コメント・書評 |
ある機能が失われてもなお残っているその人らしさ
wildcat
Nov 28, 2008 6:35:12 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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私がこの本を読んだのは、読書メモによると2006年2月です。
私はこの時期、『博士の愛した数式』を文庫本で読んで、 『私の頭の中の消しゴム』をケータイでダウンロードして読んでいます。
『博士の愛した数式』は、その後映画も観に行き、 たいていは原作を生かしきれない映画化が多い中、 これは心底よいと思った1本だったと記憶しています。
さて、同じ時期に似たテーマを持つ2冊を読んだのですが、 悲しさ、せつなさは、圧倒的に「消しゴム」の方でした。
まだ私より若いのに、若年性の認知症で記憶が ほとんどすべて失われてしまうヒロインの姿。
この作品は日記として書かれているため、 最初から予兆があることに読者が先に気づいてしまうのです。
そして、最後にヒロインが取った選択・・・。
読後もしばらく考えさせられました。
一方、「数式」は、交通事故による高次脳機能障害のため 新しいことは80分しか記憶していられない「博士」との日々を その家政婦の女性の視点で描いています。
80分しか記憶できないのは深刻なことですし、 昔のままで時間が止ってしまっていることは当人にとっても 家族にとってもつらいことです。
だけど、そのつらさ、せつなさよりも、 どこかほのぼのとしたユーモラスさが感じられるのです。
どちらも、描かれているのは、 「ある機能が失われてもなお残っているその人らしさ」なのだと 思いました。
そのその人らしさが、「消しゴム」では、 「ヒロインの重大な決断」に結びつき、 「数式」では、「博士の人柄の描写」へと結びついたのです。
深刻なテーマを描きながら、 「数式」がなぜこんなにほのぼのしているのか?
そのときの私は気づいていませんでした。
そして、この本の感想はメモのまま、 投稿されないまま、私の手元に残っていました。
***
ここからは少し私事になります。
また、本の内容に戻りますので、少しだけお付き合いください。
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この本を読んでいた頃、私はまだ彼とは出会っていませんでした。
彼と会ったのは、この半年後だったのです。
出会った時の彼は、すでにもう、うつ病で不眠症でした。
出会った当初は、恋人らしい時間も過ごしたのですが、 彼の病は次第に悪化して行き、 私は彼から何かが零れていくのを ただただ見守ることしかできませんでした。
うつや薬の副作用は、彼から知性、体力、社会生活、 生き物としての基本的な生命維持の気力さえも、 どんどんどんどん奪っていきました。
命の玉がどんどん零れ落ちていくのを なすすべもなく見ているしかできませんでした。
彼からいろいろなものが薄皮のように剥がされていきました。
本来は、時間をかけて失っていくものたちを彼は30代で 一気に脱ぎ捨てていかなければなりませんでした。
彼がどんどん衰えていってしまっていることは悲しかったのですが、 さすがの病気も彼の本質は奪えませんでした。
彼の優しさ、思いやりの心はずっとそのままでした。
彼は、彼の本質を残したまま、子供に還って、旅立ちました。
***
私は、人は年を重ねても、病に倒れても、死の床に瀕していても、 失われない本質を持っているのだと、自分の経験として理解しました。
そして、よく「ありのままを受け入れる」といいますが、 そのときの「そのまま」、「ありのまま」というのは、 「オンステージではないバックヤードの自分」だけではなくて、 「その人の核となる本質」をも含むのではないかと思うに至りました。
それは、「最期まで残る自分」になります。
もし、私がもう一度人を愛するのならば、その人の表層だけではなく、 その核をきちんと見られる人でありたいと思います。
そして、その本質をそのままさらりと受け入れてしまえばきっと、 博士と家政婦とルートが紡いでいたような、 温かい時間がそこに流れるのではないでしょうか。
「ある機能が失われてもなお残っているその人らしさ」について 考えたとき、読書メモは、2年半ぶりにこうやって命を持ったのでした。
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