コメント・書評 |
それにしても嘆かわしきは、変わらぬ日本の民度の低さ
良泉
Jul 5, 2009 5:23:31 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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本書の元となった著作は、1907年に刊行された。日露戦が終わって間近の頃である。筆者の荒畑寒村は当時若干二十歳。処女刊行だそうである。 足尾鉱毒事件を世に伝えるため、田中正造から依頼され急遽書き下ろされ出版された。 世に記録文学というジャンルがあるとすれば、その先駆けといってよい作品である。ノンフィクション、ルポルタージュのはしりである。 しかし、ノンフィクション、ルポルタージュとして本書を見たとき、感じざるを得ない大きな欠点がある。それは著者の感情があまりに率直に表現され過ぎているという点である。ノンフィクションでの過多な感情表現は本来あってはならない。 しかしそれは決して若き日の荒畑寒村の表現技術の未熟さからくるものばかりではない。 それだけ、寒村の目前で展開された事実が、寒村をして過度の感情表現に走らざるをえなくさせたほど、強烈なものであったのだ。 谷中村という一つの村が、権力の横暴でつぶされた。跡形もなく消し去られた。 土地収用法による谷中村強制破壊を眼にした寒村は、本書を冷徹な記録に押しとどめることができなかった。寒村は筆を進めるに当たり、大きな感情を押し殺すことなどできなかった。 後に大杉栄らとともに活躍する荒畑寒村の眼を大きく開かせ、寒村を成長させた出来事であった。 しかし、まったくもって嘆かわしい。権力の独善・横暴と民主主義のひ弱さをつくづく嘆く。 谷中村の悲劇は現代においても、結局なんら正されることなく続いている。 権力者の自己保身と権力増長をはかるための無駄な公共事業の推進と、国民不在の事業遂行である。 各地のダム建設地で、高規格道路建設地で、現代においても多くの住民が権力に泣かされている。 この国の民度って、100年たっても、こんなもの。 激情に駆られ、一気に本書を書き上げた荒畑寒村と、寒村に記録を依頼し、自身も身を削って谷中村救済に駆けまわった田中正造も、さぞかし無念がっていることだろう。 |
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