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小説のように
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ぼこにゃん/「女」は一生治らない。
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女の子ってなんでできてる?お砂糖とスパイスと、それから素敵な何もかも。 素材ともストーリーとも全くそぐわないのに、なぜかこんなマザーグースの一節を思い出させる甘辛な短編集。その根底に音もなく流れて物語同士を共鳴させているのは、女性という憂き身にのしかかる過酷な運命である。 むごたらしい事件の生き残りとして単身その重圧に耐える女性、輝かしい将来を手放してまで結婚した夫に捨てられる妻、地滑りのように人生を踏み外す最愛の息子をなすすべもなく見守る母親。どれをとっても人生を根底から変えてしまうような、もしかすると死に至るほどの重大なテーマなのに、語り口は不思議と明るくユーモラスですらある。まぶしく凍…
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オリーヴ・キタリッジの生活
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ぼこにゃん/嫌な女が跋扈する
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オリーヴという名から連想するのは華奢な長躯のおしゃれ好きな女性。という私の思い込みは、ウォルターズ「女彫刻家」によって重度のヒビを入れられたのち、このたび完膚なきまでに打ち砕かれた。なにしろ本書のオリーヴはでっぷりと豊かな体格に不敵な自信を搭載した、野生のサイを思わせる女傑である。メイン州の美しくも厳しい気候風土を背景に、一見物静かで、しかしどこか海水のように苦く苛烈な味わいの連作。素晴らしい一冊なのだがところどころ日本語の表現、特にオリーヴの言葉づかいなどが私の好みには合わなくて、できればこれを岸本佐知子氏とか村松潔氏の訳で読みたかった。 すべての作に登場するオリーヴだが、たとえば「上げ潮…
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図書館の女王を捜して
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ぼこにゃん/大丈夫。
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サリンジャー勝訴のニュースを知り、相変わらず大人げないじいさんだとは思いつつ、やはり私もほっとしたのだ。ラムネ瓶に取り残されたガラス玉みたいに哀切な終わり方ではあるが、だからこそ「ライ麦畑」は広く愛され、読み継がれているのだろう。サリンジャー本人が書いたものであれ、誰も続編なんか望んでいないような気がする。 でもその後世の中も変わり、瓶の中に閉じ込められたまま自分の痛みとだけ向き合うという方針は、現代を生きる我々には許されない甘美な贅沢になった。そう感じるのは年のせいか? そんな境地にさしかかった人にはかなり沁み込む、新井千裕の小説である。 主人公は妻に先立たれ、開店休業に近い便利屋稼業を営…
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ふくろう女の美容室
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ぼこにゃん/雨に濡れても
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名前も知らないひなびた港町の絵葉書のような、物静かで味わい深い短編集。 注目は夫カーヴァーによる「大聖堂」と対をなす作品。カーヴァーの描く主人公はいつも徹底的な観察者であって、自己と他者とを、あるいは自己と世界とをはっきりと弁別するということを基盤とし、それゆえ無機質で不敵なクールさを湛えていたように思う。 ギャラガーによる「キャンプファイヤーに降る雨」では、かつての職場のボスである盲目の男性ノーマンと主人公とのふれあいが、飾らない筆致で実直に綴られている。題名の由来はこの二人の間でだけ通じる言い回しで、『落ち込むようなこと』を焚火に落ちる雨にたとえたもの。何かイヤなことがあったりしても、「…
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大事なことはみーんな猫に教わった
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ぼこにゃん/猫よ!
