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私は誰になっていくの?
アルツハイマー病者からみた世界

私は誰になっていくの?(クリエイツかもがわ) クリスティーン・ボーデン著
桧垣 陽子訳
税込価格: ¥2,100 (本体 : ¥2,000)
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出版 : クリエイツかもがわ
発売 : かもがわ出版
サイズ : 21cm / 229p
ISBN : 4-902244-10-1
発行年月 : 2003.10
利用対象 : 一般

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内容説明

痴呆になるとどのような経験をするのか? 望ましい支援とは? 痴呆症とともに歩んだ著者の感情的、身体的、精神的な旅についての記録から、痴呆患者が見る世界が手に取るようにわかる。実体験に基づいた貴重な指摘が満載。

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コメント・書評

私は最後まで私である。
wildcat
Sep 7, 2009 12:28:01 AM
評価 ( マーク )
★★★★★

病や障害を得て、変わっていっても、最後に残るものがある。

それがその人の本質だ。

このテーマに向き合ってきて得たひとつの答えである。

病によって、知性、体力、社会生活、
生き物としての基本的な生命維持の気力さえも、
どんどん奪われていく。

命の玉がどんどん零れ落ちていき、
いろいろなものが薄皮のようにはがされていっても、
病気や障害が奪えないものが、その人の本質の部分である。

『博士の愛した数式』の書評
『変身』の書評
それらについて書いてきた。

博士は、高次脳機能障害であり、
ザムザは虫になってしまうことにより
前の自分とは外見が大きく変わってしまう。

だが、彼らは、自分らしさを有した存在であリ続けた。

若年性認知症について書かれた文学作品のうち自分が読んだものでは、
『私の頭の中の消しゴム』や『わたしを置いていかないで』がある。

前者は本人の立場で、後者は家族の立場で書かれている。

いずれも自分自身の変化、家族の変化に、
どう対応していくのかがテーマだった。

本書は、1995年に46歳でアルツハイマー病の診断を受けて、
1996年にオーストラリア政府の首相・内閣省、第一次官補を退職した
クリスティーン・ボーデンが、自らの経験について執筆し、
1998年8月に「Who will I be when I die?」として
出版したものを翻訳したものである。

著者は、1997年ごろから著しい症状の回復がみられ、
1998年に前頭側頭痴呆症と再診断された。

1998年には今の夫と再婚し、
2001年10月にはニュージーランドの国際学会で
当事者として講演をしている。

本書は、家族や介護者ではなく、病を得た本人が書いた
ノンフィクションであるというところが他にない特徴である。

本書は、本人のエッセイ部分だけでなく、
自らがアルツハイマー病だと診断された頃から、
助けを借りながら少しずつ自分の病気について調べ物をしていたメモが、
「【付録】アルツハイマー病とはどのような病か?」として付いている。

これが調べた結果だけでなく、
自分の経験に基づくコメントを付記していることが、
この資料の価値を上げているといってよい。

アルツハイマー病の段階について、
アルツハイマー病協会の手引きから適用し、
そこに「痴呆を生きる者の見方」から説明を付け加えているのである。

医学書や医療・看護・福祉の教科書に書いてあるような
アルツハイマー病の特徴、
たとえば、「無関心、生気がなくなる」とか
「趣味や活動に興味がなくなる」といったたった一行の説明があるが、
これらにはそれぞれにちゃんとそうなる理由があるのだ。

そして、各段階で必要としている助けがある。

実際に有志の5名がクリスティーンさんのところを訪問して
インタビューした記録があることも興味深い。

精神科医の小澤勲氏の『痴呆を生きるということ』も解説として、
内容理解を助けてくれる。

エッセイ部分は、7つの部分に分けられる23章で構成される。

それらを概観してみる。

診断を受けたときは、専門医の宣告があまりに配慮のないもので、
セカンドオピニオンを求めて、詳細に渡って検査した。

「私は誰になっていくの?」という不安を抱きながらも、
アルツハイマー病について流布している誤解について
説明を加えることで解こうとする。

アルツハイマー病になるとどんな感じなのか、
それは、「絶壁に爪を立て、張り付いている感じ」と例えられている。

今まで一度にいくつものことをこなせたスーパーママだったのに、
今はひとつひとつのことに集中して片付けていかなければ
家事ができないようになったこと。

いくつものことをこなす習慣を変えて、
ひとつひとつに取り組むようにしていったこと。

そして、信仰に支えられたこと。

彼女がこの状況に耐えられたのは、
信仰による力が大きいと彼女は認めているが、
そういったところが気になる人は
信仰の部分は省いて読んでもよいという配慮の言葉まである。

そして、彼女自身も、自分に残るものについて言及している。

  私が読んだ資料には、アルツハイマー病の人が
  「むきだしの自己の中核だけが残る」状態にあることについて
  話しているものがある。

  そして、外側の層がなくなっても、個人としての人の本質は残るし、
  そこには、その人の崇高さが含まれるとしている。

  このことは、私を安心させることかもしれない。(p.66)

彼女は、「痴呆症の場合は、自分がなくなるという恐れがあります。
でも、それがなくなっても魂があるので恐れることはないのです」と
強調している。

彼女の場合は、この言葉は宗教心から来ているのかもしれない。

だが、この言葉も、本質が残るのだといっていると考えると、
やはり実感としてよくわかるのである。

また、彼女は、病により、失ったものだけでなく、得たものもある。

彼女はエッセイ部分でも自ら書いているが、
もともとは知的レベルが非常に高く、
あらゆるものを短時間で記憶でき、読むのも速く、すばやく質問し、
いつも次の話題に移るのが待てず、
他の人たちがいつもとても遅いということに
ひどく我慢できない人間であったという。

インタビューで、彼女の再婚した夫が語るには、
病気になる以前は、仕事中心の、あまり性格のいい人ではなく、
今の方がむしろ性格がよくなったと、彼女の友人に聞いたのだという。

まわりの人を中心にして。心配をすることが少なくなり、
辛抱することができるようになった、
受け入れる能力がよくなってきているのではないかと。

「どんなあり方になっても、そうやって生きている以上は、
そのあり方には意義があるから生き続けている」という
『健やかに逝く』にあった言葉が、
とても説得力のあるものに感じられた。

私は、最後まで「私」なのである。
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