コメント・書評 |
絶望しない人間
SlowBird
Mar 27, 2009 12:17:58 AM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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戦後の抑留生活、作者自身の体験を元にしているということで、たぶんこれ以上にも以下にも悲惨ということはなかったのだろうと思うが、しかし戦争告発小説のような体裁でもないし、かといってそういう要素を無視していいというほど個人的な物語でもない。二者択一的な読み方はつまらないとして、かといってこの作者の場合は読者に取っての芯のようなところを放り出してしまうような放埒さがある。無責任ではなく、絶望というのでもない、そこが味というものなんだろうけど。 いわゆるシベリア抑留と言われているものだが、この舞台は正確にはモンゴル共和国で、2万人の国土建設のために捕虜を使役することが国際的に認められたものであり、その労働条件も栄養も国連のなにがしかの基準に則ったきちんとしたもので文句の付けどころは無い。ただ日本人に取っては 少し寒かった。しかし過労や栄養不足で多くの死者が出たのは、別の理由がある。さて主人公は満州やモンゴルを放浪していて現地召集を受け、そのまま敗戦を迎えて抑留に遭った。ちょっと毛色の変わった兵隊であるし、悲愴さがあまり強調されない。むろん幾度も生死の境目を経験し、追いつめられてるには違いないはずなのだ。過去の経験で培った特技でやや良い目の待遇を手に入れられたにせよ、ここでの出来事への彼の一歩引いたような視点と筆致は、戦争が起きたこと、日本を飛び出したこと、招集を受けたこと、そういう流れの中で抑留=強制労働というのもまた、一つの悲惨さを呼び起こすスイッチの一つに過ぎないかのように思わせる。 たしかに根源的な問題は戦争そのものなのだ。それは暴力装置であるに違いないし、生死の分け目を司る暴力解放装置だ。たとえ文民統制があろうと軍規があろうと、戦場で自分の命と引き換えにしてでもルールを守ろうとする者はいない。戦争という代物自体、ルールを無化することが至上命題である装置なのだから、敵国やら上官やら同僚やらを糾弾しても始まらない。ただ運命として受容し、ひたすら生き延びることだけに心を向けること、それがあらゆる思考の麻痺するような恐怖の連続の中で主人公が体感したことではないだろうか。極限状態の中で、ただ食べ、働き、寝る、機械のように体は繰り返し、生きるための計略を練る。束の間に訪れる奇妙な快楽。 彼らはそういった自身達を以外に平静視もしている。人間をなにも美化することなく、自分も誰も擁護しない、憎しみも欲望も枯淡と綴られる。やはりモンゴルを舞台にした冒険小説「天山を越えて」や、「翔んでる警視」なども同時期の1980年代になってこの作品が書かれていることも考えると、何かしらの希望のありかを探っているとも考えられる。またそんな意識こそが、逆境でも生き延びる力の元になるのかとも思う。 |
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