コメント・書評 |
単なる人物史料の記述にとどまらない背景説明に価値がある
ドン・キホーテ
Sep 13, 2009 9:26:37 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★★
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海音寺潮五郎の史料による悪人伝シリーズのうち、中世の悪人を6名選択して記載したものである。その6名とは以下のとおりである。 ・藤原兼家 ・梶原景時 ・北條政子 ・北條高時 ・高 師直 ・足利義満
古代編とは異なり、何かの兵乱を起こし、世間を騒がせた張本人という基準で選ばれたわけではなさそうである。兼家は平安時代、梶原と北條の2名は鎌倉時代、高、足利は室町時代というバランスのとれた選択である。
この中では藤原兼家と高師直とがやや知名度が落ちるかも知れない。そんな事を言えば、梶原景時だって天下を取ったわけでもない。義満、高時は最高峰の地位に達したわけだし、政子は尼将軍と呼ばれるくらいで、事実上国の政治を動かしたと言っても良いであろう。
景時は義経に対する悪役として有名である。また、義経に限らず讒言でも悪名が高い。最期は讒言に対する罪状を回されて万事を休した。頼朝や他の御家人に対する無礼な振る舞いの多かった上総ノ介広常を将棋に誘って惨殺するなど、決断力に富む武人でもあった。高師直も弟の師泰共々、武将としての実力はあったし、家柄も悪くはなかったのだが、足利兄弟には太刀打ちできなかった。自分の立ち位置を最後まで認識することのできなかったところが致命的であったようだ。しかし、誰に対する悪人だったのだろうか。
北條高時は田楽などの政とは無関係の貴族趣味に身をやつしたことで無能呼ばわりされている。しかし、側用人である長崎氏の専横に敗れたと言えないこともない。以前に読んだことのある高橋直樹の短編小説では、失政の原因は長崎氏が高時を政治の場から排除したことにあるとの設定であった。海音寺は高時がたとえ有能であっても、高時が実権を取った時点ですでに鎌倉幕府は滅亡の運命にあったと断じている。時代の流れであると。
義満は現代では金閣寺のみで有名であるが、貴族のくせに朝廷をないがしろにし、自らが皇位にあるがごとき振る舞いを行って、政治を牛耳ったわけである。これが悪人たる所以であろう。これに近い者は弓削道鏡、蘇我入鹿などすでに古代編で紹介されている。
この中世編は史料からの引用は古代編ほど多くはなく、読みやすく書かれている。兼家の話のはずが、冒頭から当時の朝廷と藤原家の勢力争いの背景が描かれている。これは兼家がそれほど著名ではない点で、読者の大いなる助けとなる説明である。しかし、肝腎の兼家自身の話はそれほど多くはない。それは他の人物にも共通している。
北條政子での頼朝に関する記述は、まだ見聞したことのない記述があった。いずれにしても大変勉強になる海音寺潮五郎の傑作シリーズである。
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