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沢木耕太郎ノンフィクション
7
1960
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コメント・書評 |
三十年めの『危機の宰相』
夏の雨
Mar 28, 2008 6:38:51 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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本を読む動機は人により、あるいは日常の場面において様々である。私という個人においても、ある本は広告により喚起され、またある本は好きな書き手だから、と特定されるものではない。沢木耕太郎のこの本(『危機の宰相』)の場合、かなり強く意識して辿りついた一冊といえる。この本を強く読みたいと思ったのには理由がある。それは、現在の政治状況の貧弱さを思い、自分なりの物事の整理の仕方を行いたかったこととして、確か沢木の著作の中に「危機」という単語に修飾される「宰相」というものがあったことを思い出したことである。沢木の作品はほとんど読んできたから、沢木がどのような書き手であるかある程度は理解しているつもりである。その沢木と「宰相」とは、私の中ではあまり相容れない組み合わせであり、そえゆえにその彼が、「宰相」をどのように表現しているかを知りたかった。単行本にならなかった沢木の長編ということで、題名だけがあり、その内容について私には事前の情報は皆無に近かった。ただ『危機の宰相』という書名だけが、この本を読む動機であった。 この長編が「文藝春秋」(1977年7月号)に掲載された際のサブタイトルは「池田政治と福田政治」(ここでいう福田というのは現首相の福田康夫の父福田赳夫である)というから、私が現在の政治状況下(つまり福田康夫政権下における政治の混沌と絶望感)で選択した本としては、妙に符号があった感じがする。もっともこの作品の中では、もっぱら池田政権のことが語られているだけで、福田赳夫政権はほとんど語られていないので読者は誤解しない方がいいとした上で。 沢木の初期の多くの作品が、その「人物描写」において圧倒的な表現力をもっていたように、この作品においても一九六〇年代前半の宰相として強い印象を残した池田勇人を中心に、彼とともに<所得倍増論>を展開した人々の活写は魅力あるものだ。しかし、この著作では沢木が描こうとしたものは<所得倍増>を求めた時代の空気のようなものであり、同時にそういう時代へ誘導しようとした政治であった。いや、沢木は池田なりその周辺の人物をもっと描きたかったのかもしれないが、それ以上に政治という磁力が強い時代であったというべきかもしれない。そういう意味で、この作品を書いた沢木にとっては未消化すぎる題材であったといえる。 沢木のことはともかくとして、読む動機であった現在の政治状況の整理にこの本が役立ったかといえば、少なくとも池田政権に関する次のような記述は今の政治状況から全く忘れされたものという理解、あるいは認識をもてたといえる。「保守、少なくとも池田勇人とその周辺には来たるべき時代を見通すひとつの歴史感があったことが理解できる。歴史観というのが大袈裟ならば、日本を動かしていく時代の流れを察知し、その未来を構想する能力があった。少なくとも、池田とその周辺には確実に一九六〇年代への構想力があった」。まさに現在「危機の宰相」ともいうべき福田康夫にあって、「未来を構想する能力」があるか、その力なくして国民を次の時代へと導くことはできうるか。それが政治不信を招いているおおもとではないか。そういう点では(今の時代を看過して沢木がこの作品を書いたのではないとしても)、三十年めにして一読の価値をもった幸福な一冊であるといえる。
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