コメント・書評 |
北風のうしろの国を考察する
野棘かな
Mar 14, 2009 10:18:28 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★
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これはまったく個人的な思いの書評です。
※そこから戻ってきたとき、かれは大部分のことを忘れており、記憶していたことにしても、話すのがむずかしいらしかった。※ ※目が覚めると、誰かがかれの上に身を屈めていた。北風ではなく、母親の顔が目に映った。ダイアモンドは母親に向かって手を差し伸べた。 母親は息子を抱きしめてわっと泣きだした。泣きやんでもらいたくて、ダイアモンドは母親の顔に何度も何度もキスをした。 キスは涙の特効薬だが、必ずしもそのために涙がぴたっと止まるわけではない。 「どうしたの、母さん?」 「ああ、ダイアモンド、おまえはとってもひどい病気だったのよ」 「まさか。ぼく、北風のうしろの国に行ってきただけだよ」 「一時は死じまったのかと思ったくらいだったわ」 そのとき、お医者さんがはいってきた。 「おやおや、今日はだいぶ具合がよさそうだね」とお医者さんは穏やかな声で明るくいった。※
原書は読んでいないので、翻訳された文書で想像すると 北風のうしろの国とは、今生きているこの場所がこの世なら、あの世のことだろう。 死んだあとに魂が向かう、かなたの岸、かしこ、うしろの世界、死者の世界、地獄、無、あるいは極楽浄土、理想郷、天国。 ダイアモンドは子どもながら、死後の世界へ行き、母親の泣いている姿をみて帰りたくなってこの世に戻った。 生死をさまよったダイアモンドの魂が彷徨い見たのは、死後の世界であろうと想像するとジョージ・マクドナルドの死生観が、直接ではなく、遠まわしに現れているといっていいだろう。 生死を彷徨ったダイアモンドが持って生まれた素養である純粋な魂と類まれな想像力により、北風という幻想の世界の人と交流し導かれて知ったあの世(北風のうしろの国)、幻想の世界の北風と類まれな想像力で交流し魂を揺さぶられながら、少しずつ彼を取り巻く世界に影響を与え、ゆるやかに現実が変わり始めるそんなファンタジーだと思いたい。
※「あなたって親切なんだな、北風!」 「わたしは公正なだけよ。親切というのは公正だということに過ぎないわ。わたしたちみんな、公正でなくてはいけないのよ」※
原書は読んでいないので、私の意図する感覚は違っている可能性もありますが、とにかくこの本は読むのに時間がかかった。 きっと楽しいファンタジーだと想像していたのに、ワクワクもしなかったし、飛ばし読みしたり、また戻ったり、なかなか読み進まなかった。 ジョージ・マクドナルドが大人もこどもも読める本ということをベースに書いたはずなのになぜこうなるの?というくらいこの本は意味不明な部分言い回しが多い。 もっとストレートに言うべき表現するべきことが回りくどくて、まるで謎説きを要求されている気分になることがあった。 キリスト教徒として表現の規制でもされていたのでしょうか?それとも・・・。
訳者はファンタジーをその人なりに理解して、この本を訳したと思いたいのですが、もしかしてコンセプトが違っていたのではないでしょうか? 根底を流れているはずのジョージ・マクドナルドの真意が読み取れないのです。
訳者あとがきで、ロンドンの貧しい家庭の少年云々と評すること自体、そこじゃないでしょう?と思いました。 ピーターパンのことを貧しい家庭から飛び出したとは表現しませんよね。 時代背景、それはそれとして、でもそれだからこそ、空想や幻想の世界の交流との対比で浮き彫りにされるダイヤモンドがのびのびと自由に幻想の北風と行動することの楽しさ、現実の世界から飛び出して違う世界を知る喜びがあるはずなのに・・・。 でも、もし、ジョージ・マクドナルド自身が、Poverty、 poor(貧しい家庭の少年とか、貧乏な階級の少年)とダイアモンドのことを表現しているのなら申し訳ありません。
ジョージ・マクドナルドが、わが子の死に直面し、苦悩し 「いとしい冠の花たちはこの世から次々と散っていくけれど、それはかしこで、いっそう美しい、より永遠な冠をつどい編むためなのだ」 と書いているというその死生観、ジョージ・マクドナルドの魂の叫び、肉体と魂の話を知れば知るほど、北風のうしろの国はかしこ、かなたの岸ではないのでしょうか? 北風のうしろの国をかしこと意識するともっと違った感覚の幻想物語、ファンタジー「AT THE BACK OF THE NORTH WIND」となると思うのです。
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