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47都道府県の名門高校  平凡社新書
藩校・一中・受験校の系譜と人脈

47都道府県の名門高校(平凡社) 八幡 和郎著
CDI著
税込価格: ¥882 (本体 : ¥840)
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出版 : 平凡社
サイズ : 18cm / 318p
ISBN : 978-4-582-85412-1
発行年月 : 2008.3
利用対象 : 一般

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内容説明

日本の繁栄を支えてきたのはどんな学校か。そして日本人は何を学んできたのか。藩校から旧制中学、現代の高校へと歴史をたどりながら、名門高校を紹介する。現代の名門606高校と1150人を越える著名卒業生も掲載。

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コメント・書評

東京都のみならず主要都市圏すべてで起きた名門公立進学校潰しの歴史が一目瞭然
塩津計
Jan 9, 2009 11:30:08 PM
評価 ( マーク )
★★★★★

元通商産業省の八幡氏が書いた全国の名門高校案内である。経済産業省以下に勤務するキャリア官僚の間では「出身高校はどこか」に異様な関心が集まる。出身大学となると大半が東大法学部・東大経済学部で差が分からないので、出身高校が各省庁の名簿にまで書いてあるのである。八幡氏が本書を執筆するに至った動機も、こうしたキャリア官僚の気風と無縁ではあるまい。全国の名門進学高校を網羅的に扱い、かつコンパクトに編集したという意味では、まあ、よく出来ている部類か。同様の類書に比べると私は八幡氏の本に、より好感をもった。

一目瞭然なのは、公立名門進学校の没落とその理由である。昭和30年代、左翼の日教組を中心に全国で受験戦争批判が展開され公立進学高校潰しが展開された。その最大の標的は当時東大進学者数ナンバーワンの座を維持し続けてきた旧制東京府立第一中学校(現日比谷高等学校)で、その手段は学校群制度の導入だった。東京都立高校だって学校群制度の導入で直ちに没落したのは日比谷と小石川、両国ぐらいで戸山(旧制府立四中)や西(旧制府立十中)は昭和50年代までは、まだまだ名門進学高校としての命脈を維持し続けていた。都立高校が最終的に没落するのは学校群制度改革第二段が実施された昭和50年代後半で、これで東大進学ベスト20から都立高校はその名を消す。東京周辺の県となると没落には更なる時間を要した。埼玉県立浦和高校、千葉県立千葉高校は平成7年までは東大進学者数が50人を超えていたのである(神奈川県立湘南高校が没落したのはこれら2校よりやや早い)。しかし、狙い撃ちにされたのは、実は東京周辺の進学校だけではなかった。同じような動きは愛知、京都、大阪、兵庫でも起きていた。兵庫で灘高校が躍進した背景には旧制神戸一中(現神戸高校)の没落があったし、京都で洛星や洛南が躍進した背景には旧制京都府立一中(現京都府立洛北高校)の没落があったのである。

公立高校を潰すのは実は簡単である。どこも同様の手法で公立学校は潰されていったのだが、要するに通学可能な学区を細分化して人材の供給源を小さくすれば、生徒のレベルは簡単に下がるのである。愛光学園を擁する愛媛県や広島学院・修道高校を擁する広島県では、そもそも日教組過激派が跋扈して学区が戦後早くから細分化されていたが故に、公教育が荒廃し私立が躍進したとも書いてある。

林望の著作にも書いてあるし、名門都立高校出身の先輩からも証言を得た話だが、昭和30年代までは東京でも高い教育を受けるに際し、ほとんど金がかからなかった。私立は「金持ちの馬鹿が行く学校」程度にしか見られていなかった(今でこそ進学校のトップの座に君臨し続けている開成高校だが、昭和30年代までは入試後も入学金の納付は都立高校の合格発表後まで待つ2番手3番手校だったそうである。灘高校だって遠藤周作が入学した頃は公立を落ちた生徒の受け皿程度の学校だったし、吉行淳之介が入学した頃の麻布は「アソブ中学」と揶揄される学校に過ぎなかった)。そして浪人しても、当時の高校生はわざわざ高い金を払って予備校になんか通う必要はなかった。学校群制度導入までは各高校に補修科なる浪人生向けの特別補修クラスがあって、浪人生は引き続き母校に通い、恩師から直接指導を受けていたのだそうだ。

