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日曜日たち
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矢野まひる/最近の若いモン
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この人の小説はなんか居心地が悪い。でもなぜか読んでしまう。なんというかどうにもこうにも、登場人物たちのスケールが小さくて、でもみんな自分のスケールの小ささを自覚していて、その中でどうにかプライドを保とうとあがいているところにものすごくすわりの悪い形で共感してしまう。Yahoo!パーソナルズの自己紹介欄に「趣味−カフェでまったり」と書く種族のなかのはぐれものが、「これでいーんだろーか? いやいいんだよな… 他にどうしようもないし。えっと、たまにはいいことだってあるし!」と自問しつつ、最後には無理やり前向きに自分を持っていこうとしている感じである。 本書も、実際に「カフェでまったり」を趣味とする…
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阿修羅ガール
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矢野まひる/惜しい!
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かっこいい装丁を裏切らない面白さ。主人公は女子高校生。近所で「酒鬼薔薇聖斗」的事件があって、なんとなく周辺はざわざわしている。ネットのコミュニケーションが生活に組み込まれると気持ちの在り様がどう変わるかっていうことや、「酒鬼薔薇聖斗」的事件の犯人はどんなつもりでいるのか、とか、今の問題にきちんと向き合おうとしていて爽快だった。 不満もある。重要な背景として実在する巨大掲示板を連想させる「天の声」っていうコミュニティが描かれるのだが、ひとつ肝心なことを忘れてやしないか。 現実の世界でネット上のコミュニティを利用する人々は、この世にはネットでのコミュニケーションなんて想像もつかない、まして某巨大…
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完本文語文
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矢野まひる/死者たちからの贈り物
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山本夏彦 大正4(1915)年、東京下谷根岸生まれ。 平成14年10月23日逝去。 「完本 文語文」(文藝春秋)は著者の文語と口語についての文章をまとめたもので、2000年5月にハードカバーで出版され、2003年3月に文庫化された。 「あと十年生きたら一葉も口語文を書かないわけにはいかなかっただろう。時代というものにはそういう力がある。一葉は苦しむだろう。そしてあの文語文のような美しい口語文を書くことはできなかったろう。私は文語に返れと言いたいのではない。そんなことは出来やしない。ただ文語にあって口語にない「美」は何々ぞと、なおしばらくさがしたいのである。それは口語の美をすこし増しはしないか…
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慟哭
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矢野まひる/「禁じ手」って、すでに死語
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著者の93年のデビュー作で、文庫版は4年前から版を重ねていまや18版というから、ベストセラーと言ってもいい。 狂気であれ正気であれ、“親心ゆえの犯罪”をテーマとした小説がベストセラーになるっていうの、海外のミステリーではきいたことがない(ハリウッド映画ではたまに見かける)。日本では、これまた広い意味での親心小説「<a href="/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/?aid=&bibid=02218336&volno=0000" target="_blank">半落ち」がこれまたベストセラー。この現象のほうが、よほどミステリアスな気がします。 それはともかく、こういう…
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夜と霧
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矢野まひる/収容所体験を超えて勇気を与えてくれます
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旧版は確か中学生の頃読んだ憶えがある。当時は子供だった&アホだったので(今もだが)、よくわからなかった。同じ頃読んだ「<a href="/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/?aid=&bibid=01054766&volno=0000" target="_blank">アンネの日記」のほうが、書き手との年頃が近いこともあって、こんなに隠れなくちゃいけなくても、それでもやっぱりいろんなこと思ったり感じたりするよねえ、とごくシンプルな共感の仕方をしてたような気がする。 で、「夜と霧」。強制収容所に収容された精神科医の先生の手記です。半世紀もの間、美しい本として読み次がれて…
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人はなぜ「美しい」がわかるのか
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矢野まひる/「美しい」と言ってみたい
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橋本治「人はなぜ“美しい”がわかるのか」(ちくま新書)を読む。 “美しい”がわかるとかわからないとかいう発想はしたことがなかったけれど、どうして私は“美しい”という言葉を使いたがるのか、ということはずっと気になっていた。例えば玉三郎の娘道成寺を見て。例えばウェストサイド物語の冒頭を見て。例えば新年の川崎大師の人ごみの中に出かけて。例えば「少将滋幹の母」のラストシーンを読んで。 そうしてうすぼんやりと気がつき始めていたこと。あくまで私のイメージなのだが、“かっこいい”という言葉は、自分の中にすでにあるものを引き出すようなイメージに出会ったとき使う言葉だという気がする。良し悪しではないが、価値観…
