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静かなノモンハン
講談社文芸文庫
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コメント・書評 |
伊藤桂一さんというと、この詩を思い浮べます。
和田浦海岸
Aug 16, 2005 12:22:43 AM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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私は靖国神社の参拝をしたことがありません。 しようと思っているのですが、いまだ参拝してはおりません。 ところで、私は地方に住んでおります。 町にはところどころに神社があります。 神社には近隣町村どこでも日露戦争記念碑と忠魂碑とがあります。 さて、今年 伊藤桂一著「静かなノモンハン」が文庫で新しくなりました。司馬遼太郎・伊藤桂一の対談も、前と同様この文庫に入っているようです。この対談はこうはじまっております。 「司馬:伊藤さんがお書きになった兵士たちは、無告の、自分自身では世間に訴える言葉を持っていない人々ですね。それは、どういう心づもりではじめられたのですか」 無告の兵士といえば、伊藤桂一さんには「桜」という詩があることを思い浮かべます。 桜 天神山へ桜を見に行った 山口県都濃郡久米村の天神山へ ただ単に桜を見るために出かけた 天神山の桜の中に立つと 眼下に一列になって久米尋常高等小学校へ通う子供らの中に 小学五年の小生の姿もみえる おおい と呼びかけたい懐かしさだ その行列の中のテルヒコ ノブオ シゲオ スエキチも みんな戦争で死んで 天神山の頂の忠魂碑に祀られてしまった 七十を超えた小生ひとりがいま桜ふぶきの中で涙ぐむ 小生が天神山の桜をなぜ見に来たかを 天神山の桜だけが知っている もはや人に何を語ることも煩わしい 春のひと日 衝撃的に わがうちなる少年に桜ふぶきを浴びせたくなってやってきたのだ さて、司馬さんとの対談で伊藤桂一さんは この小説を「ここに出てくることは、フィクションはないんです」と語っておりました。 司馬さんは「経験しない世代だと、普通わかり切っていることがわからないですね。たしかに一から丁寧に説明しなければならないしんどさがあります」と語っておりました。その司馬さんはノモンハンについて「しかし、死ぬまで書くことがないかもしれません」と、ここでも断っておりました。 「もはや人に何を語ることも煩わしい」と詩にした伊藤桂一氏は 対談で 「ぼくの場合、たまたま自分が生き残ったものですから。責任とか使命感とかいったものに、どうしても律しられますね」 と小説のことを語っておりました。 もうこの小説を古典と呼んでもいいのでしょうね。 注:詩については、土曜美術社「日本現代詩文庫 新編伊藤桂一詩集」が手頃です。引用の詩「桜」も、これに収録されております。 |
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