bk1 オンライン書店ビーケーワン

送料無料キャンペーン10,000円以上(税抜)、30,000円以上(税抜)、50,000円以上(税抜)購入でもれなくポイント進呈!寄付コースもあります

> トップ > 書評一覧

1 - 15 / 15 件
ギュスターヴ・クールベ ギュスターヴ・クールベ
吉村和明/著者の強い思いのこもった力作評伝
 本書の著者マリー・ルイーゼ・カシュニッツはドイツの作家で、「訳者あとがき」によると、第二次大戦前夜、パリで見たクールベ回顧展に強い印象を受け、大戦下の困難な状況のなか、フランクフルトでこの本を書きあげたのだという。著者の強い思いのこもった力作評伝、まずそのような読後感を持った。 クールベというと、《オルナンの埋葬》やとりわけ《画家のアトリエ》といった問題作にもっぱら焦点が当てられ、ある種ケレン味のある挑発的な姿勢が強調される。じっさいいまでも、オルセー美術館の一角に向きあって展示されているこれら二つの大画面の迫力にはやはり圧倒されるし、同時にそこに何気なく添えられている珍品《世界の起源》(女…  全文読む

幻燈の世紀 幻燈の世紀
吉村和明/西洋、日本における「幻燈」の、興味津々の文化史
本書のタイトルになっている「幻燈」(「マジック・ランタン」)は、17世紀にヨーロッパで発明された光学装置で、ガラス板に描かれた絵に集光レンズを通した光を当て、壁や白布に映しだすものである。いまのスライド・プロジェクターの前身と思えばいい。この光学装置は西欧で人々のあいだに浸透し、技術的にも改良を重ね、これを応用した「ファンタスマゴリア」という、18世紀末から19世紀初めにかけての一時期パリで一世を風靡した見世物も考案された。ところで幻燈は、どういう経緯でか明らかではないが、江戸時代の日本にも伝えられた。岩本憲児氏の『幻燈の世紀』は、西洋から日本へ渡り、独特の受容のされ方で根づいたこの幻燈の歴史…  全文読む 評価する

東京迷宮考 東京迷宮考
吉村和明/奥深い、魅力いっぱいの対談集
 『東京迷宮考』は、種村季弘氏のここ30年ぐらいの対談・鼎談が、三巻にまとめて青土社から出版される、その第一巻目で、「東京論を主にした近代の都市とその変貌を話題にしたもの」が収められている。 じつに奥深く、また特異な魅力にみちあふれた対談集だ。ページを繰るのがもどかしく、またそれが惜しくもある。「路地」、「都市とスペクタクル」、「あやしげな家」、「くぼみ町」、「(ラビリンスとしての)古本屋」、「キッチュな建物」といった話題に導かれてさまざまな想念が沸いては消えてゆくなか、都市を生きる/読むことの尽きない快楽と、徐々に増しつつあるその困難が、あらためて強く印象づけられる。 東京という都市の迷宮の…  全文読む 評価する

ジャック・ラカン伝 ジャック・ラカン伝
吉村和明/読みごたえのあるジャック・ラカン伝
 質的にも量的にも、読みごたえのある評伝である。 エリザベト・ルディネスコは、綿密な資料の踏査をおこない、労をいとわず関係者の証言をとって、オルレアン市で酢の製造業をいとなむ商家であったジャック・ラカンの家系の話から、ラカンの死後、主として彼の『セミネール』の刊行をめぐって、娘婿のジャック=アラン・ミレールを中心に起こったその生臭い「跡目」争いにいたるまで、人間ジャック・ラカンの光と影をあますところなく浮きあがらせている。じっさい本書は、聖人伝ふうな無批判なラカン礼賛に終始するものではまったくない。むしろその「非聖人化」をめざすと作者自身がいうとおり、必要な距離をとり、ときには酷薄なまでにその…  全文読む 評価する

シャルル・フーリエ伝 シャルル・フーリエ伝
吉村和明/いまこそフーリエだ!
 シャルル・フーリエは19世紀フランスのユートピア的な社会思想家の一人だが、そんな通り一遍の言い方では彼の思想の度外れた独創性はとうてい言いあらわすことができない。本書の副題にあるように独特の世界をもった「幻視者」というほかなく、またそれゆえにこそブルトン、バルト、ベンヤミンを初め、さまざまな作家、思想家の関心を惹いてきたのだった。本書は、そんなフーリエの生涯と思想を、綿密な資料の調査と、バランスのよい著作の読みこみにもとづいて詳説した、フーリエの伝記研究の決定版である。フーリエは1772年、フランシュ・コンテ地方の中心都市ブザンソンの、裕福な商人の家に生まれる。商人、仲買人として働き、それを…  全文読む 評価する

