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裏太平記
歴史破壊小説
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コメント・書評 |
晩年の半村作品は、どこか私のイメージするものとは違っていました。この作品も例外ではありません。私はすなおに1970年代の若き半村に軍配をあげます。
みーちゃん
Jul 14, 2009 9:10:19 PM
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評価 ( ★マーク )
★★★
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1970年代に伝奇小説を甦らせた作家として忘れられない存在が半村良です。半村なくして高橋克彦、夢枕獏、隆慶一郎はなかった、いや、もしかすると半村以降の作家は誰一人として彼を超えていないのではないか、そうまで思うのです。私が買った彼の最後の作品は1993年出版の『妖星伝』の第七巻ですが、それは1980年に一応完結したかに思えた第六巻が出て13年後のことです。
ちなみに私が読んだ彼の最後の作品は、彼が逝く前年にだされた『すべて辛抱』でした。晩年の半村の小説は、タイトルこそ伝奇小説風で読者の期待を書きたてましたが、実は歴史小説に近いもので、語り口もどちらかというと扱うものは全く違うものの、作者の考えを語る司馬遼太郎的なものが多かったと記憶しています。彼に未刊の作品があった、ということ自体私には驚きですが、それだけに期待したくなります。
一体どのような物語なのか、まずはカバーの言葉を見てみましょう。
時は末世。 鎌倉幕府滅亡前夜。 大火、大地震が続き、 都では大覚寺統・持明院統にわかれ 天皇位争いに明け暮れ、 巷には異装の党、破壊僧がはびこり、 「下克上」が叫ばれんとしていた・・・・・・
だそうです。ここまではいいのですが、以下のまえふりを読むと? となります。
そういうわけでこのたびは、兼行法師のものがたりでございます。と言っても徒然草の解釈、解説をしようとか、国文学を論じようと言う大それたことなどするはずもございませんで、兼行法師を主演にかりだしましたでたらめ物語。兼行法師を神のごとく崇めるむきにはお目の穢れとなりますゆえ、そうそうにお引取り願いまして、絵のないマンガ、コミックをお楽しみくださるかたがたにおもてなしさせていただく次第でございます。
とあります。で、実際に読んでみると、これが単なる小説かというとちょっと違います。すでに書きましたが、晩年の半村作品の多くがそうであったように、伝奇小説的材料を物語にして謳いあげるよりは、自由気ままに語るといった伝奇歴史エッセイとでもいいたいもので、しかも伝奇的な要素はかなり薄いというか、押さえ気味です。
例えばこのお話の後半に登場する日影一族ですが、以前の半村であれば伝奇とSFがミックスしたミステリ仕立てにしたでしょうに、ここではそれを仄めかすだけで終っています。私は、この作品の後半に登場する、兼行の恋人というか情婦といったほうが相応しい妖艶な磯子が好きですが、このクールで自由な美女は、あっさり日影一族になってしまいます。
で、それが後世にどのような働きをしたかは、これまたあっさり。下克上の世になった、皇室は権力争いに参加しない限り、世間の支持を受ける、みたいな、ある意味どうでもいいようなことになるだけ。半村の天皇観がどのようなものだったか私は知りませんが、隆慶一郎の考え方のほうが過激だったような気がします。
このお話の主人公は兼好法師ですが、この作品を読む限り、彼が歴史を影で操っていた、という感じはしません。むしろ、傍観者。あえて歴史に棹差さないで、先が見えているのに放置する、あるいは見えているからこそ手を出さない。未必の故意、みたいな頭のいい知識人が上手く立ち回っているような嫌らしさを感じます。
そういう意味では官僚的な胡散臭さを感じさせる兼行より、磯子や無名、秀原直貴、円真といった脇役に人間臭さを感じます。未完ではないのに、長い間、未刊であったというあたりに皇室の扱いがあったのかと気をまわしたのですが、それも違ったようです。それにこれで兼好への興味が掻き立てられる、というかといえば全くそうではない。
でも、もっと早く出版されていても少しもおかしくないレベルだとは思います。なぜこれ埋もれたのか、そこらへんをあとがきで解き明かしてほしかったな、と私は思います。最後になりますが、村上光延の装幀は平均的なもの。書誌データは
「週刊実話」(日本ジャーナル出版)1995年5月4日号~1996年2月22日号(全40回)連載。初単行本化だそうです。 |
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