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スーパー・カンヌ
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矢野まひる/すごくわかるような気が
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高級リゾートとして名高いコート・ダジュールは、年々、シリコンバレーのようなビジネス・エリアとしての側面を強めていっているのだそう。では映画祭で有名な近未来のこの土地で何が起こるのか。タイトルに魅かれて読み始める。 舞台はハイテク都市「エデン・オランピア」。みんな仕事がレクリエーション、余暇なんて死語というほどの仕事マニア。セックスなどという古臭い習慣に興味を示す人もいない。重役たちは精神安定のためにスラムに行って、有色人種を狩る。これれっきとしたセラピーのプログラム。このセラピーがめちゃくちゃ効果があがるのです。 それだけなら、まあ誰でも思いつく話なんですけど(っていうのもすごいけど)、この…
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ファイナル・カウントダウン
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矢野まひる/孤剣の刃零れ
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ごぞんじ、bk1の文芸サイト編集長日記より、2002年8月から11月分までが収録されたもの。 あらためて、縦書きにレイアウトされ一冊の本にまとめられたヤスケン日記を眺めてみたら、いやー、やっぱりすごいです。「激痛」「握力ゼロ」「痛み止めの注射」「両手の腫れ」「左手だけでワープロを打つ」「体調、すこぶる悪い」という痛ましい言葉が頻出する中、とだえることのないゲラと見舞い客と電話につきあい、「<a href="/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/?aid=&bibid=02209901&volno=0000" target="_blank">海辺のカフカ」と「宅配便のドラ…
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ナショナリズムの克服
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矢野まひる/動機
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作家にとって書くことが生きることであるのと同じように、学者にとっては勉強することが生きることなんだな、と初めて思わされました。 姜氏の個人史的なパートは圧巻。こういう人の言葉は(わからないところがあったとしても)本当に頭にはいってくる。学生時代、三島由紀夫の割腹とほぼ同時に、両親が日本に帰化した在日2世の焼身自殺に遭遇したこと。在日韓国・朝鮮人の学生運動に関わったこと。中国やロシアの社会主義は、行動様式や価値観や民族の慣習などにより(欧米とは違って)スターリニズムを招いたとする近代化論に強迫的な想いが募ったこと。近代化論の根拠となったマックス・ウェーバーを検証しようとドイツに渡ったこと。帰国…
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わが名はレッド
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矢野まひる/ミンシュシュギの正反対
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何にこだわっているんだろう、この人…と不信に感じながらも、哀しさの漂う主人公がなんとも魅力的でついページをめくってしまう。陳腐なところ、ミンシュシュギ的なところが全くないところがかっこいい。読み終わったあとずっしりと余韻が残る。 なんとなく、レッド役に「トラフィック」のベネチオ・デル・トロを重ね合わせて読んでいました。
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ことばの食卓
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矢野まひる/気持ちの曇りが晴れるようです
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文章は、何を受信するかと、それをどう消化したかの結果だ。この本で、武田百合子の受信するものは、寂しくて、怖いものが多い。当然だ… 生きるって、寂しくて怖いことなのだ。鈍感な私はそれをいつでも忘れてしまいがちだけれど。でも武田百合子の文章は伸びやかで生命力にあふれている。寂しくて怖いことが、「生きてるってそういうことだよ!」と消化されたのだ。文章って、才能って、こういうことなのだな、思った。
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飛蝗の農場
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矢野まひる/最後に読もうととっておいたのが間違いでした
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最悪。フォークナーのようと評された章ごとに分断される時間軸はもったいつけているだけとしか思われない。登場人物は全員あまりにもおそまつ。自分の過去を捨て去ろうと、わざわざ危険な満潮時の潟まで出かけ、泥の中に思い出を埋め波にさらわれて死にそうになるような幼稚な人物にわざわざ1章がさいてある。かといって、幼稚な自己愛にひたるしかなかった悲しさが伝わってくるかといえば、最後までもったいつけており件の人物が何者かわからないため、うんざりしながら我慢して読み進めるしかない。ヒロインもすごい。長い間ひとりで生きてきた女性が転がり込んできた男にどんな想いを抱くかなんて、現実の話ならともかくこれでは小説的リア…
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死ぬほどいい女
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矢野まひる/ウカツでしたよ!
