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商品説明
鎖国から開国へ。日米和親条約、日米修好通商条約など、幕末のほぼすべての外交交渉に立ち合い、主席通訳、条約文の翻訳に尽力した幕府通詞の生涯をたどる。緊迫する外交交渉の最前線を資料から再考。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
江越 弘人
- 略歴
- 昭和10年、長崎市生まれ。
昭和34年、長崎大学卒。長崎県公立学校(小学校)勤務。平成8年、定年退職。現在、長崎の歴史に関する講演、史跡のガイドなどを精力的に行なっている。
著書に『白帆注進』(共著、長崎新聞社)『逃げる男 活版印刷の祖・本木昌造』(長崎新聞社)など。
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紙の本
今も昔も、外交はタフでなければならない。
2008/06/20 21:31
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
身分制度の厳しい江戸時代、長崎のオランダ通詞の森山栄之助が時代の要望に応えながら幕臣という身分にまで上りつめた一代記である。
オランダ語のみならず英語にも長けていたということが彼を幕府の外務官僚という身分にまで引き上げたのだが、幕末における諸外国との条約締結における彼の功績を知る人は少ない。その森山栄之助にスポットをあてての物語となっている。
オランダ通詞の身分は町民であり、代々世襲という特異な職業である。
どちらかというと、現代の商社マンのような働きをしており、日本人とオランダ人との間で通訳を行うことはもちろん、オランダからの交易品を売り捌く仕事も行っており、生活はいたって贅を極めていた。
しかしながら、鎖国によって平穏を維持できていたときはよかったが、西欧の政治的な影響が極東にまで及ぶようになって、オランダ通詞たちも従来のオランダ語一辺倒では済まなくなっていく。遠いヨーロッパでの戦役によって戦勝国となったイギリスのフェートン号がオランダの権益地である長崎港に侵入してきてから様相が一変する。ただでさえ、日本近海にアメリカ、フランス、ロシアなど欧米諸国の船が出没するようになってきている最中での事件だった。
これをきっかけに、森山栄之助たちオランダ通詞は諸外国の言語を学ぶことになるが、偶然にもアメリカ捕鯨船の乗組員であったマクドナルドという人物が長崎に滞在したことから森山たちは生きた英会話を学ぶことができた。
内憂外患の時代背景のなか、諸外国との交易や条約批准の情報も少ないなかで幕府の外国奉行とその関係者は奮闘につぐ奮闘の連続であった。その重要な位置を占めていたのがすぐれた語学力とコミュニケーション能力、加えて交渉力を備えた森山栄之助であったが、維新の後には一介の市井の人となっている。
いまだに維新政府の功績だけがクローズアップされ、幕府の不手際が糾弾される現代において、森山栄之助の足跡をたどることで幕末における幕府の功績をも見直すべきと著者は主張する。
ちなみに、オランダ通詞たちが時代の変化に対応すべく諸外国の言語を早々に習得できた陰には、森山栄之助たちオランダ通詞の先輩にあたる志筑忠雄の文法書翻訳の力が大きい。「諳厄利亜興学小筌」という英会話書など志筑忠雄の弟子たちが文法書をもとに諸外国の辞典などを作成していったが、このことは『長崎蘭学の巨人』(松尾龍之介著)に詳しい。
とまれ、長崎のオランダ通詞たちの技術の伝承があっての幕末、維新の日本であったということがわかるが、その裏側で活躍した人々を振り返るのも、歴史を楽しむ醍醐味である。