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辻希美・加護亜依写真集
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片岡直子/ベイビィであることを義務づけられている、そのことによく答えてあげている彼女たちの、飛ばない写真集
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幼さが求められるところで思いきり幼くするのは、容易いけれど、いつか本人たちが、それに飽きてしまう。2人は、すでに飽きているかもしれない。中身は15歳だけれど、小学生やそれ以下の存在として、あることを求められている。 いつも2人一緒にいることは、彼女たちに、どんな未来をもたらすだろう。タンポポ派の私は、そこにいる加護と、そこにはいない辻について、時々考える。 アクセントのような天使姿が可愛らしい。写真だと、加護の頭が絶壁なのも、よくわかる。上を向けられて、安眠していた赤ちゃんだった加護を想像する。本当に天使だったことだろう。今は「太るぞ」などと突っ込みを入れながら、見ているけれど、あとほんの少…
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動物園で撮った家族の写真
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片岡直子/読み進むにつれ、自らの動物園物語に浸りこんでしまう。その懐に抱かれた記憶は、お腹の底で温かい
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息子が、動物園や牧場で発した言葉というのは、意外に印象深く、その時の口調も、幼かった身体の線と一緒に覚えている。「シマウマぁ、はやちゃんのところへ、おいでぇ!」と声をかけたり、手で草をやってから、ほっとして、「お母さん、牛、噛まないわぁ」と歓びの声を上げながら、こちらへ走ってくる様子とか。今の四分の一ほどの身体で、動物と相対していた幼かった、別人のような息子が思い出される。「上の動物園があるなら、下の動物園もあるんでしょ?」といったのは、幼い頃の私なのだけれど、本書の後ろのエピソード集を読んでいたら、24歳の女の人も同じことを言って家族を笑わせたとあり、いったい何人の子どもが、対義語としての…
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少女スタイル手帖
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片岡直子/世の中への最初の媚が可愛らしいお色気になっている。時代を背負ったものだけが持ちうる美しさ
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決め手になったのは、「ぱっちんどめ」という言葉だ。 個人的には黒いピンのほうが好きだった気がするのだけれど。本を取り寄せてみてまず、表紙のビニル靴に引き寄せられる。これは妹がはいていた靴ではないか! 母がごしごし洗って、いつも月曜日には新品のような靴で、私も妹も出かけていた。『昭和30〜40年代 少女の想い出大百科』は、『クレヨンしんちゃん』に出てくる大人でなくても、懐かしさに狂ってしまうだろう。著者の宇山あゆみさんの写真は美人だ。美人だけれど、どぎつくない。それは本書に取り上げられているおもちゃを見るように眺めることのできる大人の写真だ。 首をかしげる人形は、友達の家でもピアノの上で私たち…
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スキップしたり、ころんだり
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片岡直子/祖母っ子だった人、ママっ子だった人。妙に納得のいく女優さんのエピソードから、人生を見渡す一冊
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この本には私の嫌いな女優がいない。そういうのは珍しいことだ。たいてい嫌いな女優も2〜3混ざっているというのが普通だと思うのに。特に好きなのは、稲森いずみ、菅野美穂、吉川ひなの。米倉涼子は嫌いにすれすれだけれど、読んだら変わるかもしれないと思って読んだけれど、そうでもなかった。『ドラえもん』のジャイアンみたいな子だったという菅野美穂。面白いのは、埼玉の普通の女子高に通っていたという彼女の周りには、アクが強くて面白い、タレント性のある友達がいっぱいいて、自分は平々凡々でいたという話。人生というのは要所で締めるもので、いつも無駄に目立っていても、菅野ちゃんにはなれないということだと思う。生年順に並…
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包囲されたメディア
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片岡直子/青少年に一番有害なのは性でも暴力でもなく政治家の愚行。無視、拒否、反対では解決しない問題の鍵