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パトリシア・コーンウェルの世界的怪物ベストセラー「検屍官」シリーズが華々しく登場したのは10年前の暮れのこと。以来、毎年この季節、ケイ・スカーペッタの活躍を心待ちにしていたのだが、99年、シリーズ10作目の「<a href="/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/?aid=&bibid=01712436&volno=0000" target="_blank">警告」で盲目的なファン心理に初めて「?」マークがともる。犯罪やトリックがエスカレートしすぎて、滑稽味を帯びてきたからだ。翌2000年の「<a href="/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/…
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日本はなぜ「こんな国」になったのか
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矢野まひる/距離感がなんぼのもんじゃい
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上の欄の内容説明を読むと、書評集みたいだ。ぜんぜん違います。一般的に書評と呼ばれる文章が保っている距離感というものははっきり言ってゼロミリメートル。 ならば何か。この安原顕という人は、誰かに何かを伝えようとするとき、フックが全て「本」なのだ。この人は小泉首相の靖国参拝や、オウム帝国や、ソ連崩壊後のロシアや、ジャーナリズムや文学のあり方や、サラエヴォ紛争や100年前の日本や、それやこれや全部、「本」によって知り、「本」によって自分も何か言いたくなってしまい、それで自ら1冊の本を編んでしまうのだ(1冊どころじゃないけどね)。本を愛しているというよりは、本にひどく愛されているある人のある側面に触れ…
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月虹
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矢野まひる/年末だからこれを読め
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松本賢吾「月虹(ムーンボー)」を読む。梁石日や宮崎学、馳星周、宮部みゆきらが名を連ねる毎日新聞社の書き下ろしエンターテイメントシリーズ、「アジア・ノワール」の中の一冊。各作家により、南北朝鮮、台湾、飛騨から西インド洋までが舞台とされている。 「月虹」で描かれるのは、日本の歌舞伎町。犯罪とは無関係な一般市民の娯楽の町でありながら、中国マフィア、東西ヤクザが蠢く新宿がリアル。食み出しマル暴刑事の、勘が頼りというよりは、勘以外の情報には従おうとしない人間臭さぶりもここまで行くと爽快。プロファイリングなんて手法は、ここではしゃらくさいだけなのだ。同じ特徴が、この作品の弱さでもあるのだが、それは読み手…
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謝り屋始末記
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矢野まひる/キャラの勝利なのです
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誰かを魅力的だと思う感情はそう単純なものではない。優しくしてくれて、自分に都合がよければいいかというとそういうわけではもちろんない。ひどく見勝手であるとか、プッツンだとか、せこくて意地けてるとか、クソ真面目すぎるとか、つまり過剰な人が私は好きなんですね。 作り話の世界で魅力的な主人公はたくさんいるけれど、私が一番好きなキャラクターはパトリシア・ハイスミスの創作した、才能あるリプリー(Talented Repley)。コンプレックスの塊で、いじけてて、妄想力たくましく、考えがどんどん飛躍するあまり一行ごとに違う展開になってるし、暗くねちっこく、実はけっこう強引であつかましくもあり、とまあそんな…
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マーティン・ドレスラーの夢
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矢野まひる/複雑な気持ちなんです
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19世紀末から20世紀初頭にかけての、とある青年のサクセス・ストーリー。ベルボーイから始めた彼は、夢のようなホテルを次々と作り出すが、彼の夢はどんどん過剰なものになっていく。当時のニューヨークの風俗と精神を描いてピューリッツァー賞を受賞したとか。ちょっと前の広告マーケティングの教科書を読んでるような感は否めませんでしたが。 素晴らしかったのは終章近い地下の描写。ミルハウザー・柴田の絶妙のコンビネーションに陶然とさせられる。小説って、言葉のこしらえ物なんだな、と改めて感じる次第。でもそこまで行くのに250ページって長すぎますよ。
