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通訳ダニエル・シュタイン  上  CREST BOOKS

通訳ダニエル・シュタイン(新潮社) リュドミラ・ウリツカヤ著
前田 和泉訳
税込価格: ¥2,100 (本体 : ¥2,000)
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出版 : 新潮社
サイズ : 20cm / 318p
ISBN : 978-4-10-590077-9
発行年月 : 2009.8
利用対象 : 一般

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内容説明

【ボリシャヤ・クニーガ賞(07年)】【アレクサンドル・メーニ賞(08年)】ゲシュタポでナチスの通訳をしながらユダヤ人脱走計画を成功させた若者、ダニエル・シュタイン。戦後はカトリック神父となって、イスラエルへ渡り…。生涯をかけて人の心をつなぎ続けた実在のユダヤ人をモデルに描く長篇小説。

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コメント・書評

ナチの官憲で通訳をしながら同胞を助けたユダヤ人ダニエル・シュタイン。戦後はカトリック神父となった彼に関わった人びとの他、彼に直接関係のない同時代を生きる人びとによって書かれた様々な文章を「単に寄せ集めてみただけ」――そう装った20世紀の『戦争と平和』
中村びわ
Dec 7, 2009 6:09:12 PM
評価 ( マーク )
★★★★★

【20世紀版『戦争と平和』を書くことの意識】
「ああ、これは20世紀の『戦争と平和』じゃないか」と思えた。
作者のウリツカヤが、トルストイの大作を実際どれだけ意識したのかは分
からない。しかし、ロシアの作家が戦争の時代とその時代を生きる人びとを書くとき、『戦争と平和』についての「知識」を意識せずに向かうことなどあり得るのだろうか。

 ウリツカヤが作家として注目を浴びたという佳編『ソーネチカ』は、それなりの浮き沈みはあるものの静謐で神に祝福された人生を送った、本好きの女性の一生の物語であった。それは、どちらかというとチェーホフ的作品世界のこじんまりとした空間やまとまりを思わせるような小説であった。
 本書『通訳ダニエル・シュタイン』の上巻を手に取ったとき、その帯には「20世紀の過酷な戦場に刻まれた奇跡の足跡。ゲシュタポでナチスの通訳をしながらユダヤ人脱走計画を成功させた若者は、戦後、カトリック神父となって、イスラエルへ渡った――」とあったものだから、私はこれを、ソーネチカとは対照的に、激動の日々を生き抜いた義人の劇的生涯を描いた小説なのだろうと想像していた。

 しかし、『通訳ダニエル・シュタイン』という題でありながら、この小説は、偉人の若き日、中年時代、老いらくから晩年に至るまでを大河の流れのように書き込んでいく形にはまとめられていない。様々な文章、それもダニエル・シュタインという人物に関わる人びとの他、彼に直接関係のない、同時代を生きる人びとによって書かれた様々な文章を「単に寄せ集めてみただけ」を装って構成されている。
 断片をコラージュして書かれる手法の小説は現代文学には少なくない。だが、書かれた断片の1つひとつから、20世紀半ば以降のドイツ、イスラエル、パレスチナ、そして米国移民社会等を生きた人物たちが眺められるよう「群像」として描いている点に、これは20世紀的手法になる『戦争と平和』――そのような大きな小説だという印象を抱いた。ウリツカヤが意図したであろうことを発見したつもりになり、深い感銘を受けた。

 物語は、一人の人間がゲシュタポの魔の手からユダヤの同胞たちを救ったという奇跡に留まらない。「民族」「(生まれ育った場所としての)土地」「宗教」など、自分という一個の人間のなかにある属性の複雑さに揺れ、葛藤や混乱に苦しみ、自己同一性を問いつづける人びとの生きざまを提示する。
 属性の複雑さは「支配者層/被支配者層」「西側/東側」「北/南」「富裕層/貧困層」「非ユダヤ/ユダヤ」「キリスト教/ムスリム」「ネイティヴ/移民」「都市/地方」といった社会的枠組みや概念で整理のつく要素ではない。父親と母親の民族や宗教が違う――その間に生まれてきた人間存在を考えるとき、そして、その人物が何を選択して生きていくのかを決めるとき、どういう差し迫った状況があろうか。どの集団に帰属するか、依存するか、どういう価値観を持つのかが日々の必要として、個人の身に畳みかけるように問われることになるのだろう。
 したがって「民族」「土地」「宗教」について、さほど差し迫った問題がなかった日本人が口をはさめる筋合いでないというのではない。どの集団を支持するのかを明らかにしたり、「私はいつも弱い者の味方だ」「私はいつも体制に押しつぶされる者を応援したい」とヒューマニズムに酔うように言ってしまったりする前に、私たちには知るべき現状が山とあるということなのである。民族問題や宗教問題から生じる紛争・戦争について論じるとき、そのようなしっかりした自覚がいるのだということを正に真剣で突き付けてくる内容である。

 この小説は、言ってみれば、「民族」「土地」「宗教」といった表面に表れて確認しやすい属性を、唯物論的に分析していく20世紀的意識で小説に取り組むことの限界を指摘している。単に、文学的技法がモダニズムやポストモダンだということでは特徴づけられないだろう。
 社会全体を一貫した指標で眺め渡すことの困難に直面する現代において、「群像」を構成する個それぞれの複雑な内面や精神性、複雑なヴィジョンを丁寧に洗い出していき、それに対する判断を保留する。保留しながら、ニュートラルに表現していくことの大切さを訴えている。なぜなら、個というレベルにおいて、人は他者の個性を否定する権利などないからである。それゆえ、「半ばフィクションで半ば実在」という書き方が取られたものと推察する。
 
【だれがどう描かれているのか】
 驚くべきことに、ダニエル・シュタインのような「ユダヤ人」であって「カトリックの神父」は、実在したのだという。1922年に生まれ、1998年に亡くなったその神父に、作者は会い、彼を知る人にインタビューを重ね、膨大な資料を当たった。
 結果としてフィクションを入れてまとめあげたが、回顧、手紙、日記、手記、印刷物の写し、対話の記録、テープ起こし、メモ、公的文書、壁新聞など、ありとあらゆる書き物がダニエル・シュタインの生きた日々と時代を伝えていく。ウリツカヤが取材で集めたものが、整理してそのまま並べられたように書かれているのである。
 中には、ちゃっかり、ウリツカヤ自身の手紙が加えられているが、そのような部分で「半ばフィクションで半ば実在」の意味が認められる。対象を客観的に書く作家であれ、自分もまた、ここに描かれた『戦争と平和』の構成員であるという意識が感じられる。
(以下、下巻へつづく)
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