昨今格差論ばやりである。曰く「私立の中高一貫校に行くことの出来る一部の金持ちしか高等教育を受けることが出来なくなったのは、憲法が保障する機会均等の侵害にあたる」云々。じゃあ、どうして今のような状況になったのかといえば、日本全国でサヨクの日教組らが中心になって公立の進学校潰し運動を展開したからである。当時盛んに叫ばれた文句が「東大生の親の平均年収は、日本全体の平均年収よりはるかに高い。その多くが公立の進学高校出身である。日本では金持ちが学費の安い公立校に生徒を送り、貧乏人が学費の高い私立に子弟をやむやむ通わせている。教育が国民の格差を増幅している」というものであった。「ペーパーテスト批判」というのもあった。「たった一回のテスト結果で人生が左右されるのはおかしい」というアレだ。その結果導入されたのが「内申書重視」という評価基準であったのだが、本書によればこれが高学歴層でリベラルな思考を持つ家庭に嫌われ、公立高校が忌避されテスト重視の私立への逃走が始まったんだとされている(著者曰く、高学歴でリベラルな思考を持つ家庭では親も子供も学校の機嫌を取らなければならないことを嫌うものなんだそうだ)。私は教育制度と格差論を混ぜて議論するのは危険だと思っている。格差の話はあくまで税制や生活保護の問題として解決すべきものであって、これを教育制度の改造で対応しようとすると、かえってその志とは正反対の結果を招来すると思うからである。高学歴層の家庭は、かなりの確率で教育熱心である。彼らの多くは大学教授、医師、高級官僚、一流会社員である。彼らの多くは超がつく金持ちではないにせよ、それなりの所得を得ており、子供の教育に惜しみなく資源を投入する。こういう人たちの子供はかなりの確率で、親同様高学歴層の仲間入りを果たすものなのである。これを「不公平」と呼んだところで、私は意味がないと思っている。現に日本全国で行われた公立学校潰しは、結果として私立学校と学習塾を超え太らせただけで終わったではないか。
それに仔細に見ると、愛媛や広島のような日教組の猛威の犠牲となった一部の県を除き、地方に行けば行くほど名門公立高校はまだまだ健在であることが分かる。進学先を東京大学や京都大学に限定すれば首都圏など大都市圏の私立中高一貫校が圧倒的に有利となっているが、北海道大学や東北大学、名古屋大学、九州大学などでは地方の公立高校で目覚しい進学実績を維持しているところも多い。ここでも昨今はやりの教育格差論のうそが露呈されている。名門大学は東大、京大、一橋、東工大だけではない。その他の旧帝国大学も含めれば地方の学生にも十分高等教育への道は開かれているのだ。だから首都圏の私立に子供を送る金がない家庭は、はじめから東大なんか目指さずに名古屋大学とか北海道大学を目指せばよいのである。現に名古屋大学はノーベル賞受賞者を数多く輩出しているではないか。

問題点もないわけではない。本書の末尾に医学部批判が延々と展開されているが、著者がいうほど医者が全体として高収入で社会的ステータスが高いとも思えないし、異性にもてるわけでもない。昨今は医療訴訟も増えており、訴訟を起こされて汲々としている医者も多いし、少なくともインターンの時代は、わずかな手当てで異常なほどの超過勤務を強いられている医師(のたまご)が多いというのが私の認識だ。こういう一面的な思い込みで安易に制度をいじると司法試験制度改革がそうだったように、後々ひずみが非常に多いように思われる。

著者の出身校でもある滋賀県立膳所高校についての解説が不必要なまでに長いのはご愛嬌か。
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