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死と狂気
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矢野まひる/素直に読みたい本
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著者は今年53歳の精神医学の先生。これは1991年に書かれた本。その数年前に書かれた「知覚の呪縛」の考えを推し進めたものらしく、同書を読んでいない私には少々はいりづらかった。フロイト的精神分析の理屈になれていると、かなり異様な本だ。私はどちらかというと、言葉って何? という観点から読んだ。 「言語が全的な示差の体系として一気にその都度存在しているのはなぜなのか? 生者の群れにこの体系を創造するような力があるのか? 反復回帰して民族の精神を形成し続けている言葉の始原はどこにあるのか? このような問いが私の問いなのであり、現時点での私の答えとして、全的な示差の体系を創造し、存在せしめ、反復回帰す…
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さかしま
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矢野まひる/逆説
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白状するが、ユイスマンスを読むのは根性がいるのだ。退廃主義と言うから退廃してるのかと思ったら、とんでもない。いまどきのワイドショーなどで、なんとなくだらしがない、無気力、ごてごてしている、といった程度の意味で口にされる退廃という言葉とはわけが違うのだ。「さかしま」を読む限り、退廃ってのは、ものすごい生への執着のことを指しているとしか思えない。 主人公デ・ゼッサントは、宗教にも勉学にも女にもすっかり嫌気がさしている。聖体のパンが、小麦粉ではなくじゃがいもの澱粉で作られるのには納得できない。金銭ずくの価値観しか持っていないのにも関わらず、凋落した貴族や僧侶のつまらぬ虚栄心やうぬぼれには迎合するブ…
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パーク・ライフ
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矢野まひる/私の場合の勇気
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吉田修一の芥川賞受賞作「パークライフ」を読んだ。 話という話はない。日比谷シャンテに出入りする営業マン「ぼく」は、お昼休みをいつも日比谷公園ですごす。そこでちょっとしたことを思い出しり考えたり、なんてことない出会いがあったりするのを、書いてるだけ。なのだけど。 私たちに「お話」なんてもうないのです。ちょっと新聞を読めば、生きていくために必要なストーリー、例えば出世、マイホーム、幸福な家庭像、民族の自立、自由経済、平和、それらを手に入れるための冒険談が空しい夢物語でしかないことはすぐわかる。それでも何年か前までは、グロテスクな形ながら機能していたストーリーではあるのだけど、そんな幻想は昨年の9…
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ユリイカ
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矢野まひる/連続殺人は関係なかったです
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青山真治監督の映画「EUREKA」について、人の噂ではよく聞いていましたが、個人的には通り魔バスジャック殺人が題材と聞いただけでひいてしまっていました。異常な殺人者の心理描写が続くのならやりきれないだけだな、と思ったからです。それが青山氏本人のノベライゼーションを読んでみたら、想像していたのとは全く違い、すごくおもしろかったです。 九州の田舎町で起きたバスジャック殺人事件に居合わせて、深く傷を負ってしまった人々の、再生の物語、と言ってしまえばそれまでなのですが、説得力がありました。そっかー、そうだよなあ、と深くうなずいてしまったのはこういうことです。「再生」をテーマにするとき、まず問題になる…
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樽
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矢野まひる/精神安定剤のようなものなのでしょうか
