コメント・書評 |
ジョウントできても虎ではない
消息子
Mar 12, 2008 5:08:01 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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アルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』はもはや半世紀前の作品で、文庫版が出た頃に読んだのだろうから、30年ぶりくらいの再読なのだが、読む側の年齢差から来る印象の違いもさることながら、まったく時代を越えたインパクトのあることを痛感した。当時、ショッキングに感じたところはそれほどでもなく、多義的な結末は現在の方が楽しめた。 正直、マンガ的である。褒め言葉ととっていただいても、貶し文句ととっていただいても構わない。実に『ゴーレム100』とそのあたりは一貫している。コミックスの原作を務めたキャリアが生きているのだろうが、それが発表当時は斬新で、今はいささか陳腐、というわけでもなく、時代的な制約を飛び越えてしまっている。ジョウントなる名称で呼ばれるテレポテーションが超能力ではなく、普通の能力として訓練によって習得可能となった社会などという設定にしてからが。 『モンテ・クリスト伯』に想を得た復讐譚。宇宙で難破したガリー・フォイルは宇宙船ヴォーガに見捨てられ、復讐を誓い、惨めな生き物であることを辞める。知力と財力をつけ、「虎」と化す。「虎よ、虎よ!」とはブレイクの詩の引用だが、万人が超能力者というこの話の中でさらにそれを越えるのが「虎」であり、どこかニーチェを思わせる物言いだ。それとともに顔に彫り込まれた入れ墨を消したはずが、怒りとともに虎のように浮き出ることも虎の謂いである。そして「虎」と化したガリー・フォイルは他の「虎」たち、この世界の有力者たちとまみえるのだ。しかし、このお話の肝要は野獣のガリーが人間になることである。そのあたりの教養小説的な真面目さが、マンガ的荒唐無稽さを緩和して、ある迫力を生み出しているのだが、ベスターの本質はそこではない、と今回思った。彼の本質は雑多さ(猥雑と悪趣味といってもいい)であり、あちらこちらへとジョウントしてしまうことなのだ。 |
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