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ネコは年を取らない。 というのは無論うそであり、ヒトの数倍の速さで時を進んで行くのだが、いつまでもカワイイのでそんな気がしてしまうのだ。けれどもやがては私を追い越し、二度と会えない処へ行ってしまう。残された人間の方は、十分な世話をできなかったのではないかとか真心や愛情を注ぎ切れなかったのではないかとか、尽きせぬ思いに囚われるものだ。 悲しい。 ああ、悲しい。 だからこの本は、どのページを開いても顔がほころぶけれど、笑った後にしみじみと切ない気持ちになる。シンプルなイラストはどれも微妙に変わるネコの表情を生き生きと映していて、タッチはまるで違うもののいわさきちひろさんを彷彿させるような描写力。…
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マーブル・アーチの風
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ぼこにゃん/やはり信じていたいのだ。
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ネット上で住所を入力するとその界隈の、かなり鮮明な画像が閲覧できるという話を聞いて、私は最初犯罪がらみの話題かと思ったものである。疑いなくその界隈の住民にとっては迷惑で危険だから。それが検索会社の提供するれっきとしたサービス(サービス!)だと知り、驚くと同時に心底恐ろしくなった。一部の人には確かに便利なのだろうけど、他人の迷惑の上に成り立つ利便性を求める権利など誰にあるのか。そんな言い古されたことを、世界に名だたる(そして甚大な影響力を持つ)企業の経営者とかが理解していないという事実に身震いするのだ。 表題作の牧歌的な響きに惹かれて読んでみたら意外と深刻な物語である。主人公が不意に地下鉄の駅…
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容疑者Xの献身
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ぼこにゃん/やがて悲しき直木賞
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芥川賞・直木賞の発表を聞いても心が躍らなくなった。大仰な設定、思い込みの激しいヒロイックなキャラ、定石通りの筋運びという、デジャヴに満ちたマンガみたいな小説が増え続け、高く評価されるはどうにも辛い。 で、直木賞に人生を狂わされた東野圭吾。久々に読んでみて内容の薄さに改めて驚く。この程度のネタは以前のこの人ならキレよく短編にまとめていたはずなのに、初めて候補になったあたりからやけに通俗的になってしまった。柄にもないメロドラマ路線を迷走したり、同じ型紙から単行本を二冊書いてみたり。 本書は純愛モノと言われているらしいのだけれど、人物造形がディック・ブルーナくらいのシンプルさなんで、この長さで読ま…
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千年の祈り
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ぼこにゃん/日暮れて道は遠くても
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「ブログ炎上」なる言葉がいつの間にか定着しているとは不気味な世の中になったものだ。怒りにしろ正義感にしろサディズムにしろ、それがこんな形でしか結実しないというのは土壌の貧困さの表れだろうか。 珠玉の短編集、中でもかつての恋人と親友に裏切られた独身女性教師の姿を描く『市場の約束』という話に最も惹かれた。平凡な素材がここまで鮮烈に料理されるとは。 原題の『Love』にあえて『約束』という語を当てた翻訳のセンスも素晴らしい。これは人によっては「道」とか「矩」という言葉で呼ぶもの、かの喜劇王は「勇気」と呼び、トーベ・ヤンソンならば「イデー」と呼んだかもしれないものの、もう一つの名前なのだ…
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蟹と彼と私
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ぼこにゃん/風にならない魂に寄せて
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大事な人との別れはいつも胸に穴を開ける。その人が立ち去り際に心の一部を引き剥がして行くからか、かすかな身じろぎにも痛風のごとく痛む。治し方は知らない。 別離を振り返るとき、誰しもその記憶を様々に脚色するもので、たとえば去り行く背中を極端に美化して蒸留済みの良き思い出だけを心に残すという策がある。生前いろいろあったけど、世界一ステキなあなたと会えて良かった、今後は千の風になりいつまでも見守っていてね、とか言ったりするわけで、まあそれは嘆きのフチに沈下する人の特権みたいなものだから周囲もある程度大目に見る。 たぶんこういう人の方が健やかなのだ。泣くだけ泣いたら再び人生を運営できる。相…
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学食の黒澤さん
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ぼこにゃん/おしえて、黒澤さん
