コメント・書評 |
変わるもの。変わらないもの
ソネアキラ
Nov 21, 2009 11:08:14 AM
|
評価 ( ★マーク )
★★★★
|
『文学の器』坂本忠雄著でリコメンドされていた伊藤整、晩年のいわゆる長篇3部作『氾濫』『変容』『発掘』をようやく読了する。で、『氾濫』と『発掘』は絶版なので図書館で借りて読んだ。『変容』は岩波文庫で入手できるので、『変容』を投稿レビューに取り上げる (イチ押しは『氾濫』なんだけど)。
『変容』以下3部作は「老年」性文学の草分けとされているそうだ。老いと性。この作品では還暦前の日本画家が主人公。妻には先立たれている。新聞小説の挿画を描くなど、売れっ子画家で蓄財も潤沢のようだ。古い友人でもある作家の葬儀で久方ぶりに出会った奥方や、亡き妻の友人、いまは銀座のバーのマダムとなった女性など、つきあいのあった女性たちの過去と現在が、描かれている。
手っ取り早く言おう。20代で関係した女性と60歳手前で再び関係してしまう。かように焼けボックイに火、ではないが、こういうパターンの連続なわけ。これってどーよ。いまは、還暦なんていっても精神的、肉体的にも若いけど。でも、気持ちに比べて肉体の衰えは、抗えないだろう。若いときの欲情が活火山のマグマなら、老いたときのそれは、休火山か死火山かも。終始一貫ビター、苦味にあふれているのは、この作品の底流にエロスとタナトスが拮抗しているからなのだろう。香水よりも線香の匂いが立ち込めているような…。
例えば女優を例に挙げるまでもなく、美人でもスレンダータイプは、齢を重ねると、しぼんでしまって容貌が衰えがちの人が多い。で、そうじゃないタイプの人は、齢を重ねても、張りがある分、劣化が激しくないというパターンが多いのでは。主人公が画家なのか、あるいは作者の資質なのか、よく登場人物の容貌や身体の変わりようをきっちりと描写している。
なぜこの小説が古びてないのか。それは、アクの強い女性キャラが多いからなのだろう。もちろんアク、悪、こっちかな、の強い男性キャラも。とはいえ、恋はアンチエイジングの特効薬のようだし。
伊藤整は私小説的なものではなく、時代性、社会性にシンクロしたものを自身の創作テーマにしていたようだ。
『改訂文学入門』でこう記している。
「日本の文学者たちが社会から逃げて、はいっていったのは、文壇という特殊な世捨人の気風のある小社会であった。そういう意味での文壇というものが確率したのが、明治40年(1907年)ごろであった」
伊藤はこの「社会への批評を文学の中でしなかった点がヨーロッパの文士と違っている」と述べている。自然主義が母胎なのに、なぜか「身の上話である」私小説が誕生した。作家たちは、虚構ではなく、自虐、諧謔ネタを通して逃亡、破滅など「人間の真実の姿を求めて」いったとか。
堕ちていく自分、そこでつかむ真実。一般の読者は、「世捨人」気分を私小説でヴァーチャル体験していたそうだ。
おまけ。この小説には、廃線が決まった都電が出てくる。都電の走る東京の描写もなかなかに優れている。こんな感じ。
「私は大手町で地上に出、丸の内一丁目の停留所で洲崎行きの都電に乗った」
「その電車の乗客たちの様子は、戦前の東京の生活のゆるやかなテンポを思い出させた。また細かな計算をして生計の辻褄を合わせる倹約とか、つましさなどを思い出させた」
勝鬨橋を渡って終点洲崎まで行きたかった。そう、あの洲崎パラダイスへ。
|
|
|
| 現在の投票
はい:3人(60%)
いいえ:2人(40%) |
|
|
|