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何も持たず存在するということ
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コメント・書評 |
飾らない、繕わない。
求羅
Jul 28, 2008 8:56:57 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★
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角田光代さんの最新エッセイ集。 小説と違ってエッセイの場合、「さん」づけで呼ぶほうがしっくりくる。エッセイと一口に言っても、文章の美しさに惚れ惚れするもの、思わず笑ってしまうもの、視点の鋭さに唸ってしまうものなどさまざまあるが、角田さんのそれは、とても近しい感じがするのである。 小説を書いたことなどなく、一人旅をするわけでもなく、ましてや同世代でもない。共通点を探す方が難しいというのに、不思議と彼女の文章には共感できる。同じ目線の高さが、心地良い。 彼女のエッセイはほんとうに庶民的で、ものごとの捉え方も書く文章もごく普通である。ただ、「普通でいる」ということは、案外難しいのではないだろうか。
以前友だちと、「メールだと、必要以上に格好よく書いてしまう」という話になった。 近況(といっても、しょっちゅう顔をあわせている)やら悩み事やらを書いて送った文章を後で読み直してみると、「私って、こんなに格好よかったっけ」と、自分で自分にびっくりすることがある。会って話せば、脈絡のない話を行きつ戻りつし、情けない姿をさらけ出してお開きになるのが常だが、メールで伝えると、妙にかしこまってことさら自分を大きく見せてしまう。推敲して書いた文章はたしかに分かりやすいが、実像よりドラマ性に富んだ姿がそこにある。
人、とりわけ文章を書き慣れている人ほど、豊富な語彙や技巧を駆使して言葉を飾る傾向があるように思う。少し誇張したり脚色を加えたりしながら、文章を紡ぎ出す。それが「書く」ということなのかもしれないが、衒いのない素直な文章を書ける人を、私は単純に尊敬してしまう。 角田さんの文章やエッセイの中の彼女は、いたって普通である。機内で出る中途半端な日本食をマズイと言い、失礼な訪問者にムッとし、支えてくれた人たちに心から感謝する。けれど、飾らず、繕わず、等身大の姿をありのままに表現できるというのは、その平凡な響きとは裏腹に、じつは凄いことなのではないか。
かつて言葉を発するより文章を書くことを得意とした少女は、作家となり、書けない悔しさを知る。 ――小説を書くということは、心底「負けた」と思い知るところから、ようやくはじめられる何ごとかなのではないかと私は思う。―― 角田さんの文章がまっすぐ心に届くのは、彼女が驚くほど慎重に、峻厳な姿勢で書く行為と向き合っているからこそ、なのかもしれない。 |
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