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飯島耕一・詩と散文
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コメント・書評 |
現代日本を代表する詩人の詩と散文の選集の、記念すべき第1巻
吉村和明
Jan 10, 2001 6:15:00 PM
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『飯島耕一・詩と散文1』には、詩集「他人の空」、「わが母音」(抄録、四編のみ)、および「評伝アポリネール」(今回の採録に当たり、著者が手を入れた決定版)、「ダダ・シュルレアリスム・映画」についてのいくつかの論考が収録されている。全五巻にわたって飯島耕一の代表的「詩と散文」が集成された、その第一巻である。
「他人の空」は著者23歳の時に出版された処女詩集で、ページ数にすれば、たった30ページほどにすぎない。しかしそのわずかなページの密度の濃さといったら! 「他人の空」と題された次のような詩がある。「鳥たちが帰ってきた。/地の黒い割れ目をついばんだ。/見慣れない屋根の上を/上ったり下りたりした。/それは途方に暮れているように見えた。//空は石を食ったように頭を抱えている。/物思いにふけっている。/もう流れ出すこともなかったので、/血は空に/他人のようにめぐっている。」このたった10行のなかに、若々しい言葉のエネルギーがはち切れんばかりにみなぎっていて、読まれるとおり鬱屈した暗い内容だが、すこしも衰弱や甘えを感じさせない。これはまちがいなく戦後詩の最良の部分を代表する詩集のひとつである、というか、1953年の初版からほぼ50年を経て世紀も変わり、「戦後詩」などという言い方はもう意味をなさないので、むしろ、「20世紀の詩」を代表するというべきかもしれない。
どの作品にも読む者を何かいとおしい気持ちにさせる親密な調子があり、それがこの著者の特質だと思われるが、たとえば「切り抜かれた空」という次の作品に、そうしたことはとりわけ強く感じられる。「彼女は僕の見たことのない空を/蔵い込んでいる。/記憶の中の/幾枚かの切り抜かれた空。//ときどき階段を上ってきて/大事そうに/一枚一枚を手渡してくれる。//空にはひとつの沼があって/そこには/いろいろなものが棲んでいると云う。//そこに一度きりしか通過したことのない/小さな木造の駅があって、/草履袋を持った/小学生が/しやがんでいたりする。//ついで彼女は/失くしてしまった空のほうに/もっと澄んだのがあったとも云った。」
ほんとうの意味で「詩」を読む喜びを与えてくれる詩集だと思う。 ところでこの飯島耕一がシュペルヴィエルやシュルレアリストたちと並んでもっとも親しんだ詩人が、ギヨーム・アポリネールだった。『評伝アポリネール』(初版1966年刊)は、いまだにこの詩人について日本語で読むことのできる、すぐれた基本文献であり続けている。「ギヨーム=アルベール=ウラジミール=アレクサンドル=アポリネール=コストロヴィッツキ、あなたのことは賛美しても賛美し切れるものではない。あなたのことを考えている時間が、どうやら僕にとってもここ数年来、もっともよい時間だったように思われる。」このように端的に記されているところからもうかがえるように、詩人への深い共感に裏打ちされた、感動的な労作である。 (bk1ブックナビゲーター:吉村和明/フランス文学研究者・上智大学教授 2001.01.11) |
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