コメント・書評 |
春で機械な大正時代
SlowBird
Oct 19, 2008 12:13:11 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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作品一つ一つから、軽くて明るいふんわりとした味わいを感じる。肺病で療養中の妻との日々を綴った「春は馬車に乗って」「花園の思想」、妻の気持ち少しでも浮き立たせようとして、世界の明るい方角を見て、暖かな未来を語ろうとすると、たちまちその通りに陰鬱さは消えて花ほころびる風景の裏側に隠れてしまう。悲嘆に暮れる日々であるのに、まるで主人公に接するだけでその周りに春が訪れるようで、あるいは作者が天来で持っている素質のような気がする。 他にも貧しい人々の暮らしを題材にした「火」「笑われた子」なども、シビアな現実を描きながら、どこかほっとするような終わり方をするし、悲劇的な結末の「蠅」「赤い着物」でさえ、流れてゆく日常に呑み込んでくれるような印象をもたらす。「ナポレオンと田虫」も歴史の皮肉でありながら、どこかユーモラスだ。 そういう傾向の延長に「機械」が書かれたのは、特筆すべき事件と言っていいように思う。一介の職人が主人公にしているが、化学工場に雇われた彼は職人気質を持ちながらも、むしろ現代企業における「技術者」のはしりと言える存在に変わっていく。資本主義経済の流れと、新しい技術革新の波に乗りながら、旧来の職人的感性と倫理を持ち合わせ、身に付けた思考能力は新しい時代と古い時代それぞれの人間と、そこに生じる摩擦を観察し、分析する物語となっている。さらに機械や化学物質、新しい種類の人間関係が、彼に対する抑圧となって立ち現れてくる。同様の感覚は「花園の思想」においても、医師の振りかざす最先端医療の技術用語と、主人公や妻との間の空隙としても表れる。いかに人の心が花園を作り出そうとも、それを踏み壊す冷徹な圧力に疲れ果てて「(彼は)今は感情の擦り切れた一個の機械になっているにすぎなかった」という倒錯にまで及んでしまう。ここに作者の人格の中に「春」と「機械」が共存している様子が見て取れるわけで、文学的技法を越えて世界を写し出す才能と言っていいように思う。 そういう傾向から異質なのは「日蝕」で、日本の古代を題材にした、卑弥呼の愛憎と波乱の前半生。まったく想像の世界のお話ではあるが、そうやって古代を描くということに注意深く練られており、つまり古代を文学の題材にすると自体が文学的実験であるいうことに思える。たぶん演劇や映画として演じれば相当に面白いだろう。作品集全体として、作者の豊かな感性が現代にも古代にも発揮されているということでしょうか。
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