コメント・書評 |
純情、戦場、過剰に気丈
SlowBird
Jan 10, 2009 3:29:18 PM
|
評価 ( ★マーク )
|
大きな長い戦争があり、そこには人間にはコントロールできないような科学技術が級数的なスケールでつぎ込まれた。兵士も市民もぼろぼろになり、秩序も倫理もまったく様相を変えてしまった。そんな中で生まれ育った子供達と、戦争で大切なものを失った人々の物語だ。 悪夢のような科学技術は封印されたが、その幻影は今も少しずつ社会を蝕んでいる。再構成された世界には無数の陥穽が残っており、そこに落ち込んだ者はただ奪われるだけの存在に成り果てるしかない。大きな虚無感だけを抱える少女の自分の生を取り戻そうとする戦いは、あまりにも過激で、過剰だ。そうすることで、時代の喪失したものをすべては取り戻すのだとでもいうほどに。たぶん社会のネットワーク化が進むことで、人間関係は拡大し、より濃密になり、流通し詰め込まれる情報=意識は溢れ返り、その分だけ、失った時に空く穴も拡大していくのだ。押しつぶされるほどの物質=商品の圧力が消えると、自分の肉体までも拡散してしまいそうな不安が襲いかかるのだ。まるでゲーム機を取り上げられた子供や、ケータイを失った若者に、始めから無かったものと思えば、などと言ってもなんの慰めにもならないように。 ITやバイオ、脳科学から、反重力、亜空間といった超現実的なものまで、無数のガジェットが散りばめられてはいるが、人間を取り巻く環境の濃密化が既にスタートを切ってしまった現代の延長線上に過ぎない。例えば少女は成長し、あるいはパートナーを獲得し、痛みを乗り越えるかもしれない。しかしそれがおとぎ話であることは了解の上で、結末に辿り着く過程での過剰で執拗な描写の連続こそが、僕たちの行く末に待ち構える、新たなタイプの喪失による底知れない孤独への不安の噴出ではなかろうか。 デジタルテクノロジーと肉体感覚の融合によって危機を乗り越える少女の姿は、融合自体を恐怖と見立てる未来予見とは異なり、疎外される人々の脱出口をそこに見る痛々しいまでの共感が背後に感じられる。銃撃戦で、フェチズムとの対決で、確率とローテクの支配するカジノでと、トーナメント表を勝ち上がるように登っていく行く道のりは、現代人の目前にある「天国への階段」そのもののように見える。 |
|
|
| 現在の投票
はい:2人(100%)
いいえ:0人(0%) |
|
|
|