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FMの番組審議会に、6年間出席している。次の議題が、「メディア規制法について」になったので、古紙回収に出していなかった一か月分の二種類の新聞から、関連記事を集めてファイルし、読み進めていくうちに、それまで茶の間で読み過ごしてきた私にも、何が問題で、どういうことが行われようとしていて、どうするべきなのかが、おぼろげにわかってきた。スキャンダルを嫌悪する政治家がいて、それを逃すまいとするマスコミがあり、個人情報を流されて迷惑する一般庶民がいて、不幸にして犯罪の関係者となった本人またはその家族への、不躾な取材を横目で見ながら、これってあんまりだと思っている視聴者がいる。この問題には、さまざまなメデ…
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大きな活字のコンサイス和英辞典
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片岡直子/この情報量、見やすさと軽さが、本書の最大のポイント。コンサイスの歴史をふまえ快適に使いたい
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これだけ厚くてこの軽さはすごい。ソフトカバーと、真っ白ではない紙による本文。左手だけで十分扱える。勿論活字は大きいのだけれど、左右の余白も、すっきり感を与えるのに役立っている。全体にスペースが許されているため、丁寧な解説がなされている。最初に、この辞書の改定の年が記される。 1923 1932 1940 1950 1952 1957 1959 1967 1975 1985 巻末には、「コンサイス和英辞典の歴史」が載っている。書名も、「袖珍コンサイス和英辞典」「新コンサイス和英辞典」「最新」「最新(新語篇つき)」「最新 改訂版」「最新 増補版」再び、「最新 改訂版」「最新 第8版」…
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大きな活字のコンサイス英和辞典
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片岡直子/「紙の辞書」によるハンディの究極を追求。四半世紀ぶりの全面改訂によるコンサイス英和の大きな活字版
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辞書を支えているのは、何といっても誇りだろう。この辞書の変遷を、本書の後ろの「コンサイス英和辞典の歴史」で読み、興味を持ったので、三省堂に電話をしたら、本書の1922年発行の初版の『袖珍コンサイス英和辞典』は、水道橋駅近くの三崎町の本社に保管してあるとのことだった。機会があれば事前に連絡をして、見せてもらいにいこうと思っている。ちなみに、初版があるのは、英和だけで和英は無いとのこと。また、2001年には、この初版の復刻版が、発行されている。四半世紀ぶりの全面改訂を経て、その充実は計り知れない。「まえがき」には、「英米の最新の辞典・事典ばかりではなく、英米の新聞のCD−ROMの検索によって、用…
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日本百名道
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片岡直子/道路を造った全ての人々への敬意を胸に、懐かしい道ばかりで満たされた本書の美しい写真風景を堪能した
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道路には、全てそれを造った人がいる。そのことを強く思ったのは、大学時代の自転車部の時なのだけれど、こんな当たり前のことも、アスファルトや砂利の道を踏みしめてペダルをこがなければ、私の頭の中で言葉になることは無かったかもしれない。 当たり前のようにそこにある道で、人は時々思ってもみない経験をする。道路が海へ飛び込んで行くように思える坂を下り始めた時や、或いは反対に、坂を登りに登って登りつめた時に現れる、より高い山に驚いたり。その変化を起こしたのは、車であれ、自転車であれ、移動してきたこちら側であるのにもかかわらず、あちらからやってきたような衝撃に、胸を衝かれる。富士の裾野では、いつも富士が見え…
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「飽きない」散歩術
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片岡直子/思い立った時なら散歩も楽しいけれど、コンスタントにとなると辛い。それを飽きずに続けている人たちの工夫
