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ふたりジャネット
奇想コレクション
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コメント・書評 |
ある日クマさんに
ぼこにゃん
May 4, 2004 2:02:00 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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貰い損ねた形見の品がある。祖母のブローチ。今時「ブローチ」という言葉自体もかなり懐かしい感じになっているのだが、好みのうるさい祖母が珍しく気に入って愛用していた品で、安くはないが高くもない、まあそこそこのものだったらしく、なぜか「その時が来たら」私にくれる約束となったものの、しかし貰う側としては「その時が来たら」の話はしづらいもので、「それでは気長にお待ちしております」などと軽口を叩いたあのブローチである。それから数年経って実際に「その時」が来てみるとそんなことは思い出す余裕もなく、ようやく心が落ち着いた頃になって「そう言えばあんなことがあったっけな」などと思い返すのだが、母さん、僕のあのブローチ、どうしたでせうね。 ビッスンという作家は名前すら知らなかったのだが、奇想天外な着想と、それでいてホンワリした暖かさとにえらく魅了されてしまった。この話は一体どこへ進んで行くのだろう、と考えながら読み進み、この話は一体どこへ到着したのだろう、という感じで読み終えた作品がいくつかあって、『熊が火を発見する』もそのひとつ。しかしこのほのぼのと染み渡る読後感はただごとではない。 中心になる人物は語り手であるややウダツのあがらない中年男、その老母および甥、そして焚き火好きのクマたちであり、その全員がどこかしら孤独の陰を内に秘めながら、しかしそれを表に晒すことはせず黙々と日々の暮らしを営んでおり、それらのいくつかの孤独が重なり合ってなんとも美しいクライマックスを迎えるのだ。『上品なランズデール』とでも言おうか、軽妙にして上質な文体で物語はサラサラと運ばれて行き、登場人物たちはそれぞれの哀しみを抱きやがてほぼ何事もなかったようにまたもとの日々へ戻るのだが、胸の奥底にほのかなヌクモリの記憶が刻まれている。うるわしいではないか。 子供の頃などはよく、その意味するところも知らないままあらゆる対象(友情、将来、恋愛、嗜好など)に永続性を求めたりしがちであるが、年をとると反対に、終わりゆくこと、消えゆくものの価値が少し分かるようになった気がするもので、それは一見淋しいことのようにも思われるけれど、やはり人生の途上で習得したかけがえのない指針なのかも知れない。生き物は出会って惹かれ合い、接近し、かりそめのゲマインシャフトを構成して、それから時空の移動その他条件の変動に伴って、美しいリボンがするりとほどけるようにゆるゆると離れて行く。実にさりげなく、また消極的なかかわりではあるのだが、そこに熱烈な関係にはない柔らかさと優雅さを感じるのだ。これもまた、そんな淡い寂寥をユーモラスな語り口に包み(最後のほうの「一緒に火を囲んでいるうちにクマがそわそわし始めた」という下りがたまらなくおかしい)、微妙なさじ加減で味付けしたお菓子を味わうような物語なのだと思う。 たぶん大切なものは消え行くリボンの、あのひらひらと定まらない姿の記憶なのであって、だから本当のところは形見の品などいらないのだ。 |
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