飽和する
4 「アフォーダンス」が飽和する
5 声があふれる日常
6 感覚過敏・感覚鈍麻という言説の再検討
3章 夢か現か
1 夢侵入
2 夢への入り口
3 夢の世界
4 夢のあと
4章 ゆれる他者像、ほどける自己像
1 所作の侵入
2 キャラの侵入
3 「行動のまとめあげパターン」と
「意味のまとめあげパターン」の関係
4 他者像の揺らぎ
5 自己像のほつれ
6 「普通のフリ=社交」の困難
5章 声の代わりを求めて
1 私と声との物語
2 話せない感覚
3 聞こえない人びとの文化によるアシスト
4 手話歌でうたえる
6章 夢から現へ
1 東洋医学との接点
2 食後の身体変化
3 音での空間把握
4 月光の効果
5 草木の声
7章 「おいてけぼり」同士でつながる
1 脳性まひ当事者の経験を重ねて
2 便意の「まとめあがらなさ」
3 電動車いすと「アフォーダンス」
4 リハビリ中の「夢侵入」
5 一人暮らしで「モノとつながる」
6 「おいてけぼり」当事者同士でつながる
おわりに 同じでもなく違うでもなく
各節の副題まで書くと、さらにおもしろい表現があるのだが割愛した。
独特な表現の意味は、実際に本書を読んで確認していただくとして、
最後に最も印象的だった言葉を紹介したい。
今でも、私にはときどき猛烈に「人恋しい」気持ちがやってくるし、
いまだに「いったいあの楽しそうな様子とは、
中にいるとどういう感じがするものなのだろう」という、
楽しそうな集団への素朴で強烈な憧れが沸き起こる。
このようにヒトとつながることへの憧れを抱くのは、
もしかしたら、私がつながる満足感を知っているからかもしれない。
私には植物や空や月とならば、つながっている感覚がある。
心がかよい合い、開かれて満ちていく楽しさや充足感がある。
それと同じように、もし人びとが集団のなかで、
「自分が集団の一構成員として、
主体的に輪の中に存在していることを自覚し、
やりとりを重ねるうちに楽しいという気持ちが自然に湧き上がり、
気持ちを他の構成員と共有する」という体験を
味わえているのだとしたら、
うらやましくてたまらないのである。
(p.123-124)
ヒトと本当につながっている感覚は、
なかなか味わえるものではないと思う。
本当に味わったことがあるのかと問われると、
私自身は実はないのかもしれないとさえ思う。
綾屋氏は、本当に体の感覚が繊細な人で、
体中の痛みやそれに対応したときのすっきり感や、
何かを食べたときの体の反応を細かく感じる人である。
それが「あふれるような身体感覚」となり、
意味や行動につながっていきにくくなっている。
植物の声が聞こえることや
出産のときの月の影響のエピソードにあるように、
彼女が自然や空や月とつながっているというのも、
本当につながっているのだと思う。
何かが足りないことも生きにくさを生むが、
何かが多すぎることも生きにくさを生む。
敏感で、繊細で、純粋であることが生きにくさを生む。
「できないわけではない」、「ゆっくりていねいならできる」から、
「できるできない」という質的な二律背反ではなく、
「できるけれどもどれくらいの負担がともなうのか」という
量的な問題で伝える。
「できるけどしません」ということが大事だという。
これは、重度身体障害者の自立生活運動の根底となる考え方である。
発達障害の世界と重度の身体障害者の世界は離れている
と思っていたのだが、
自立生活の考え方が両者をつなぐことも発見だった。