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どうして空は青いのか、どうしてリンゴは丸いのか、子供というのはのべつ大人にモノを尋ねている。口笛はなぜ遠くまで聞こえるの、あの雲はなぜ私を待ってるの、とかつてあの有名な少女はさかんに質問を発していたものだが、その割に答えに耳を傾ける体勢はまるで整っていなかった。 たぶん誰かにモノを訊くという行為は(愚痴や苦情を言う場合も)単にコミュニケーションをはかるうえでの方便であって、本当に知りたいことなんてそれほど多くないのではないか。それに子供って無邪気を装って相手の反応を観察していたりするものだし。質問の答えそのものよりも、答えるときの態度が大切なのだということを、人は本能的に気づいているのかも知…
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最後のウィネベーゴ
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ぼこにゃん/犬も勘定に入ります。
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テレビ番組が健康情報を捏造した、という記事が新聞の一面に載っていた。その数日前には納豆の売り上げが急激に伸びて生産が追いつかなくなった、と社会面が語っていた。番組がデタラメだったことを知り納豆を買い占めた人々は大変ご立腹らしいのだが、ずいぶんさもしい話である。楽してヤセたいと思うのも図々しいが、欲望丸出しのはしたなさに対する恥じらいもなく、ムコの被害者気取りで一方的に相手が悪いと糾弾する人の姿は実に見苦しい。いい大人が何をやっておるのか。 表題作の主人公は、かつて地上最後の犬(舞台は近未来)と共に暮らしていた男性。その大切な友を、車の事故で失ってしまう。犬をはねた運転手は当時十六歳、免許取り…
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恋するスターダスト
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ぼこにゃん/お帰りなさい。
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ウッドハウスが翻訳されたり宮沢章夫さんの絶版書が復刊されるらしかったりと、今年は本の当たり年っぽくてホクホクしていたら、今度はなんと新井千裕さんの新刊本である。長らくの不沙汰に言い訳もなく、当たり前のように物語は滑り出す。数週間だか数箇月おき、ふらりとうちにゴハンを食べに来るネコみたいだ。 久し振りに読むこの人の文章は、携帯電話とか電子メールとかいった今日的モティーフを組込みながらも、古き良き八十年代(スノッブなバブル野郎に席巻されていたようなあの頃にだって、スバラシイものは結構多かったのだよ)を煮詰めて結晶させた半透明のコンペイトウ風な、ストイックな甘さに満ちている。じんわりと噛み締めながら…
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ウディ・アレンの浮気を終わらせる3つの方法
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ぼこにゃん/屈折こそ魅力
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こういう言い方はちょっとあれだが、頑健な者ほど病気がちな人に憧れるもので、ちょっとノドが痛かったりするとすぐ体温を計りたがるし、突き指をすれば包帯をグルグルと巻いてもらいたがる。調子が悪いんだったら家に引っ込んでりゃいいと思うのだが、こういうヤカラは「弱った自分」を人に見てもらうのが無上の喜びなのでそんな時こそ人前に姿を現すのだ。いわゆる「健康オタク」っていうのは、どこから見ても健康に問題のなさそうなヒトばかりだし。 ウディ・アレンという人はまさしくそういうタイプなんじゃないかと、本書を読んで私は確信したのだった。 三本の戯曲が収録されていて、そのうち最もアレンらしいなと感じるのは最初に載っ…
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遺失物管理所
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ぼこにゃん/忘れてみたい気もするのだった
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「星の王子さま」とか「モモ」などを読んで、人並に感動する一方でなにかこう、「カネにばかり価値を見出す大人は愚か者である」とか、「大人よりも子供の方が大切なものごとをよく知っている」といった一元性に疑問がぬぐい去れなかったことも確かである。年をとれば誰だって背負う荷物が増えて行くのだし、その重圧に耐えるには金銭やら力やらが不可欠なんじゃないかと感じるかたわら、第一「カネにばかり価値を見出す大人」なんてものは子供っぽい(田舎の人は優しい、というのと同様の)幻想の中にしか存在しないようにも思えたのだ。それやこれやを飲み込んだ上で物語に酔う、というのがオトナのたしなみかも知れないのだが。 駅の遺失物管…
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水源
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ぼこにゃん/建築根性物語。
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もうラーメン特集にはうんざりだ、と一度は誰しも思うだろう。テレビでも雑誌でも夥しい数のラーメンの画像が流され、気がつけば我々は両手を脇に挟む格好で腕組みをした(なぜか料理人によくあるポーズ)店主の人生観など語り聞かされているのである。 主人公の天才建築家ローク青年は斬新な設計を引っさげ業界にデビューするものの、保守的な世間や無理解な先達にことごとく行く手を阻まれ、その情熱と才能のハケ口を求め煩悶する。建築版ガラスの仮面。彼の望みはただひとつ、妙な伝統を廃し一切のムダをはぶいた、合理的でオリジナリティのある建物を建てること。なのだが、新しすぎるものはなかなか大衆に受け入れられない。 ロークの潔…