フランス小説の扉 フランス小説の扉
吉村和明/フランス小説の楽しみ、ここにあり!
 小説に読み耽ることは人生最大の楽しみ、たしかそんなことをシャルル・ペギーがいっていた。野崎歓『フランス小説の扉』を読むと、そんなうろ覚えの言葉が思い浮かぶ。「小説に読み耽る」なんて簡単で、誰にもできそうにみえるが、それを「人生最大の楽しみ」というまで持続し、かつ深めることができる人は、たぶんそう多くない。 『フランス小説の扉』は、そういう楽しみをとことん味わいつくしていなければ書けない本だ。ひたすら小説的世界に没入し、そこで次々に遭遇する途方もない豊かさに驚嘆の叫びを挙げ、言葉の不可思議な謎にいっそう深く捉えられてゆく−−この評論集を読んでゆくにつれて次第にくっきりと現れてくるのは、そういっ…  全文読む 評価する

ロートレアモン全集 ロートレアモン全集
吉村和明/決定版!『ロートレアモン全集』
 日本人はなぜかロートレアモン好きで、今回出版された石井洋二郎訳『ロートレアモン全集』(筑摩書房)を入れると、現在「全集」と銘打ったものだけでも、三種類刊行されている。 そのなかで、筑摩書房版『全集』は、まちがいなく決定版と称しうるものである。 筑摩書房には、すでに阿部良雄個人訳『ボードレール全集』があり、現在ネルヴァルとマラルメの『全集』が刊行中である。これらはいずれも、日本のフランス文学研究の水準の高さを示している。フランス文学にかんして、これほど行きとどいた解題・注・解説をそなえた翻訳全集がでている国はほかにはない。 このような勇気ある出版事業のおかげで、文学の現代を考えるために欠かすこ…  全文読む 評価する

レトリック レトリック
吉村和明/格好の「レトリック」入門
 『レトリック』はひとことでいえば、レトリックに関する、簡にして要を得た入門書である。この種の概説書のコレクションとしては定評のある「文庫クセジュ」の一冊で、地味ではあるけれど、しっかりした内容の良書だ。 レトリックは、西欧文明の根幹をなすほどに重要な弁論技術の理論体系だったが(フランスのリセの最終学年は、19世紀末まで「レトリック(修辞学級)」と呼ばれていた)、現代用語では、この言葉にはとかく悪いイメージがまとわりつき、ときとしてそれは「言葉によって人をだます技術」というひどく偏った印象をわれわれに与えもする。しかし著者のオリヴィエ・ルブールにいわせれば、レトリックは「人間に不可欠のもの」で…  全文読む 評価する

ジャン・ユスターシュ ジャン・ユスターシュ
吉村和明/ユスターシュ入門に最適
 ジャン・ユスターシュは1938年生まれで、ゴダール、トリュフォーたちのちょうどひとまわり下の世代にあたる。『カイエ・デュ・シネマ』に出入りし、彼らの知遇を得て映画を撮りはじめた。遅れてきたヌーヴェル・ヴァーグというところだろうか。1963年の中編映画『悪い仲間』が処女作だが、代表作『ママと娼婦』(1973年)がまさにそうであるように、フィクションのばあいはすべてみずからの経験をもとにした物語であり(自分には想像力がないから、とユスターシュ自身はいう)、ほかに何本かドキュメンタリーがある(自分の祖母へのインタヴューなど)。1981年ピストル自殺。その直前、彼は頻繁に電話をかけては自分の声を録音…  全文読む 評価する

飯島耕一・詩と散文 飯島耕一・詩と散文
吉村和明/現代日本を代表する詩人の詩と散文の選集の、記念すべき第1巻
 『飯島耕一・詩と散文1』には、詩集「他人の空」、「わが母音」(抄録、四編のみ)、および「評伝アポリネール」(今回の採録に当たり、著者が手を入れた決定版)、「ダダ・シュルレアリスム・映画」についてのいくつかの論考が収録されている。全五巻にわたって飯島耕一の代表的「詩と散文」が集成された、その第一巻である。 「他人の空」は著者23歳の時に出版された処女詩集で、ページ数にすれば、たった30ページほどにすぎない。しかしそのわずかなページの密度の濃さといったら! 「他人の空」と題された次のような詩がある。「鳥たちが帰ってきた。/地の黒い割れ目をついばんだ。/見慣れない屋根の上を/上ったり下りたりした。…  全文読む 評価する

