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子どもたちは夜と遊ぶ
上
講談社ノベルス
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コメント・書評 |
孤独な人が孤独な人をいとおしいと思うこと
空蝉
Oct 7, 2009 12:53:43 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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正直、もうすこし硬めの熟した文章でも良いのではないかと最初に感じたのだが、読み終えて今言えるのは、これは『子供たち』の物語。これで、良いのだという素直な感想だ。
結局は自己防衛の物語なのだろう。 世界という非情な化物から自分という非力な存在を必至に守ろうとする「逃避」と「保守」によって引き起こされた悲劇の物語・・・ 彼、浅葱は決定的な絶望と失望を世界に感じ、『独り』という恐怖を知り、 常に「伴侶」を求めた。が、どこにもいない自分だけの世界で、まずカレ自身を作り出してしまったのだろう。 もう一人の孤独なカレが暴走し、浅葱をのっとり、殺人を繰り返す・・・というのならどこかであったような物語だ。 けれど本書はそれでは終わらない。 浅葱と「i」。 彼らはそれぞれ「存在」し、お互いをのっとるのではない・・・必死に生きて欲しいと、人間として生きて欲しいと、それこそ命を懸けてゲームをし、子供たちは夜を遊んだのだ。 何度も交錯する「浅葱」と「i」。お互いがいなくてはいけない存在だったけれど、決して「出会っては」いけない存在だ。しかも「浅葱」は自分の背中の火傷に気がつかない。iの本当の姿、iの、自分の負ってきた過去にも気がつかない。人間の知覚と記憶の都合よさ。 それが、キーと成る。
浅葱は本気で気がつかないフリをし、iを手に入れた。 月子は記憶に蓋をすることで安穏を手に入れた。
それでも人間は、触れたくても触れられないものを、いとおしくて仕様がないものを、必死に守りたくて、時には必死に逃げるのだろう。 人間として生きるという、本当は自分が手に入れたかった孤独ではない人生を、iは浅葱に生きて欲しかったに違いない。そして浅葱は月子を、狐塚を、iを失いたくなかった。 独りにならないように。
人間って、本当に寂しがりなのだ。そして、どんなに絶望のふちを見ても、人間さをなくしてしまっても、それでも人恋しいのだと。そう思う。
ミステリーとしてどうかとか、文章がどうだとかそうした書評めいたことは他のお方に任せるとして。私はこの作品が好きだ。痛いけれど、温かい。 いとおしいのだ。 きっとそれは、人が人をいとおしいと思う、本当に自然な感情そのものなのだと思う。 |
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