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このごろよく歩く。今日も仕事帰りに川越の街を歩いてきた。川越は高校時代を過ごしたけれど、そういう者の常として、駅と学校との間以外はほとんど知らないという、情けない状態だった。今日行ったのは市立中央図書館。見てみたかった古い建物は、18年も前に解体されたという。駅に戻ろうと歩いていると、「時の鐘」が現れたりして、こういう道でも十分散歩になると思った。帰りはバスにしたけれど満足だった。 娘が愛用している万歩計では、二人で歩いても、まあせいぜい一万歩というところ。元体育会の弱みで、あまり運動をすると食べて太ってしまう私としては、久し振りに画期的なことをしている。ほぼ十年間じっとしてきた。幸いまだ体…
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世界のサインとマーク
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片岡直子/一目で解らせようとしたデザインの押しと引きと単純化の味わい。中には解説で初めて理解できるものもある
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世界各国の非常口や、鉄道、ホテルなどのサインとマークが、一冊にまとめられている。帯には、「110種の図記号がJISに登録されました!」、監修者紹介には「サインデザイナー」「2001年JIS案内図記号原案作成委員会委員長となる」とある。絵文字には誰もがお世話になっている。海外の空港でまず探すのは、トイレのマークだし、その国それぞれのサインを解読することが、言葉の不自由な旅を勢いづかせる。 日本のピクトグラムデザインは優れていて、非常口を示すサインは、日本案が世界のスタンダードになっている。確かに、愛嬌もあり、飄々とした、あのデザインは印象的で、昨年は、娘の小学校の運動会の緑チームのマスコットに…
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レイクサイド
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片岡直子/恋愛に長けた人にしか書けない男女が、そこにいる。体内に血の流れる人間の、滑らかなミステリ
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独特のしっとり感を、いつも味わっている。 あまりに何の味もしないような、文学作品を読みすぎたからかもしれない。 本を読むとき、創作意欲をかき立てられるものと、思考停止にさせられるものとがある。東野圭吾の場合は、明らかに後者で、自分の創作のためには役に立たない。けれど、彼の短編は少し違っていて、『怪笑小説』や『毒笑小説』には、詩に通じるポップさがあり、読んでいて、おなかのどこかが、とても刺激された。 彼の作品の落とし前のつけ方には、いつもうならされる。人生何にも知らないんですボクみたいなものばかり読んでいた目で読むと、血がたぎっていて、人情味があって、納得がいく。実際のところ、書き手が本当に生…
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和骨董のインテリアレッスン
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片岡直子/黒く光る古い家具の落ち着き。時を経たものだけが演出できるくつろぎの空間を味わう予習を、本書でする。
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和の味わいに、若い人も夢中になっているとしたら、それはちょっと素敵なことかもしれない。 2002年春の連続テレビ小説「さくら」は、高山の古民家が舞台になっていて、黒々とした柱に囲まれた家を、毎朝見ることができる。ハワイ生まれのヒロインの活躍も良いのだろうけれど、主役は高山の家や町並みだと思って一日に何度も見ている。 部屋は散らかっているのにインテリアには興味がある。 まだ、実家にいたころは、小さな部屋をいろいろと模様替えして楽しんでいた。 今住んでいる家の自分の仕事部屋は、すでに私の手には負えなくなっており、何をどうこうするという意欲に欠ける者としては、こういう本を見て刺激を受けるしかない。…
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カシミール3D入門
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片岡直子/もしかしたら一生登ることの無い山からの風景を楽しむだけではなく、写真撮影までが、できてしまう一冊。
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私には、とても良いおもちゃだった。 けれど、これで遊ぶには、少し予備知識があった方が良いだろう。 どこから眺めると、どの山がどう見えて、どの時間帯に、どう光り輝くかなどということを知っていると、かなり楽しめる。 大学のとき、自転車部で日本中を走り回り、富士山をはじめとして、気持ちの良い高い山々にも、自転車で登った。多分私の場合、自転車部に入らなかったら、日本の地理についても、もちろん山々についても、あまりにもチンプンカンプンのうちに、死んでしまったと思う。 夫の転勤で、長野に住んだ時は、一日のうちの六時間、娘を連れて、その頃使っていた軽自動車に乗って、毎日、観光育児にでかけた。 北アルプスの…