飯島耕一・詩と散文 飯島耕一・詩と散文
吉村和明/バルザック的世界への格好の指南の書
 20世紀最大の小説家マルセル・プルーストは、『サント=ブーヴに反論する』のなかで、バルザックを念頭に置いて、「わたしたち」はいまや、フロベール、マラルメといった作家たちには少々食傷気味で、たしかに効き目はあったにせよ、無塩療法を続けた末に、塩が欲しくてたまらなくなる人のようなものだといった。この話を紹介しながら飯島耕一氏がいうように、ほかならぬバルザックこそまさに「塩」だというわけである。 このたび上梓された『飯島耕一・詩と散文3』には、1974年刊の詩集「ゴヤのファースト・ネームは」とともに、「バルザックを読む」の総題のもと、著者がこの十数年打ちこんできたバルザック研究の成果を示すテクスト…  全文読む 評価する

ヴィヨン詩集成 ヴィヨン詩集成
吉村和明/500年のときを超えてよみがえる清新な感動
 「おれが三十歳のとしに当って/あらゆる恥辱の煮え湯のみ下したが/まったくの馬鹿にもまったくの悧巧にもならぬ/数多くの苦難にもかかわらず」 これが『ヴィヨンの遺言書』の書きだしである。「おれの受けた苦難はすべて/ティボー・ドシニーのさしがね…」とさらに続いてゆくが、読者は、この「ティボー・ドシニー」なる人物が誰だか知らなくても、かまわず『遺言書』を読みつづけることもできるし、また「注解」にあたり、これがオルレアンの司教で、彼が領主だったマン=シュル=ロワールの牢に、ヴィヨンは一四六一年の夏のあいだ幽閉されていたという事実を確かめることもできる。さらに脚注でヴァリアントを見くらべることも可能で、…  全文読む 評価する

ロシアでいま、映画はどうなっているのか? ロシアでいま、映画はどうなっているのか?
吉村和明/あなどれない、ロシアの底力
 この6月、渋谷のユーロスペースで公開された『フルスタリョフ、車を!』(アレクセイ・ゲルマン監督、1998年)には、まったく度肝を抜かれた。映画のタイトル、「フルスタリョフ、車を!」は、スターリンが今際のきわに口にした言葉で、ストーリーはまさに独裁者の死と、それにまつわる不可思議な陰謀事件をめぐって展開される。しかしそうした説明は、じつは映画を見終わったあとでパンフレットの解説を読んで、初めてわかった。見ているあいだは、破天荒なまでに強烈なエネルギーでスクリーンが激しく沸きたち騒ぐのに、ただただ圧倒されるばかりだった。なんだかわけがわからないが、でも、ものすごく充実したフィルム体験であることに…  全文読む 評価する

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読
吉村和明/ベンヤミンの代表作を精緻に読み解く
 『複製技術時代の芸術作品』はあまりにも有名なヴァルター・ベンヤミンの代表作で、この論考に関して誰もが口にするいくつかのキーワード——「アウラ」の消滅とか、礼拝的価値と展示的価値の対立とか——を思いだすだけで、人はもう読んだ気になり、往々にしてそれ以上先に進まずに終わってしまう。ところが、多木浩二氏のこの小さな本は、これがまさに「精読」されるべきであるばかりか、そうしなければ意味を持たないことを教えてくれる。「いまなお刺激的なテクストは、読むにつれて広がりや奥行きを見いだす興奮と、楽しさがある」と多木氏自身が述べているとおりであって、この「興奮と楽しさ」はまた、多木氏の「精読」のなかにわれわれ…  全文読む 評価する

遊歩者の視線 遊歩者の視線
吉村和明/30年以上にわたるベンヤミン研究の集大成
 好村富士彦氏は、まだほとんど日本語訳の出ていなかった時代から、ずっとベンヤミンに取り組んできた。『遊歩者の視線』は、30年以上にわたって、氏がさまざまな場所に発表してきたテクストを集大成したものである。そのことにまず敬意を表したい。 実際好村氏の仕事は、先駆的であるとともに、ベンヤミンのどんな仕事に重点を置いて読むかという点で、いまなお示唆に富んでいる。 たとえば、『遊歩者の視線』の冒頭を飾る「複製技術時代の収集家」は、著者がもっとも早くおおやけにしたテクストの一つだが(初出1968年)、好村氏はここで、もっぱらその「秘教的な」側面を強調する形でベンヤミン像を提示してきたアドルノたちが等閑視…  全文読む 評価する

page: 1