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中村屋のボース
インド独立運動と近代日本のアジア主義
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コメント・書評 |
日本に帰化したあるインド解放運動家の伝記
あわ はちすけ
Sep 19, 2007 11:05:53 AM
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評価 ( ★マーク )
★★★★
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20世紀初頭は帝国主義国家が覇権を争う時代であった。当然帝国はその本質上植民地や植民地化を競う。西洋列強による中国への侵略、ロシアの中国東北部への進出、フランス、オランダのインドシナ半島の制圧、またロシアへの防衛本能から帝国主義化して獲得した日本の朝鮮半島支配。そしてこの本の主人公の故国、英国領インドの実態などである。
そんな歴史的背景のもと大正から戦前の昭和にかけて一人のインド解放運動家が日本での活動を展開する。その終始一貫した故国の植民地解放に対する情熱と行動力が当時の日本の政治、軍事風土や社会とどう交わったのか?それがこの著書のテーマである。内容的にはラース・ビハリー・ボースの伝記であるが著者は彼を通じて当時における日本の精神的風土の一端を浮かび上がらせる意図を表明している。それは玄洋社や猶存社のいわゆる帝国主義的打算の西洋列強主義ではない精神的なアジア主義者達の実態をである。
主人公R.B.ボースは1886年(明治19年)にカルカッタ近郊に生まれ15歳で反英独立運動に目覚める。26歳のときインド総督爆殺計画を実行してイギリス系官憲に追われる身に。その結果1915年(大正4年)危うく日本へ脱出。来日まもなく孫文や頭山満に会い玄洋社や黒龍会の庇護を受けるようになる。しかし英国外務省の追及は厳しく国外退去命令によって窮地に陥るがここで新宿「中村屋」の相馬夫婦の助けによって一時地下生活へ。その縁で相馬の娘俊子と結婚、日本に永住を決心(大正7)、やがて1922(大正12)年帰化する。後に中村屋の「インドカリー」をつくり当たる。
大正12年頃から言論活動を開始、徐々に知名度と交友範囲を広げインド解放運動への啓蒙とともにオピニオンリーダーとしての地位を築いてゆくが昭和5年の「満州事変」辺りから日本軍部の侵略性をインド独立の手段として利用する言辞が目立つようになる。
昭和16年「大東亜戦争」が勃発すると大東亜共栄圏内のインドという主張から日本軍のインドシナ侵攻作戦に便乗してインドの反英独立戦争を組織する為にバンコックへ。しかし日本の傀儡という烙印を押されチャンドラ・ボースと代表を交代。病に倒れ終戦の年(1945年)日本在住30年にして58歳で亡くなる。
ボースの波乱にとんだ生涯は大英帝国からの故国インドの独立、開放という目的にすべて捧げられた。英国を打倒する為には同じアジアを虐げている日本の軍部や政治家、アジア主義者と手を結ぶことも躊躇しなかった。特に晩年は英国を倒するのならヒトラーやナチスも礼賛した。この宗主国打倒のためには手段を選ばない強引さと思考上の矛盾のためにインド国民会議派のネルーなどからは日本の傀儡と批判される。
著者はそんなボースやそれを取りまく日本の「大東亜共営圏」や「八紘一宇」のプロパガンダを推進する勢力を批判的に捉えながらも全否定する危険とボースが持っていた西欧近代主義に対する精神的なアジア主義の中に共感するものを見出そうとしている。ボースが亡くなって62年、大戦後の中国、韓国、東南アジア諸国、インドなど当時の搾取されていた諸国は一応独立を果たした。しかしボースが望んでいたような西欧近代主義を包摂するような宗教的意味も含めたアジアからの世界観という理想が実現しているだろうか。「アジア的」とは何か?今後とも問われる問題でありその啓蒙の一冊としても面白い。
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