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孤独な鳥がうたうとき
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ぼこにゃん/『負け犬』の対極にあるもの
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結婚生活にイヤケがさし家出したヒトヅマと、これに憤慨し彼女を追うヤクザ者の舅、この二人が核となって話が進むのだが、どちらかと言うと両者の間に挟まれて微妙な立場に追い込まれる周囲の人々の心の綾の方が面白い。この作家としては破格の軽さで読み易く、一応家出妻が主人公らしいが登場人物全員ほぼ同等のボリュームで描かれているのも斬新である。群像劇の舞台を観ているような感じ。内向的な主人公が静謐と抑制を縒り合わせて紡ぐようなこれまでのスタイルが好きな人には(私だが)もの足りないかも。 昨(H16)年流行した『負け犬』なる概念というかあれに対し、生活にゆとりのある専業主婦を『勝ち犬』と呼ぶらしい(よくは知ら…
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死の笑話集
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ぼこにゃん/いやはや。
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星二ケか四ケかで迷いました。前作で少なからずやりっ放し感を残したのでその残務処理に書いたとしか思われず、新たな事件も起こるには起こるけれど、ミステリとしてはおそらくシリーズ最低の水準。その補填の意味か、身辺にカワイイ男の子を出没させてウィールドの心を掻き乱してみたりしてもいるのだが、それとてあからさまな『苦心の跡』という印象で、どうしたレジナルド!?と、読了後は呆然とした。 思えば『幻の森』辺りでパスコー、ダルジール、ウィールドがそれぞれに家庭の安泰やら永続的な伴侶を得て、これが彼らに対する作者自身の愛情と化学反応を起こした結果、磐石のマンネリ体制が敷かれてしまったのだろう。シリーズの魅力と…
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シェル・コレクター
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ぼこにゃん/故郷にはもう帰れない
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著者はうら若い新人。近頃は若者の方が老成した文を書くのでその点は驚かないとしても、叙情性というか、潤いを含み立体感のある語り口にすっかり幻惑された。湿った潮の香りや、魅惑的だけれどどこか無気味な貝のずっしりした存在感まで伝わってくる『貝を集める人』がやはり随一かなとは思いつつ、それ以上に魅了されたのは『それは長いあいだ、グリセルダの物語だった』という、一風変わった題名の小品。 小さな街にサーカスが現れ、芸人に一目惚れした姉は彼について旅に出る。めくるめくような夢の暮らしに飛び込んだ直情的で華やかな姉と、対照的に語られる、地味で堅実で単調な残された妹の明暗の妙が、最後にガツンと効いてくるのだ。…
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カニグズバーグ作品集
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ぼこにゃん/大人ってカナシイ。
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『ぼくと(ジョージ)』、原題は単に『(ジョージ)』。なんでカッコつきかというと、ジョージは主人公ベンの体の中に住む、実体のない人物だから。温厚で真面目で不器用な秀才ベンの内に潜む、辛辣でクールで聡明なジョージ。いわゆる多重人格のように、本人が気付かないうちに別人格が表出するとかいうことはなく、ジョージは常にベンの内にあり、ベンに適切なアドバイスを与えたり、鋭く愉快な話相手になったりしている。 両親が離婚し母親と幼い弟との三人暮らし、秀才なので年長の生徒と一緒に化学の授業を受けているものの同じ年頃の友人は少ない六年生、というやや特殊な立場に置かれた内向的なベンにとってジョージは、親友であり、父親…
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サンセット・ヒート
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ぼこにゃん/ギャートルズの肉
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こないだ新聞のテレビに関する投書欄に、『最近は内向的で禁欲的な若者の恋愛ドラマばかりで食傷する』という文が載っていた。それ自体は別にどうということもないのだが、その投書のヌシというのが四十八歳、名前からするとおそらく男性である、という点に私はいたく興味を惹かれ、つまるところもうじき五十になろうかというおっさんが食傷するほど若者の恋愛ドラマを観ている、という事実にある種の感慨を抱いたのであった。 舞台はおなじみ、やや昔のテキサス。夫の家庭内暴力に悩んでいた妻が、思い余って夫を射殺する場面から始まる。殺された夫が治安官だったんで事件を捜査する人間はいなくなり、妻には一切お咎めなし、おまけに夫の…