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図説死刑全書
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片岡直子/人の営みとしての死刑を考える。死刑と言えば即、廃止ではなく、どのようにそれは行われてきたのかを直視す
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なんだかんだ言ってこうして亡くなっていった人がいたということだ。 それでもって見ていると、ほとんどが死ななくても良かった人なんじゃないかと思えてきて、そういう人たちのためにも、こういう本はあらねばならないのかなと思う。 動物刑、喉切りの刑、腹裂きの刑、突き落としの刑、飢餓刑、檻に閉じ込める、幽閉、首をつられる、体を裂かれる、死刑直前のインタビューなどなど、壮絶だ。 序文には、弁護士、ゴオー・ブリソニエールの言葉がある。「私がこの社会人類学の著者の序文を書くことを引き受けたのは、冷静かつ粘り強くこの問題を理解することにより、読者を力づけることができると期待したからであり、『邪悪な心と悪意に奉仕…
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イタリア式クルマ生活術
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片岡直子/クルマ事情もわかり、真面目だけれど解放的な著者夫婦と一緒に、イタリアのクルマ生活の広がりを楽しむ一冊
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イタリアについて語ろうとする人は、どうしてこう陽気なのだろう。いろんな無駄や、一見馬鹿らしいことが、人々を陽気にするのかもしれない。 本書は、イタリアのバス事情や交通事情に、楽しみながらも、苦しめられて、ついにクルマを買うことにし、複数のイタリア人の指南役のお陰もあって、イタリアの車社会に馴染んでゆく夫婦の体験談。 それにしても、イタリア人のメンタリティには、親近感を覚える。AT車や冷房車が非常に少ないことや、それらをイタリア人は必要としていないと考える人が多いと言うのを読んで、自分のことかと思ってしまった。何年か前のアンケートで、イタリア一住みやすい町として名前があがったシエナを拠点に、夫…
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街角のデザイン文字
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片岡直子/年賀状が活字で送られてくる時代に手書き文字を味わう。書き文字は下手でもすでにデザイン域。
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本書を読むと、手書きというのは、すでにデザインの域に達しているのだなということを、しみじみ感じる。 まだまだ手書きの世界にも十分生きていると思っている私のような者にとっては、特に素晴らしいものではなくても、というか、かなり怪しげなものでも、活字ばかりの生活に慣れている人の目には、新鮮に映るかもしれない。それは、海外の人が日本語を見る感覚に近いだろう。「三木露風の筆塚」「清酒 飛騨自慢」「奉納 川越大師」「塩釜馬具店」「木曽名産 お六櫛」。 そう考えながら、本書を読むと、ただ古いとだけ思っていたものに対しても、微笑ましささえ、感じられるようになってくる。 それは言い間違いをする、小さな子供をい…
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消えたモダン東京
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片岡直子/谷崎のナオミとジョージのいた頃。私たちの原型が現れた場所。70年前の、モボ・モガたちの住まいと暮らし。
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こういう本を見ると、やたらと手に取りたくなるのは何故だろう。 自分が生まれた頃に住んでいた家の面影を、どこかに見いだすからか。 私たちの、曾祖父母たちが若かった頃のことだから、自分の幼少時からも、かなり隔たりはあるはずなのに、恐らくは、戦争の時代を経て、普通の家庭にこれらの建築や文化が、一般的なこととして、降りてきたのが、私の父母の若かった頃だからではないだろうか。 今見たら、勿論目新しいものではないどころか、却って古く懐かしいものであるはずなのに、その時代の「新しさ」を物凄く強く体現して、登場してしまったものだけが醸しだすことができるパワーを、今も保ち続けているように思える。「第1章 都市…
