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1Q84
BOOK2
7月−9月
a novel
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コメント・書評 |
村上春樹の文章が持つ、謎の魅力を分析する。
反形而上学者
Nov 29, 2009 3:44:22 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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この村上春樹久しぶりの長編小説も、日本ばかりでなく隣国の韓国でも100万部の達しようとしているほど売れているという。なぜこれほどまでに国や言語を越えて村上春樹は支持されているのだろうか・・・。 本書の内容についての書評は、みなさんとても良いものを書かれているので、私は別の角度から村上春樹が売れる理由を考えてみたい。 私は村上春樹をずっと読み続けているが、必ずしも彼の著作が全て好きというわけではない。 私が個人的にどうしても気に入らないのは、「春樹好み」とも言われる、小説に出て来る「音楽」などの名称だ。長編小説には必ず「春樹好み」の音楽が詳細にタイトルやアーティストも含めて、それに対する思いのようなものも語られていく。それが、私にとっては少々鼻につくということがある。 こういうことを言うのは当然ながら、私だけではなく、わりと多くの人が思っていることでもあるようだ。 しかし、それでも村上春樹は支持され続けている。 こういう気に入らないところがあるにもかかわらず、私はなぜ村上春樹を読むのか。そこに村上春樹の小説の「秘密」があるように思ったのだ。 これは最近気づいたことなのだが、村上春樹の文章は雑誌などに掲載されていう広告の、コピーライターによるやや長めの文章に極めてスタイルが似ているということだ。 たとえば、「僕は初めて訪れた京都の嵯峨野を散策したあと、こじんまりとした旅館に泊まり、この日のためにとっておいた、とっておきのボトルを鞄から取り出した。琥珀色の液体は水よりも滑らかに波打って、さっき買った藍色の切子グラスに・・・・」、長くなってしまうのでこの辺でやめておくが、いま書いた文章のように、商品広告のための文章というのは、だいたいこういうスタイルで書かれる。つまり、ストーリーの中に商品の購買意欲をそそらせるためのやり方で、商品をクローズアップしたような文章をコピーライターは書く。 こう考えると、村上春樹の文章はコピーライターの文章に極めて似た構造を至る所に有しながら、進行してゆくということが解る。 しかし、広告の文章は商品のための文章であるから、その手法を小説に持ち込んでしまうと、「ある物」や「ある音楽」などに読者は関心を持っていかれてしまう。結果これは、小説全体としては浮いた感じを読者に残すが、その「浮いた箇所」がそれぞれ起点となり、読者の興味を決して小説から逃さない効果を生む。 私の場合は、そういう鼻につくような「浮いた箇所」が気に入らなくても、結果的は最後まで心地よく読まされているということなのだろう。 もちろんこれは私が勝手に感じたことであり、多くの人の賛意は得られないだろうが、こういう読み方をしてみるのも、小説を読む醍醐味ではないであろうか・・・。
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