コメント・書評 |
「私」小説が、ついに文庫になった
塩津計
Apr 20, 2008 11:22:50 AM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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これほど作者が自分だけの為に書いた本というのも珍しい。とにかく読者の共感を得ようなんて、著者ははなから考えてなんかいないのではないか。本書を書いた目的はただひとつ。東京教育大附属駒場中学校・高等学校(現筑波大附属駒場中学校・高等学校)という進学校に入学して「全能感」に囚われた、ある「秀才くん」の「栄光と挫折」の物語である。ここで注意しなければならないのは、1965年当時のことを考えると、この「教駒」は必ずしも今の筑駒ほどは高偏差値の超進学校ではなかったことに注意が必要。教駒、麻布は確かに進学校ではあったが、進学実績からいうと東京都立日比谷、戸山、西、新宿、小石川といった名門都立進学高校の敵ではなかったのである。麻布・教駒のような中学入試組はあくまで傍流であって、主流は都立進学校へ表玄関から進学した人々なのである。ちなみにこの当時、開成や灘は、まだ「進学校」と呼べるほどの体をなしていなかった。だから不思議なのは、当時の教駒にはいっただけで、当時の少年達が、あたかも天下をとったかのごとき全能感に浸っているようすなのである。日比谷に合格して全能感にひたりきる庄司薫と、教駒に合格しただけで(しかも中学)全能感に浸る四方田君とでは、どうも座標がかなり違うようなのだが、それそれ、四方田君の世界は、そういうものなのであったのだろう。
本書を読んでつくづく思うのは「秀才たちの限界」である。私は秀才の本分は「知識を要領よく吸収して要領よく吐き出せる人」と定義している。これは一種の特技ではあるが、これが出来たからといって「人類の上位5%に入る」わけではないこと、甲子園で優勝した野球選手が「人類の上位5%」に入らないことと同じなのである。私が敬愛するデイビッド・ハルバースタム氏はその著書で政治家にとって必要な資質は「グロートンだの、ハーヴァードだのイエールだのを卒業した秀才だけでは駄目で、実社会での苦労を通じて獲得した『知恵=Wisdom』こそが重要なのだ」と繰り返し繰り返し強調し、思い上がった秀才たちが歴史上犯した大失敗(マクナマラ、マッカーサーなど)を糾弾してやまない。本書に出てくる四方田君は、ハルバースタムに言わせれば、まさに「知識はあっても知恵は無い」ということになる。何しろ当時「流行」だった共産主義に安々と絡め取られ、自民党政府を糾弾したりしてしまうのだから。四方田君や彼の周囲にいる秀才君たちには、当時の日本が成し遂げつつあった偉大なる高度経済成長の歴史的意義がまるで見えていないし、当時の冷戦構造の中で日本がアメリカと日米安保条約を結び日本政府が自らを「反共の砦」と位置づけた外交選択が如何に賢明な選択であったかも、まるで見えていない。さらには共産主義陣営の実体が如何に悲惨なもので、とりわけ当時現在進行中だった中国における文化大革命や大躍進政策というのが、如何に悲惨な「中華民族の自殺行為にもにた血で血を洗う凄惨な大殺戮」であったかも全く見えていないのである。そうだ、そうなのだ。秀才とは所詮、この程度のものなのだ。私は彼ら四方田君らを、だからと言って攻める気には必ずしもなれないのは、彼らは所詮「秀才の集まりに過ぎなかった」ことが本書を通じて確認できたからなのである。彼らは確かに早熟な秀才だった。年齢の割りに膨大な知識を要領よく吸収してはいた。でもそれは所詮「朝日新聞」や「世界」に書いてあった「流行の知識」の口パクでしかないのであって、今現在世界で起きている本当のことは全く彼らの目には見えていなかったのである。
今、私は野口悠紀雄が書いた『戦後日本経済史』を読み終えたところだが、この本には四方田君ら「秀才達の成れの果て」がその後「日本最高の職場」たる大蔵省、日本興業銀行、日本長期信用銀行に就職したがいいが、日本を取り巻く環境の変化が全く見えず(あるいはその変化を見ようとせず)、旧来の方式にしがみついて全員没落して行くさまが、余すところ無く描かれている。彼らの没落して行くさまは、かのの成功体験の虜となってそれがゆえに国家をまるごと焼け野原にして国そのものを一旦滅ぼしてしまった旧日本帝国陸軍海軍の「秀才たち」と二重写しである。昨今、こうした日本を取り巻く環境の変化に遅ればせながら追いつこうと日本を変えようという変革の動きがようやくで始めているが、これが出来ない愚か者達は、こうした変革の動きにたいし「新自由主義」などという「あさってのレッテル」を貼って、これを誹謗し、揶揄し、止めようと抵抗を始めている。「世界が見えない」ことは秀才の宿命なのかもしれない。それはいいとしよう。それを克服する唯一の手段は「学歴競争に勝った」という「過去の成功体験」の虜とならず、「自分だけが答えを知っている」などと思い上がらずひたすら現実を直視することなのではないかと私は思い始めている。 |
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