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ほとんど記憶のない女
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コメント・書評 |
圧縮された豊穣な物語
コモンセンス
Dec 7, 2005 6:29:39 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★
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リディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』(岸本佐和子訳、白水社)には51の短篇小説が収められている。本文が190頁足らずの本なので、一つ一つの話はとても短い。超短篇小説といった方がいいだろう。しかし、そこには豊穣な物語が含まれている。たとえば、冒頭の「十三人めの女」は一頁わずか八行の作品である。 「十二人の女が住む街に、十三人めの女がいた。誰も彼女の存在を認めようとしなかった。手紙は彼女に届けられず、誰も彼女のことを語らず、誰も彼女のことを訊ねず、誰も彼女にパンを売らず、誰も彼女から物を買わず、誰も彼女と目を合わさず、誰も彼女の扉を叩かなかった。雨は彼女の上に降らず、陽は彼女の上に射さず、夕暮れは彼女に訪れず、夜は彼女を包まなかった。週は彼女の上を通りすぎず、年は彼女の上に明け暮れなかった。彼女の家に住所はなく、彼女の庭の草は刈られず、彼女の庭の小径は歩かれず、彼女の寝床は眠られず、彼女の食事は食べられず、彼女の服は着られなかった。そういったことのすべてにもかかわらず、彼女は人々の仕打ちを恨みもせず、その街に住みつづけた。」 最後のワンセンテンスがすごい。「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲」(佐々木信綱)の「ひとひらの雲」みたいに、すべての叙述が最後の一言のために、それに向かって整然と配置されているという感じ。「十三人め」というのが、イエス・キリストの十三人の使途のひとり、イスカリオテのユダを連想させることはいうまでもない。完全なる黙殺。いまふうに言えば、究極のいじめ。しかし、「そういったことのすべてにもかかわらず、彼女は人々の仕打ちを恨みもせず、その街に住みつづけた。」このワンセンテンスで、彼女の裏切り者のイメージは払拭され、いや、むしろ事態は逆転し、彼女は聖人の様相を帯びてくるのだ。 |
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