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人狩り
連続殺人犯を追いつめろ!
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コメント・書評 |
内外犯罪者ポートレイト比較、なんて企画を思い立ってしまうほど、海外の犯罪者の写真は美しい。でも、殺した人の数は戦時中の帝国軍人並みというのが怖い・・・ていうか、軍人て怖いですね。
みーちゃん
Sep 19, 2008 7:28:26 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★
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コリン・ウィルソンの本が出るたびに、「これって新作?」って思います。旧作の新装版か復刊だろうな、って思いたくなるほどの数です。『アウトサイダー』って書店で見かけたの大分昔だし、あのころ書いていた海外作家は殆ど活動を止めているか亡くなっていることからしても、そう考えるのが普通でしょう。
ところがウィルソンの場合、どうも新作らしいんです。訳者あとがきを読むと、な、なんと、著作120を越えるとあります。立派というか化物っていうか、1931年生まれといいますから75過ぎているのに、少しも筆力に衰えを感じさせません。しかもこの本なんか、483頁もあります。いやはや凄い・・・
さて内容ですが、本を利用させてもらいます。まずカバー後ろの案内は
本書に登場するのは大半が連続殺人犯として既に「有名人」で あり、フリッツ・ラングの映画『M』のモデルになったペー ター・キュルテンや、最近映画になった未解決事件の犯人「ゾ ディアック」(Zodiac)など映画のモデルになった犯人や事件 も珍しくない。さらに、ロバート・レスラーの『FBI心理捜査官』 から援用したプロファイリングの手法、作家ヴァン・ヴォーク トの分類した人間のタイプ、既に『至高体験』(New Pathways in Psychology)で詳細に論じたエイブラハム・マズローの心理 学なども取り上げられ、最近の殺人事件までも取り込んで、著 者の殺人ものの集大成になっている。――「訳者あとがき」より
となっていて、カバー折り返しには
殺人の歴史を研究していて、私はある興味深い点にふと気づいた。殺人の性質は時 代によって変化するということだ。一八世紀の場合、ほとんどの犯罪は動機が物質 にあって、強盗がらみだった。一九世紀後半になると、新しいタイプの犯罪が登 場する。性犯罪である。……一九五〇年代になると、また新しいタイプの犯罪が登 場しはじめる。自尊心による犯罪である。この種の犯罪の一番の誘因は、自分には 大きな力――精力だけでなく、精神力――があるのだと思いたがっている点にある。 FBIの捜査官ロイ・ヘイゼルウッドは「性犯罪の目的はセックスじゃなくて、権 力なんです」と言う…… ニーチェは幸福とは障碍を克服して、力がどんどん強くなるのを実感できることだ と言っている。これこそ連続殺人犯がふつうの人間と共有している基本かもしれな い。あるいは逆に、そういう力を感じられないからこそ、連続殺人犯になるのだろう。
とあります。細かくは最後に目次を写しておくので、そちらを見ていただくとして感想を書きましょう。まず気付くのが、殺人犯たちの写真が沢山載っていることです。犯人たちが見せているのがどれも普通の表情で、中には驚くような好男子もいます。日本の殺人者の多くが「イケメン」と騒がれても、写真を見ればいかにもらしい不潔感を漂わせているのに、まったく違うのです。
例えば180頁に写真が載っているテッド・バンディですが、36件の事件の容疑者とは思えない男前です。39頁に出ているウィリアム・ハインズの写真などは、映画のワンシーンのようで、正直、作為すら感じます。女性では459頁のカーラ・ホモルカ、写真の目つきはともかく美人であることは間違いありません。こういうお姉さんに声をかけられたら、同性の女子学生も危ない気がします。
そういう犯人のものだけに限られているせいかも知れませんが、日本の殺人犯の写真とは余りに違う。これは犯罪者、或はそれを撮影するということに対する当局の姿勢に根本的な違いがあるとしか思えません。顰蹙もののアイデアではありますが日米犯罪者顔写真比較などしてみれば、真実が見えてくるのではないでしょうか。
でも姿かたちは美しくとも、海外の殺人犯、一人あたりの殺人件数が多すぎます。日本で代表的な殺人者といえば帝国軍人が筆頭に上げられますが、彼らは軍人でいるときこそ大量殺人者であっても、日常ではそういう数の事件を起こしません。ところが海外の場合、戦争の感覚を日常に持ち込んでいるとしか思えない。だって50人以上、中には100人以上殺した人間がいるんです。
ただし、そういう生臭い現場の描写や写真は皆無です。写真は犯人を交えた現場検証のものとか、プロのアーティストが撮ったとしか思えないポートレイト風のものばかり。そういう意味で、スプラッター染みた記事や記録を追いかけるマニアの期待に応えるものでは全くありません。むしろ淡々とした文章から、恐るべき殺人の事実だけが浮かび上がる。
でも、私が一番共感を覚えたのは、植松靖夫の訳者あとがきでの一文です。
私のように心神喪失・心神衰弱を理由とする刑の軽減そのものが「救いがたい妄想」としか思えず、「精神分析」などという単なる思いつき(あまりにその基盤が粗雑すぎて学問と呼べるシロモノではないのだから、どの流派の主張も私にはまったく説得力をもたないし、そもそも「精紳分析屋」や精神科医の診断やら精神鑑定そのものが怪しげで信頼しがたいことは既に常識であろう)に存在理由を認めない者には、多重人格を装っただけの犯人を見抜けなかった精紳分析屋の姿を目の当たりにしたり、「ブラッセル博士は当時の精神分析医のご多分に漏れずフロイト派で、手紙の文字の中でWだけが目立っていることに注目した。WはUが二つ並んだ形であり、Uは乳房の形に似ている。博士は爆弾犯が性衝動の強い男性であると推測し、母親とうまくいっていないものと見た。さらに映画館の爆弾はWの形に切り裂いた座部に仕掛けられていたことにも注目し、ここにも性的な意味があると考えた」などという条りに遭遇したりすると、悪い冗談としか思えず、むしろこんな幼稚な説明を恥ずかしいとも思わずにできる精神構造に疑問が湧く。
と、いかわが国のテレビタレント化した大学の犯罪心理学科の教授やマスコミ批判になっていくのですが、まさにその通りでしょう。フロイト派もふくめた精神分析は科学でもなんでもない文学でしかないし、耳に入りやすいけれども、それと真実の間には大きな乖離があると私は思っています。
ただし、その威力を発揮したとウィルソンが評価するプロファイリングも、所詮は統計を扱った文学ではないかと私は思いますが、皆さんはどう感じるでしょう。それと、本が出るまでは取材と称し犯罪者と付き合い、出版が終わればもう用がないから付き合わなくてもいい、といったウィルソンの発言は、この作者の本質を現しているようで考えさせられます。
最後になりましたがカバー写真は、実際の現場のものらしく本文471頁にも注無しで出ています。内容に相応しい装幀は桂川 潤。 |
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