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さかしま
河出文庫
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コメント・書評 |
逆説
矢野まひる
Sep 7, 2002 12:28:00 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★★
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白状するが、ユイスマンスを読むのは根性がいるのだ。退廃主義と言うから退廃してるのかと思ったら、とんでもない。いまどきのワイドショーなどで、なんとなくだらしがない、無気力、ごてごてしている、といった程度の意味で口にされる退廃という言葉とはわけが違うのだ。「さかしま」を読む限り、退廃ってのは、ものすごい生への執着のことを指しているとしか思えない。
主人公デ・ゼッサントは、宗教にも勉学にも女にもすっかり嫌気がさしている。聖体のパンが、小麦粉ではなくじゃがいもの澱粉で作られるのには納得できない。金銭ずくの価値観しか持っていないのにも関わらず、凋落した貴族や僧侶のつまらぬ虚栄心やうぬぼれには迎合するブルジョワにはうんざり。女にも飽きた。もうとにかく、浮世の事柄全てに嫌気が指している。
そこで、人里離れた邸宅で、自分を心地よくしてくれるいろんな試みをする(貴族の末裔なのでお金はある)。
居室をルートヴィヒニ世とマイケル・ジャクソンを足して百倍にしたくらいの執拗さでもって飾り立てる。ギュスターヴ・モローのサロメにはまったり、口中オルガンと称する1種の利き酒にのめりこんだり、ありとあらゆる病的な植物を集めて(お気に入りはカラーとウツボカズラ)植物は梅毒だ! と決め付けたりもする。ディケンズやユーゴーを低俗! と言い放ったかと思うと、気が変わって「この低俗さがいいのだ」などと倒錯的な感情にとらわれたり、貧しい青年を高級娼家に連れて行き、贅沢三昧させたあげくに急に援助を打ち切って犯罪に走らせようと試みたり、幻臭に悩まされて香水の調合にのめりこんだり、とあらゆることをやってみて、その結果、神経症はますます進行していくのである。
そして、本当はこういうところがこの小説の白眉らしいのだが、ラテン語の文学作品や中世の宗教文学の引用や批評がすごい。私は完璧にお手上げでした(他の箇所だって、きっちりついていくことができたというわけでは全くないのだが)。漠然と、19世紀の終わりに宗教文学を文学的見地から批判するのはとても衝撃的なことだったんだろうな、と思いをめぐらせるが、正直言って、私の生きている時代と私自身の教養のなさから、あまりぴんとはこない。
それよりも、デ・ゼッサントひいてはユイスマンスのものすごい知識欲に圧倒された。これが、なんとしてでも生延びてやる! という試みでなくてなんでしょう。気がつくと同じところを何べんも読んでしまい(教養がないので意味がわからないところだらけ)、やっと読み終わったらもう疲労困憊してしまいました。それにも関わらず、このあまりにも、屈折してはいるが過剰な、生に執着する魂に触れることで、私はかなり相当励まされ、元気をたくさんもらったのです。
「さかしま」を読んで、こんな感想を持つこと自体、それこそ退廃というものなんじゃないかしらん、なんて思ってしまったのでした。
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