コメント・書評 |
三冬浪漫〈夫婦〉
流花
Jul 7, 2003 5:16:00 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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「恋はゲームじゃなく、生きることね」…こんな歌があった。すべてが輝いていた恋の季節を経て、男と女は結婚し、夫婦となる。結婚するということは、「この人と生きる」ということである。喜びも悲しみもともにし、同じ人生を歩む。二人の人生は一つになるのである。大治郎とともに、人生を歩み始めた三冬。そして、二人の人生が一つになった証として、子どもを授かるのである。 ここに、もう一組の夫婦がいる。佐々木周蔵と、りくである。周蔵は、主人の汚行を一身に引き受け、「敵持ち」として逃げ回る生活を送ってきた。りくも、「敵持ち」という重荷を背負った周蔵とともに、同じ人生を生きてきた。ある日、周蔵と間違えられて大治郎が襲われる。それを知った周蔵は、大治郎に迷惑をかけてはいけないと、わざと討たれるのである。討たれた直後、大治郎に発見され、無言の帰宅をする。こうなることを覚悟していたりくは、動転するどころか、血に汚れた大治郎を気遣い、着替えや風呂を用意するという気丈さをみせる。しかし、大治郎にすべてを語り、大治郎が周蔵宅をあとにすると、りくは号泣するのである。外にも聞こえるくらいの大きな声で。敵持ちということは、いつか討たれる日が来るということである。しかも、主人の身代わりにである。こんな理不尽な処遇に甘んじながらも、周蔵とりくは、一つの人生を生きてきたのである。支え、支えられながら、二人で生きてきた人生は、ある意味、幸せだったのではないだろうか。いつかこんな日が来ることはわかっていた。だが、夫の死が現実のものとなり、夫に与えられた運命を思ったとき、夫があまりにも哀れに思えてならなかったのであろう。そして、このようなかたちで自分たち夫婦を分かつ、武士の世界の理不尽さを思うと、切なくて、切なくて…。その切なさを、どこにぶつけたらよいのか…。りくの涙は、堰を切ったようにあふれてくるのである。 もう、恋の季節は終わった、大治郎と三冬。夫婦となったからには、どんなことがあろうと、これからは二人で世の中の荒波を渡っていかなければならない。そんな二人に、あまりにも悲愴な夫婦の人生を見せてくれた、佐々木周蔵・りく夫妻。 『冬木立』の中で、小兵衛がこう言う。「初めての男に、おのが躰へきざみつけられた刻印は、おきみにとって、よほど深かったに相違ない」。三冬は顔を赤らめ、うつむいてしまう。大治郎は傍を向いて、咳払いをする。溜め息を洩らして立ち去った小兵衛を見送る大治郎と三冬は、声もなく顔を見合わせた。…「私には、三冬しかいない」。「私には、大治郎さましかいない」。…「この人と生きる」。夫婦とは、理屈を超えた深いもので結ばれているのだ。 しかし、しかしですよ、大治郎さま。三冬さまは懐妊したことを、一番最初に大治郎さまに言いたかったと思いますよ。というか、私たち読者も、その時大治郎さまがなんて言うか、聞きたかったですよ! 大治郎さまって、こういう時、いっつもタイミングが悪いんだから!!
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