コメント・書評 |
何にもない良さを語るのはとてもたいへんである。
ばー
Mar 14, 2008 1:35:00 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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庄野は、昭和29年(1954年)に本収録作『プールサイド小景』で第32回芥川賞を受賞。 収録作は、表題『プールサイド小景』、『静物』をはじめ、他に『舞踏』、『相客』、『五人の男』、『イタリア風』、『蟹』、など計七編。
庄野潤三というと、続けて小島信夫、安岡章太郎、吉岡淳之介、と続けて連鎖が私の中では形成されていて、ああいいなあ、ここらへんの時代の小説は、たまらん、などとついつい気づけばこの時代の人達の小説に還っていて、その還りからまた新しい読書のリズムを刻みだすきっかけになるのですが、「なんで私はこんなにもこの人たちに惹かれるのだろう」などと前々から思っていて、ノスタルジーでもないし(私がまだ生まれてない)、個人的にその作家が好きというわけでもないのに、なぜか惹かれてしまう。好む理由がいつまでたっても分からない。
七編の短編が収められているが、それらの作品の特徴として考えられるのが、よく言われているが「平穏な日常の危うさ」がまず一つ。これは全ての作品に共通していると言っていい。『舞踏』での夫の浮気、『プールサイド小景』での夫の突然の解雇、そして告げられる愛人の存在。 なんでもない日常を、あくまでも私小説的に描きながらも、「すこし」壊す。絵画の青空にサッとグレイで曇り空を表現するように。庄野の描く不安の影は、本当に、ほんの少し。主観的で申し訳ないのだが、その不安の広がり方は、「じわじわ」でもなく、「ずん」でもなく、「サッ」なのである。平穏で、それこそ模範的な文章の中に、不安が一瞬、ある。そしてそれでいて、文章全体の不安と平穏のバランスはどちらにも揺るがない。
もう一つ。
先程、「私小説」と書いたが、庄野の作品は、おそらく彼の体験、彼の歴史を下敷きにしている。だから、この一冊に収められている全ての作品は、それぞれが関連している(ように見える)。頭から順番に読んでいき、最後の『静物』という断片で形成された小説を読むと、『静物』が、それまでの作品全てを補っているように感じる。つまり、『静物』にはそれまでの短編のエピソードが「すこし」変えられて含まれている。意図的かどうかは分からないが、なんだか、この一冊で、一つの物語が浮かんでくるようで、面白く感じた(まあ、気のせいかもしれないが)。
最後にもう一つ。
物語の視点が物語外の第三者に任されていることからも、庄野の描く小説の世界は、常に客観的であることが求められている。だから平穏も不安もそれほど深刻にならないのかもしれない。 だから安全であり、読みやすい、とも言える。客観を創り出すことで、静寂さを作っている。 だけども、なんでもない事柄(事件、家庭など)を自身から突き放すことで生まれる、なんでもないけどちょっと影のある物語に、なぜか惹かれてしまう。 これが本当になんでもない物語で、本当にさらっと読んですぐ忘れてしまうような物語だったらこうまで惹かれない。
最近では、保坂和志を読んでもこういう感情が湧くのだけれど、安全な物語であるのに、それだけでは済まされない何かがあるように思えて仕方ない。 自分でも説明できないことを文章化するのは至極困難だけど、なんだろうなあ。静寂だから良いでもなく、静寂なのに良いでもなく、文章がきれいだからでもなく…。ほぼ出来事がゼロに等しい「なんにもない良さ」なのかな。こういうジャンルは確実に存在しているのは確かだと思う。
ものすごく良いんだけど、説得力のある言葉を書けないのが残念。庄野潤三、グッドです。
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