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矢口真里写真集
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片岡直子/「ミニモニ。」親分の矢口真里の写真集。人情派で「モー娘。」随一のしゃべり手で、大人な彼女がここにいる
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娘はもう何と言っても矢口ファンなので、私もその感激の叫びの言葉を聞いていたら、彼女が好きになった。 浅く、表面的に見ているだけだと、矢口さんのキーワードは、「小さい」と「ヤンキーっぽい」だけで終わってしまう人が多い。 けれど、矢口さんは、人情派で、「モー娘。」随一のしゃべり手で、大人で、場を取り持つことも上手で、人間ができている。 ただ小さいということだけで、興味を持ったり、面白がっている、人情の機微に疎いおじさんなんて、彼女に蹴り飛ばされるだろう。 心配だったのは、あまりに衝撃的な写真があったらどうしようかということだったのだけれど、やはり「ミニモニ。」でもある彼女の写真集なので、そう行き…
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猛スピードで母は
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片岡直子/しんとさせるところと、たらんと流すところの巧さが、くいくいっとくる。若い男の人のやわらかさが出ている
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感受性の帯には、いくつかの種類がある。好きな批評家が、私が一度も感動したことのない人の文章について、「今まで一度も良いと思ったことがない」と、きっぱり発言していた。そういうことは度々あることなので、やはりなあと思う場合がほとんどだけれど、帯は、時々ねじれることもある。本書に関する、不評の書評を、いくつか目にした。そこには、私の嫌いな評者もいたけれど、好きな評者もいたので、少しだけくらくらした。 それとは別に、いつも、感想を聞きたくなる年長の詩人は、長嶋さんや、お父上とも、知り合いとのことで、長嶋さんの文体について、骨董屋さんをしておられる「父親譲りのもの」と、知り合いならではの独自の見解を話…
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On the situation
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片岡直子/制約から出発し制約を自由の翼へと塗り替えた作品の拡がり方を一緒に楽しむ。未来の使われ方を想像しながら
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格好の良い本だった。 北山氏本人を体現しているのかもしれない。 たくさんの制約を受けているであろうに、その作品から漂ってくるのは、あくまでも自由な発想であり、作り手の苦労も知らずに、受け取るほうは、のびのびと、想像の翼を広げることができる。 製作の苦労なんて、知らないほうが良い。あくまでも気持ちよくなってもらうために、作品は存在しているのだから。けれど、それをもっと深く知りたくなったときのために、本はあるのかもしれない。 実際に、その空間に含まれたら、却って判らなくなるであろう建築の意図を、こうして本として読むときに、神とまでは言わないけれど、鳥の目のようになって隅々まで見渡すことが可能にな…
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リアリテ ル・コルビュジエ
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片岡直子/建築を巡る旅に出たくなる「経験し、いっしょに時間を過ごし、別の脈絡に移動させ、裏返ししたりしながら」
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ル・コルビュジエの住宅をめぐり、6人の建築家によって、6回の連続的な講座が行われた。本書は、その講演の記録を収め、編集したもの。 帯には、富永譲の言葉で、「ル・コルビュジエの建築に惹きつけられたら、どんな断片でもいいから、それを使ってみること。建築を経験し、いっしょに時間を過ごし、別の脈絡に移動させ、転換させ、たたいたり、裏返ししたりしながら使ってみること」とある。 一昨年の文化の日、新潟県の豊栄市で、安藤忠雄設計の図書館がオープンし、そこへ、3人の詩人が出掛けてゆき、詩を読んだり、鼎談をしたりした。建築や空間を、あまり意識せずに生きてきた私は、初めて意識的に、仕事としての建築が行われた場所…
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春画・江戸ごよみ
