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桓武天皇
平安の覇王
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コメント・書評 |
「聖王」を志し「平安の覇王」と称された桓武天皇の生涯
まざあぐうす
Oct 29, 2004 4:34:00 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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日本の歴史を学び直したいと思っていた矢先に出会った一冊。 桓武天皇は、平安京を築いた天皇として名前だけは記憶していたが、その生涯については全く知識がなかった。たまたま出会った一冊であるが、日本史を再考する上で良いきっかけとなりそうだ。
天智天皇直系の皇族の末席に置かれた無能な父を持ち、百済系の渡来人の血を引く母の元に育ちながら皇位に就くことができた桓武天皇(山部王)の生涯を描く歴史小説。
石ばしる垂水の上の早蕨の萌え出づる春になりにけるかも
天智天皇の息子である志貴皇子の和歌が冒頭に添えられていて情緒を醸し出している。
二つの点で、興味をそそった。 一つは、著者である三田誠広さんが、山部王が皇位についてからの輝かしい時代よりも無位無冠の時代に筆を多く尽くしている点だ。もう一点は、藤原仲麻呂、道鏡、最澄や空海など個性的な人物との関わりの中で、一貫して、[儒学の王道を求めた山部王/桓武天皇の姿]を筆者が綴っている点である。 山部王の儒学の学びには、母である新笠のただならぬ思いが込められている。仏教が隆盛の時代に、国を救うのは儒学と信じ、無位無冠の時代から儒学を学び続けた山部王は、「兵法で世を制圧するのは覇王の業、聖王は仁義によって国を治める。武力ではなく、義と智によって、乱れた世に、新たな秩序を築かなくてはならない」ということを肝に銘じて育って来た。時代の流れの中で、図らずも皇位に就いた山部王であったが、皇位に就くまでの長い無位無冠の時代に、儒学の素養が着々と積み上げられていたのだ。 百済王敬福の娘である明信との叶わぬ恋、仲麻呂や道鏡の活躍する世において、出世へのあきらめに似た気持ちも細やかに綴られている。 史実としては、「平安の覇王」と称される桓武天皇ではあるが、志したものは、あくまでも「聖王」であったのだろう。皇位に就いてから、聖王の道を貫くことは困難であり、その道をはずれることもしばしばであったが、桓武天皇はあくまでも仁義を尽くそうと努めている。 縁があって、明信を再び傍に置き、仲睦まじく晩年を迎えていることも桓武天皇の初志貫徹の人柄を偲ばせる。 万葉集の編者である大伴家持が、旧貴族の長老として、狡猾な人間として小説に登場することが、短歌を学ぶ身にとっては、いささか辛い史実であったが、次の時代を担う最澄、空海との関わりの中で、教義を重んじる最澄よりも、民に生きる望みを与えることができる仏教の教えを説く空海を評価している桓武天皇に好感を抱いた。
空海が語る「言葉にして語られたものはすでに虚しい。最も奥深き空の達磨(真理)は、言葉にすることはできぬ」という言葉や「死者を弔い魂を鎮めるだけが仏教ではない。民を励まし、国を築くものが、まことの仏の教えなのだ」という言葉に力強さを感じた。 桓武天皇を学んだ次は、空海を学びたいと思って閉じた一冊である。
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