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1920年代のミステリーが好きだ。最近読んだのはドロシー・セイヤーズとF.W.クロフツ。犯人探しをする探偵の動機がいいのだ(犯罪者の動機ではない)。彼らは犯罪者を裁くために犯人探しをしているのではないし、サイコパスの犯人の心理に分け入るつもりで捜査をしているのでもない。 彼らは、それがおもしろいから、やっているのだ。 サイコパスの犯人の心理描写にはもうあきあきしている。プロファイリング? それで何がわかるって言うんだろう。そんな話、わざわざ小説で読まなくたって、そこら中に転がっているじゃないか。精神分析で誰かを知ることはできない。私は、その人のやったこと・やらなかったこと、つまり行動で、その…
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虹
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矢野まひる/結末から始まる小説
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物語は主人公がタヒチ島でラグナリウム(スノーケリングのことか?)のツアーに参加するところから始まる。ヒロインは果物のレモンのように黄色い鮫や、色とりどりの魚、砂の上をすべるエイを、自分の呼吸の音だけを聞きながら子供のように目を輝かせて見入ってしまう。「夢のようだ、まるで虹を見ているようだ(中略)いろいろなことがあったけれど、またこういうきれいなものを見ている……生きている限り、また苦しいこともあるだろう、でもまた必ずこういうものが目の前に現れてくるのだ。必ず」 これが冒頭である。なんだかまるで結びの文章のようだ。でもそうではないのだ。物語はここから始まる。 読者の前には、東京で瑛子に何が起こ…
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偶然
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矢野まひる/どうして海が好きなのかわかった
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1999年にメキシコで書かれた作品。家出少女ナシマがもぐりこんだ、エレガントな帆船「アザール」の数奇な運命が描かれる。……というのは粗筋紹介としては適切でないかもしれない。「アザール」の所有者で船長である、年老いた映画監督モゲルの生涯、ナシマの生い立ち、老いと若さの対峙、一艘の帆船に偶然にも引き寄せられた彼らはもっと広い世界へ旅立っていこうとする。それはイキルコトソノモノダ。訳者の方の後書きを読むと作家の新境地を開拓する重要な一作、と書かれてある。まあ、クサイといえばクサイのである。そんなクサイことを平気でやってもいいのはル・クレジオだけである。私は、ただひたすら、海を偏愛する作家の、海の描…
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クチュクチュバーン
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矢野まひる/小説は社会のディテールだ
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リストラ、失業率のアップ、元金が保証されない銀行、国会議員をスキャンダルから守るための情報統制、年老いて働けなくなってももらえる当ては全く無いにも関わらず払い続けなければならない年金(以下略)こういう状況下で、中年おやじは密かに10代前半の少女タレントに懸想を抱き、ジャーナリストは9/11をなかったことであるかのように話をすりかえる。考えたってしょうがないからだ。私の心にどす黒い澱が貯まる。正体が見えないのでなんだかひどく気色が悪い。これに形が与えられたら、事態は変わらずとも少しはすっきりと爽快な気持ちになれるのではないか。 この厭らしく淀み貯まった澱に、形を与えてくれたのが「クチュクチュバ…
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箱の中の書類
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矢野まひる/覗き見趣味こそ小説の楽しみでしょう
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何を書いたって、何を読んだって現実の犯罪のほうが上を行っている。そういう時代だ。P.コーンウェルは、スラップスティックに走ってしまった。フロストは毒舌をつきながら哀しんでいる。ミステリー小説の悪役は、どんどん人間離れし、犯罪はいっそう醜悪になっていく。そうしてどれほどグロテスクな人間の暗黒面を見せつけられようと、もう印象にすら残らない。どれも同じなのだ。もはや娯楽というにはミステリーはヘビーすぎるのだ。 と思っていたところにドロシー・セイヤーズである。ウィムジー卿の登場しない唯一の作品だが、軽やかで、意地悪で、ユーモラスでいて生真面目な、セイヤーズ節は少しも変わらない。 『箱の中の書類』は、…
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