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片岡直子/微笑ましくなってしまう程に、ヒトは、たいして進化していない。春画の一枚絵の一発勝負の喚起力に息を飲む
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帯には、「ハレとケのはざまで、猥雑、奔放な性を謳歌した江戸人……。季節には彩りが、暮らしには香りがあった」とある。 本書は、タイトルの最初に、「春画」とあるけれど、紙面的には、それと同じだけの分量の「江戸ごよみ」が、読ませる内容になっていて、その、やや真面目な文章の後で、また例によってといったような春画を見て、ほっと一息つくことになる。 春画なんて、もう見飽きたかな? とも思うのだけれど、見る度に、また新たな発見もある。実際の性の場面で、手が一本邪魔と思う時があるけれど、春画に描かれた手の大きさなら、畳み込めるので、手頃だなどと、本書を見て、また新たに思ったりした。 現代人が工夫をして開発し…
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SNOOPY
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片岡直子/人生や生活の達人でなくては、描けないし、訳せない。大人こそ楽しめる。50年間連載は、やはり只者ではない
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「私は、この子たちの考えていることがわかるの!」 9歳の娘は、「||||||||」だらけのウッドストックの会話もわかるらしい。 1950年10月2日から2000年2月13日に日曜版最終回が掲載されるまで連載された、驚異のシリーズの中の日曜版だけを、谷川俊太郎さんが訳し下ろしてゆくという、春夏秋冬、年4回発行の、全10回シリーズ。 私は、かわいいものが苦手で、スヌーピーも、マスコットになってから出会っているので、なんとなく敬遠したまま大人になったけれど、今回、ちゃんと読んでみると、本当に面白い。大人こそ楽しめる。 50年間連載というのは、やはり只者ではない。 つっこみが深いし、考えさせられる。深…
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チェーホフ短篇と手紙
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片岡直子/百年たっても千年たっても、ヒトはほとんど進化しない。結婚はしても、執拗に別居を望んだチェーホフの短編
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本書を読んで強く思うのは、ヒトはいつ進化するのか、ということ。 チェーホフは、私から見ても、101歳年上のひと。 けれど、本の内容は、訳者の力もあって、全く古びていない。 小説を書く時、100年たっても読まれるものを書きましょう、と言われたことがある。 それは、こういうことなのか。 「ケースに入った男」は、過激な引きこもり系の人の話だし、「浮気な女」は、今でも浮気な女と定義されるだろうし、橇が滑っている間だけ、愛をささやく「たわむれ」も、とてもおしゃれだと思う。 ヒトはほとんど進まない。 1000年昔の光源氏の方が、今の若い男の子たちよりも、ずっと魅力的であるのと同じ。奥手な人は、いつも依怙…
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音楽誌が書かないJポップ批評
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片岡直子/軽いと言う人もあった曲が、こんなに痛い。今まで誰とも「私のユーミン」を語ってこなかった人にこそお勧め
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ユーミンに傷を感じるってどういうことだろう。本書を読みながら、微妙に傷な感じを味わっている。あまりに自分自身だと思い込み過ぎて、それを、誰とも話してきていないから、いたずらに、触れられている気がするのかもしれない。 「中島みゆきに比べて深刻さに欠ける」などと、馬鹿みたいな文句を言っていた人もいた1980年代。14歳から聴きはじめていた私は、自分がユーミンでできていると思っていたので、(そうか、深刻じゃないのか……)と、何故か恥かしく思ったり、生まれて初めての失恋の後は、本当にちょっとだけ聞けない時期もあった。 何も知らずに、ただ私だけのユーミンを温めていた者にとっては、書かれることの、全てが…
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掃除の達人になる!
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片岡直子/掃除以外することが無い人間が大嫌いな私も、少しは刺激を受けたかも。ちょっとは片付けをやってみようか?
