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西村次長における中年の危機
cuba-l
Aug 15, 2009 8:15:59 AM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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西村耕太郎48歳、大手保険会社の次長で当時55歳定年まであと7年。いまさら立身出世の望みもないが、妻と成人した長女の3人暮らしで平凡だが幸せな人生である。本人もこれを否定はしないが、老いの初頭にふと立ち止まって眺めやるこれからの平凡な太平無事の下り坂の人生を受け入れるのにはまだ納得していないし、ちょっと冒険すれば若い愛人にも手がとどきそうなところに心が揺れ動いている。 ところがそこに娘の恋人発覚・妊娠という事件が絡み、自らの慾望の始末と若い男女へのけじめについて迫られるそれぞれの対応はこれからの後半生をいかに生きるのかという悩みともなっていく・・・。
誰しも若いときは勢いや体力であるいは怠惰と先送りで何とかなってきた問題も、あるいはまた未成熟で発現には至らなかっただけの問題も、ある時期になるといよいよ後がない現実として鋭く解決や方針の転換を迫られることになる。 それは健康の問題もあれば、老いた親や子供の独立などの家族問題、会社や仕事の問題もあるだろうし、そこに残された時間への焦りや諦め、あるいは諦めのつかない慾求が絡み、もつれた難題として対応が迫られる。 これは誰にもやってくる。 こうした誰しも迎える悩み深い時期を思秋期だの中年の危機だのと言って、現代ではこの方面の研究はだいぶ進んでいるようだが、世間一般の認識はまだ十分とは言えないし、危機の内容は個人ごとに事情が複雑で、対応の仕方もさまざまだから扱いの非常に難しい問題である。
人によって中年の危機は40前にやってくることもあれば50過ぎでやってくることもあるだろう。中身も長年先送りした様々な問題がどうにもならなくなるようなものだからその解決も一朝一夕には行かないことが多いし、結局何年かかっても解決できずに中年の危機に潰されてしまう人もまた多いのが現実だ。最近では先日亡くなったマイケル・ジャクソンのケースなども解決失敗例として語られることもある。 この小説が書かれたのは昭和30年から31年という昔のことだが、今も昔も人生の基本構造は変わらない。生まれてから死ぬまでのたかだか数十年の上に多くの苦衷ともどかしさ、多少のときめきと納得を盛りつけるだけだ。しかも人生の後半は前半の単純な延長ではなくて、人生の基本構造の峠で何を捨てて何をとるのか自ら納得して選び取っていくものだということも変らない。だから主人公西村耕太郎の心の辿るもどかしさは現代においても大いに共通するところがある。 それゆえこの小説は価値観も社会通念も異なる時代に描かれた軽妙なドラマの形を取ってはいるけれど、中年の危機を経験済か否かにかかわらず、今なお「大人の男性」にとって一読の価値があることだろう。 |
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