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希望
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ぼこにゃん/生兵法はケガのもと、と申しますが
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少年法の改正もむなしく現実は法の整備を追い越して行くのだな、と感じる今日この頃。折しも先日フジテレビのニュース番組で、テキサス州の少年刑務所におけるカウンセリングの模様が報道されたのだが、ロールプレイによる事件の再現を含む画期的なプログラムは興味深く、またかなり壮絶でもあった。ここで少年達は自分の犯罪を生々しく追体験することにより、無意識のうちに頭から締め出して来た事件の重みに改めて直面し、更正への道を歩み出す。 日本では大体において殺人など重犯罪で補導された少年は法の庇護のもと厳重に隠匿され、後悔しているのか更正できるのか、その精神状態も事件の詳細もおおむねカヤの中であり、一般の人々はおろか…
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チルドレン
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ぼこにゃん/陣内とユカイな仲間たち
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ホームズとワトソンにより完成された(かどうかは知らないが)虚構世界の人間関係、すなわち独創的で天才肌、辛辣で鋭敏なAと、協調性に乏しい彼の傍に控えていて世間との折衝を買って出る温厚で朴訥なB、という基本構造は今なお愛され続け、ミステリではモースとルイス、ダルジールとパスコー、レナードとハップ、少女漫画ならシャールとジェル、黄子満と本郷さん、摩利と新吾(例が古くて恐縮だが)とか、あっちこっちで継承されているのだった。で、Bは『A以外の作中人物の心象を代弁しAの特殊性を際立たせる』と同時に『読者の共感(Aって一見付き合いにくそうだけどかっこいい!)を引き出すツール』としても機能するわけ。ヒーロー…
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そして、警官は奔る
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ぼこにゃん/あーよかった。
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来年(H17)の変わり雛のテーマには未曾有の連鎖型へっぽこスキャンダルに発展した国民年金未納問題が取り上げられ、『未納雛』のモデルとなるは江角マキコと福田元官房長官だと私は踏んでいる。石原都知事もまた、いつもの上っ張りをマトモな背広に着替え釈明の会見を行ったが(疚しいことでもあるかのように目をしばたたかせる例の癖がこれほど似合う場面はなかった)、その内容は謝罪というより制度の不備を指摘する、盗人猛々しいシロモノだった。正論だけどお前が言うな、と誰しも思ったに違いなく、この種の図々しさを臆面なく発揮できるのは、私の考えでは他には大橋巨泉くらいだ。 シリーズ二作目。大リーグ養成ギプスを装着した獅…
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直筆商の哀しみ
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ぼこにゃん/哀しみというよりは鬱屈
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膨大な知識と辛辣なほどの洞察、クールなユーモアと民族的憂鬱感のカクテル、それも業務用ドラム缶入り(なにしろ長い)。主人公は二十七歳のオートグラファー、というのは何者かというと『著名人のサインやら写真やら持ち物やらを収集したり売買する人たち』のことで、彼の立場は売買する人のほうなのだが、ただひとり心を捧げる往年の美人女優には骨の隋まで魅入られている。 筋立てには格別の起伏もなく、終盤近くになってようやく話が動き出すものの、これもどこか不発弾のような物足りない挿話に過ぎず、静かな深い流れを思わせる、大体において穏やかな物語だ。主人公の幼なじみや亡父、恋人、同業者、合う度に家具を運搬している三人の…
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犬は勘定に入れません
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ぼこにゃん/ネコは勘定に入れて欲しい
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題名を見て小躍りし、思わず手に取ってしまったものの、SF長編と判明した時点で少々気後れし、それでも気を取り直して読んでみたところ、これが意外なほど楽しめた。時間旅行ものというのか、登場人物は未来世界からヴィクトリア朝イギリス、すなわちあの懐かしき『<a href="/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/?aid=&bibid=00163235&volno=0000" target="_blank">ボートの三人男』の舞台へと、失われた工芸品(美術的価値の低い花瓶)の捜索やら、時間旅行により派生したパラドックスの修正やらといった使命のもとに出かけて行くのだが、この辺はたぶん…
