コメント・書評 |
怪談108R(ラウンド)――怖いって何だろう?
仙人掌きのこ
Jun 6, 2009 11:18:10 PM
|
評価 ( ★マーク )
|
帯には「3分で読める800字の怪談が108編!」とある。編者である東氏は「カップ麺」と「ウルトラマン」をあげていらしたが、私の脳裏に浮かんだのは「ボクシング」であった。更に、愛読しているボクシング漫画「はじめの一歩」を連想し、こうつぶやいた。『怖いって何だろう?』
ふとしたきっかけでビーケーワン怪談大賞に作品を投稿し、それが本になるという僥倖を得たのは、文章の素人である私にとっては喜びであるとともに戸惑いでもあった。まさに、ボクシングに巡り合ったばかりの一歩くんの気分だ。自分の書いたものが評価されるのは嬉しい、他の人の素晴らしい作品を読むのは楽しい、しかし常に原点とも言うべき問いに立ち返る。『怖いって何だろう?』――と。 この問いに対してもっとも無難で納得できる解は、「怖さは人それぞれだから正解はない」というものだろう。しかし、それでは間口は広がるばかりでますます霧は深くなる。この「てのひら怪談 己丑」には108もの怪談がおさめられている。それぞれが工夫をこらし切り口を変えて、それぞれ怖い。こんなに沢山の怖さを味わったのなら、もう満足しそうなものだが、もっと怖い話を読みたい、そして書きたいという気持ちが湧き上がる。これはいったい何なのか。 その秘密は怪談の「談」にあるような気がする。談とは「話す」ことである。すなわち、話し手と聞き手とがそこに居る。もちろん小説をはじめ、すべての創作は作者と受け取り手のキャッチボールだ。しかし、怪談はその関係が非常に濃密であるように思われる。「怖さ」を伝えようとする語り手と、受け取ろうとする聞き手。その距離は、普通の小説よりもずっと近く、膝突き合わせているような感覚だ。そして「怖さ」というのは、その距離を保つための約束事なのではないか。「これから始まるのは怖い話ですよ」という約束事が、話者と聞き手の一体感をうみ、他の本とは違う濃厚なコミュニケーションを可能にする。それが怪談のもつ独特の魅力につながっているのではないか。
冒頭に引用したので、すこし「はじめの一歩」の話をしよう。いじめられっ子だった主人公がボクシングに出会い、釣り船屋を手伝っていた地力をもとに努力を重ね、多くのライバル・友人とともに成長していくという王道の少年漫画である。一試合ごとに課題を克服し、必殺技を身につけ、ついには日本チャンピオンになるが「強いって何だろう?」という疑問は解けないままだ。これは、この漫画が「物理的な強さ」を描いているのではないからだ。物理的な強さの追求ならば、相手を殴り倒した時点で終わりだろう。しかし、一歩の闘う相手には、それぞれの人生が用意されている。様々な理由でボクシングを続け、それぞれの努力の仕方で武器(強さ)を身につけている。一歩は、闘うたびに違う強さに巡り会う。いわば「強さ」を約束事にした、濃厚なコミュニケーションの物語なのである。
怪談もまた『怖いって何だろう?』という気持ちで作品に対峙すれば、それは語り手の人生――そのなかでもかなり激烈な一瞬――を共にする事になる。普通の小説や会話では得られない、深く濃厚なコミュニケーション。それが本来負の感情であるはずの「恐怖」を、悦びに昇華させるように思うのだ。 山下昇平氏がつくった魅惑的なキャラクターが、本文中で旅をしているのは象徴的だ。この本に収められた一作一作は、すべてそれぞれの作者が、人生という旅のなかでみつけたとっておきの怖さなのだから。
現在(2009年6月1日~7月21日)、「第7回ビーケーワン怪談大賞」が開催中である。今年もまた『怖いって何だろう?』と自問しつつ、ひとりでも多くの人と濃厚なやりとりを交わしたいと思っている。 |
|
|
| 現在の投票
はい:13人(100%)
いいえ:0人(0%) |
|
|
|