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何が嫌かって、掃除をして、止まらなくなっている自分の動作に気づく時が、本当に嫌。吐きそうになる。ある種の家事が上手になったねなどと言われると、こんなことが上手になっても何も良いことはないと思ったりする。基本的に住まうということに関心が無い。心を持つ子供という存在への関心の大きさとは、天と地程の違いがある。 そんな人間なので、本書を読んで達人になれるならと思ったけれど、私には、「快適」というものへの恐れがある。それに至るまでの、ちまちまとした動作の全てが嫌い。家がいくら片づいていても、そこですることがない主婦の気の毒さを目の当たりにし過ぎたせいかもしれないし、基本的に、「快適」? それが何? …
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例解新漢和辞典
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片岡直子/「日本語での用法」欄では、漢字本来の意味と日本語独特の用法を区別して解説。頭が切開されるようで嬉しい
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人類が滅びる時、漢字も一緒に滅びてしまうのかと思ったら、とても虚しく思った記憶がある。漢字ほど、人々の思いの込められた文字も無いのではないか。 本書は3年前に出たものの第2版。「初版を愛用される方々にも、また他の漢和辞典を利用される人にも、この新しい一冊を座右に備えていただいて、決して無駄ではないと自負する」とある。辞書は生き物であり、一冊あるから、それで終わりというものでもない。 本書には、「日本語での用法」という欄がある。これは、「漢字の『本来の意味』と『日本語独特の意味・用法』を区別して説明」するための欄で、例えば、「砌」という漢字は、「階段や軒下の、石をしきつめたところ、石だたみ」の…
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賃貸宇宙
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片岡直子/読み進むにつれて、物質的なものではなく、精神的な広さを感じる。本書は重量があるので、腕が痩せるかも。
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一人の部屋にほっとする。 結婚が、16年になり、それが、重いのだろう。18歳から4年間の一人暮らしが懐かしい。本書に登場する部屋の住人の全てが独り暮らしというわけではないのだけれど。「狭くて広い賃貸宇宙がここにある!」とカバーにある。 読み進むにつれて、物質的なものではなく、精神的な広さを、感じるようになる。「片づけないこと」の章。「片づけない部屋、それはさらけだされた自我そのものだ」。 汚い部屋には茫然とするけれど、逆に潔いとも思う。キタナイ自慢の私でも負けてしまう部屋もある。綺麗な部屋からしか、何かが生まれないと思っている人もいるけれど、実は、そこらに転がっている物の、あるいは、その平積…
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絵葉書に見る交通風俗史
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片岡直子/絵葉書独特の色を味わい、故郷や、訪れた土地の今とずっと昔を重ね合わせながら、ページを繰るのが楽しい
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一番面白いのは、「絵葉書」という体質? からくる色味。日本では、初期の頃に女性の内職によってまかなわれたという、色を塗る作業や、「写真」としてではなく、裏に文字が書かれ、投函され、大切に保管された時間そのものが、葉書の色に現れている。 明治・大正・昭和初期の時代の風景を写した、本書の絵葉書は、少し歪んだ懐かしさや、安堵や、滑稽の味わいを運んでくる。 函館に出張に行ってきたばかりの北海道出身の夫が、「ここに泊まってきたんだよ」と言って、本書の絵はがきの中の建物を指さした。本書には、まだ健在の建物や、平成13年までは建っていたものなど、にわかには信じがたい写真も多く掲載されている。 大学時代に自…
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近親性交とそのタブー
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片岡直子/世の中は親の我慢でできている。理性的に子供を育ててきた良質の親たちこそ、ある種の共感を持って読める本
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真面目に生きている人程、近親性交には関心があるのではないかと思う。 その真面目というのは、世間的な真面目ではなく、生物学的にというか、人生の真実を求める哲学的な意味で。 本書は、『近親性交とその禁忌』というテーマで、2001年春に京都で開催されたシンポジウムの成果をまとめた一冊。 すでに10cm以上も私の背を追い越した息子が、夜にいきなり、 「お母さん、小っちゃくて、可愛い」などと言うとびっくりする。 私から出てきて、あんなマルコメちゃんみたいだったのに、今は私の方がちっちゃいのだなあと、改めて呆然としたりする。 母親と息子の近親性交は、父親が亡くなって、成長した息子に母親が父親の影を見る場…
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