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ふたりジャネット
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ぼこにゃん/ある日クマさんに
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貰い損ねた形見の品がある。祖母のブローチ。今時「ブローチ」という言葉自体もかなり懐かしい感じになっているのだが、好みのうるさい祖母が珍しく気に入って愛用していた品で、安くはないが高くもない、まあそこそこのものだったらしく、なぜか「その時が来たら」私にくれる約束となったものの、しかし貰う側としては「その時が来たら」の話はしづらいもので、「それでは気長にお待ちしております」などと軽口を叩いたあのブローチである。それから数年経って実際に「その時」が来てみるとそんなことは思い出す余裕もなく、ようやく心が落ち着いた頃になって「そう言えばあんなことがあったっけな」などと思い返すのだが、母さん、僕のあのブ…
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青空の方法
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ぼこにゃん/草食動物の視線
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名曲だからといって油断はできないもので、『大きな古時計』なる歌の不可解さには誰しも頭を抱えた経験があるはずだ。歌詞の随所で指摘されている通り、おじいちゃんは百歳で没している。されば孫とても、通常なら四十か五十にはなっているであろうし、ことによるとすでに還暦を迎えていたっておかしくないのだが、それにしては語り口調がひどく幼い。孫の正体は村上春樹だろうか。 また、おじいちゃんが百歳で亡くなったという現象は、もちろん哀しく淋しいことではあるものの、そこに一抹の否定しがたいメデタさをも含有してはいないだろうか。「おじいちゃんも大往生だったわよねえ。なんたって百歳だもの」「一世紀分生きたんだしね。男の平…
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走る男
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ぼこにゃん/イカどっくりの哀しみに似て
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イカは哀しい。 イカの哀しみの分かりやすい例証としては、たとえばあのゲソの部分だけを簡便なオツマミとして味付けしたものが袋詰の状態で販売されており、その商標は次のごとくだ。『みだれ足』 愉快である。なんと愉快なネーミングなのか。名前が愉快なら愉快なほど、イカの哀愁も深まろうというものだ。一方その頃オツマミにされなかった上半身の部分はどうなったかといえば、ぷっくりと膨らまされ乾燥されてイカどっくりとして販売されているのだ。イカの尊厳というものに、この国の人間はあまりにも無頓着すぎるのではなかろうか。イカに生まれなくてよかった。つくづくイカは哀しい。 冒頭から主人公はナニモノかに追われ走り続けて…
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不思議のひと触れ
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ぼこにゃん/あやふやなるままに日暮らし
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中学生の頃、同級生の筆箱の中を見せてもらうのがやたらと好きであった。筆箱はワンダーランドだ。人それぞれに自分の性格とか価値観を投影した筆記用具をそろえ思い思いの筆箱生活を展開しており、それは見事なまでに持ち主の人生観を映す万華鏡であったと思う。年齢的に徹頭徹尾自分の趣味と経済力のみで構築できる世界はほかになく、誰もが自分の筆箱に真摯に打ち込んでいたものである。『もう一人のシーリア』という短篇に出て来るスリムという男が、だから私は大層気に入ってしまった。この人物は休職中の暇を持て余し、こともあろうに同じアパートに住む人の部屋に次々と不法侵入を繰り返すのである。ストーキングとか窃盗目的ではなくて…
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夜更けのエントロピー
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ぼこにゃん/喪失の物語
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ネコは死期が近づくと姿を消すというけれど、それは必ずそうだということではなくて、確かにある日を境にいなくなってしまうネコもいるが見取らせてくれたネコもあり、その辺はネコの性格によるのではないかと思う。いずれにしてもネコを失うというのは相当な痛手で、残された人間はネコと過ごした日々のことを懐かしく楽しく思い出す一方で、もっと大切にしてやればよかったとか、あの時あんなに叱るんじゃなかったとか、姿を消したネコに関しては今もどこかで生きているんじゃないかとか、おなかを空かせているんじゃないだろうかとか、いじめられたりしていないだろうかとか、実際愚にもつかないような循環性の思考の虜となってしまうものだ…
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