コメント・書評 |
英国ファンタジーの祖による、物悲しくもいとおしい物語。北風の妖精に誘われ、この世ならぬ場所に行って戻った少年の成し得た「善」、生き得た「生」。
中村びわ
Oct 16, 2005 5:23:35 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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これはどうしようもないことだとは思うのだが、世のなかには「薄幸」としか人の目には映らない人がいる。身内のトラブルに巻き込まれながら愛憎の裏おもてに翻弄され、すっかり神経をすり減らしたところを病に襲われる。したところが心の支えにしていた人との別離を余儀なくされる。 こう書き出しているだけでも何か残酷な気がするが、人のそういう目に付き合って下手な口出しをあれやこれやとするよりは、そっとしておいた方が良いようにも思われ、何となく距離を置いてしまう。それが優しい選択なのだと自分に言い聞かせるわけだが、実のところ、自分がそうした不幸に感化されないようにという利己心が働いているという自覚もある。しかしながら、「薄幸」はあくまで他者から見たときの印象に過ぎない。なぜなら、「幸福」は点数で評価されたり、勝ち負けを判定する対象ではないからだ。 「薄幸」に見える人の「幸福」は、その人の身の内に宿っている。現在がたとえ波瀾万丈であったとしても、本人は幼い日、母親に存分に愛された記憶をいつまでも大切に暖かなものとして心に持ちつづけているかもしれない。あるいは、ベランダの鉢に育つ小さな草花のみどりに、日々何とも言えない充実を感じているかもしれない。幸福とは誇示されるべきものではなく誰かに認めさせるものでもなく、他者のうかがい知れない場所を満たす何ものかなのだろう。 本書『北風のうしろの国』は、貧しい少年と美しい女性の姿で現れる「北風」との交流を描いた物語で、英国幻想文学の祖と言われるジョージ・マクドナルドの作。英国児童文学の源流とも言われるため、若い日に子どもの本について知る目的で読んだことがあるのだが、「何やら物悲しいお話」程度の感想で、その時は留まってしまった。 こうして短くはない時を置いて、新しい装いの本を、まるで初めて読む小説のように読んでみると、ここには「薄幸」にしか見えないけれども実は「幸福」にくるまれているのではないかと思える少年の生が描かれている。そのことに胸を衝かれる。 マクドナルドの最高傑作との誉れ高い『リリス』ちくま版解説で、故・矢川澄子が引いている言葉——そこにやはり私も立ち止まった。 ——寒いのは北風と一緒でなく、北風と一緒でいないからなのに(21-22P) 北風は身を暖かく守るすべを持たない貧しい人びとに襲いかかって震え上がらせ、また、勢力を増して災いをもたらす。それは人の人生設計や野心を狂わせたり、命を奪う行為にもつながる。だが、そのような北風に選ばれ、魅了され、到来を待ちかねる少年ダイアモンドは、他の人間のように北風をまがまがしいものとは考えない。北風と共にあるということが「薄幸」に見え、それでいながら本人にとっては「幸福」という、うまく説明し切れない状態が描かれた不思議な物語である。 11人ものたいそうな子持ちであったマクドナルドは、あるいは、同じ自分の子として生れながらも、11人各々に驚くほどの個性の差異があることを感じて暮らしていたのだろう。そして、幸不幸の量が均等ではないことを切実なものに感じていたかもしれない。中には長く生きられない子もいて、北風のうしろにある、この世ではない国を想像したのかもしれない。 少年と北風の交流が描かれる最初の部分と最後の部分にはさまれ、物語はしばらく夢想世界的なファンタジーから遠ざかる。そこでは、産業革命期のロンドンで馬車の御者を生業とするダイアモンドの一家の暮らしぶりを中心に、上流階級と下層階級で成り立つ社会が表されている。北風が連れ出す世界と対照を成すように、病気で床に伏せた父親に代りけなげに働く少年の奮闘がいきいき書かれている。本を閉じても、少年のことを昔知っていたかのように鮮明に感じられるのは、「北風のむこう」以上に「北風のこちら」が念入りに描かれていたからだと知る。 |
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