コメント・書評 |
恋文よりも罪な深い愛情の告白。肌を触れ合うことのない男女の関係ほどディープなものもないという気がする。
中村びわ(JPIC読書アドバイザー)
Apr 8, 2001 9:14:00 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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不世出の脚本家・向田邦子が52歳の若さで客死したのが1981年のこと。おいおい、もう20年たったのかと驚いてしまう。 私の母親の世代(皇后美智子さまの世代)が吉屋信子の小説をなつかしがっているのが私世代(皇太子浩宮さまの世代)にはピンとこないように、あの辛口の山本夏彦氏が手放しでほめた向田邦子のドラマや小説も、30代前半ぐらいより下の人にはピンとこないのだ、きっと…と思うと、もったいないなくて仕方ない。
でも、古き良き昭和をなつかしめるのも私世代ぐらいが最後なのだと思うと、いたしかたない気もする。つまり、裸電球で照らされない天井のすみにいるお化けを怖がり、妹をおんぶひもで結わえつけた母親が洗濯板でおしめを洗っていた記憶があり、ほどいた父のセーターで編まれたベストを着たことがあり、たまに食卓に登場するイチゴやメロンに声を上げて大喜びした世代。
「ちびまる子ちゃん」が命脈を保っているが、まだ物があふれていなかった日本には、男にも女にも親にも子にも美意識があった。それゆえの切なさがあった。私の親の世代には、尚いっそうのこと…。それをテレビで見事に再現したのが、脚本家・向田邦子であり、プロデューサー・久世光彦であったのだ。
この本は向田邦子と長年いっしょに過ごした久世氏が、彼女の魅力について極めて私的に、その意味で余すところなく描ききった美しいエッセイだ。 久世光彦さんの書く文章は、短い書評ひとつにしても、どこか艶っぽくやるせないものが香り立つ感じがして私は好きなのだけれど、この本ほど妖しいまでの色香に満ちた文章もないのではないかと思った。
二人して漱石が好きで、無人島に持っていく1冊の本に「猫」を挙げていた。爪を深く切るくせが同じ。カレーライスでなくライスカレーという年代で、育った家庭環境が似ている。 毎晩のように話をして、彼女の住まいを訪ねて泊まったこともある。そのくせ、原稿書きで凝った肩をもんだこともなく、洋服についたゴミを取ってもらったこともない。 指一本触れ合うことのない仲だったからこそ、いつまでたっても思い切れない人なのかもしれないと久世さんは告白している。
「あの人」と呼ぶ。その人は他人との約束には遅れなかったが、久世さんとの約束に限ってはいつも遅れてきたので腹が立つと言い、邦子という名前が好きだと言い、博覧強記をひけらさなかったところが粋で、記憶力が良く、おねだり上手だったとほめる。
「愛している」とか「大切だ」とか書いてしまうラブレターなんかより、この本はまったく始末が悪い。複雑で一筋縄では行かない男女の仲よりも、はるかに強烈な運命の力で惹かれ合い魅せられ合った男女の仲が暴露されているではないか。 そのくせ久世さんは、ただ20年もの間、仲良くしてもらっただけの話だと言い、偉い人でもなく、優しくしてくれた人でもなく、どこにもいそうで、どこにもいない人だった。体のどこにも一度も触ったことがない、その程度の人だったと口をすべらす。 中里恒子の小説『時雨の記』のようだ。触れもしないからこそ、いつまでも色あせないものの美しさについて久世さんは自慢している。 |
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